第13話
誰の血であっても美味しくはない。
口元に突き出された指についた血を舐めた感想は、予想するまでもないものだった。
宮城の血も、自分の血を舐めたときと同じように鉄さびに似た味がする。実際に錆びた鉄を舐めたことなんてないからそれが正しいのかはわからないが、不味いことにはかわりがなかった。苦手なサイダーの方がよほど美味しく感じる。
「もっとちゃんと舐めて」
言葉とともに指を押しつけられ、彼女の体から溢れ出た液体が唇を濡らす。反射的に口を閉じる。けれど、閉じた歯をこじ開けるようにして、宮城の指が口の中に入り込んでくる。
舌に指が触れると、さっきよりもはっきりと血の味を感じる。
Aなのか、Bなのか。
それとも、他の血液型なのか。
宮城の血液型は知らないが、何型にしても好んで舐めたいようなものじゃない。でも、私の感情なんか関係がないようで、指が引き抜かれることはなく、舌を傷口に押し当てると血の味が濃くなった。
過去に舐めた自分の血よりも鮮明に感じる血の味は、やっぱり美味しくはない。
こんなこと、宮城にだけしかしないと思う。
この先、恋人ができて、その人が指を切るなんてことがあったとしても血を舐め取ったりはしない。
それくらい美味しくないし、衛生的でもない。
こんなことをするのは宮城が最初で最後だ。
私は、口の中に広がる血を飲み込む。
他人の体液が喉を通って胃へ落ちていく感覚は、気持ちの良いものじゃない。抗議のかわりに舌を強く傷口に押し当てると、宮城から苦しげな息が漏れた。
そして、また鉄さびに似た液体が舌を汚し、私は血を飲み下す。
傷口から流れ出る血は止まらない。
止血をしているわけじゃないから、当たり前だ。
血が広がるたびに口の中も、体の中も宮城に侵食されていくようで鳥肌が立つ。
こういうのは良くない。
健全じゃない命令だ。
命令をする人がいて、それを聞く人がいるということ自体が健全じゃないのかもしれないが、今していることがあまり良いことじゃないことはわかる。
そう思いながらも、私は強く傷口に歯を立てる。
口の中が血の味に染まっていく。
飲み込みたくないのに、宮城の血が喉を通っていく。
「口、開けて」
宮城が感情を抑えた声で言った。
私が聞こえたはずの言葉に従わずにいると、指が無理矢理引き抜かれて問いかけられる。
「人の血って美味しい?」
口の中には、血の味が残っていた。
サイダーよりも不味くて、不快な液体に口の中が覆われているような気がする。
「吸血鬼なら美味しいのかもしれないけど、人間だから美味しくない」
「鉄分補給だよ」
宮城が無責任に言って笑う。
私には、人の血で鉄分を補給する趣味はない。自分の体の一部になるなら、好きじゃなくてもレバーを食べた方がマシだ。
――そうだ。
私の中に入った宮城の血は、私の体の一部になる。
そう思うと胃の辺りが重くなった。
「コップ借りる」
言葉を置き去りにするように、宮城が返事をするよりも早く食器棚を開ける。いつもサイダーが入っているグラスを取り出し、半分ほど水を入れる。
ごくん。
口に残る血を押し流すように水を飲む。
グラスを空っぽにして宮城を見ると、血が流れ出るままになっていた。
「手、出して」
答えを聞くつもりはない。
私は、問答無用で宮城の手首を掴む。そして、血で汚れた指を洗い流す。今度は、宮城が抵抗することはなかった。大人しく指を流水にさらしている。
「絆創膏持ってくるから、そのままにしてて」
宮城に聞いても、どうせ絆創膏がどこにあるかなんて教えてはくれない。だったら、自分のものを持ってきた方が早い。
私は宮城の部屋に戻って、鞄の中から傷を早く治すとかいうちょっと良い絆創膏を出す。ぱたぱたとスリッパを鳴らしてキッチンへ戻ると、宮城が傷口を眺めていた。
「はい」
持ってきた絆創膏を差し出す。
「貼ってくれないの?」
「それ、貼ってくれってこと?」
返事はなかった。かわりに指を突き出される。
甘やかすとろくな人間に育たない。
そう、宮城のように駄目な人間になる。
高校生にもなって、絆創膏の一枚も自分で貼らないような甘えた人間に。
でも、これはたぶん命令の一環だから。
そういうものだから、絆創膏を傷口に貼ってやる。
「ご飯、炊いてあるよね?」
機能的だが可愛くはない絆創膏から出たゴミを捨てながら、宮城に尋ねる。
「炊いてある」
「じゃあ、向こうで座ってて」
「キャベツは?」
「自分で切るからいい」
急いでいるわけじゃないが、キャベツの千切りごときでもたつきたくないし、また指を切られても面倒だ。
私はキッチンから宮城を追い出して、鶏肉を揚げながらキャベツを刻んでいく。
勝手にお皿を出して、盛り付けて。
カウンターテーブルの上、ご飯と一緒にお皿を並べる。並んで座っていただきますと声を合わせると、隣で宮城が不機嫌そうに唐揚げに齧り付いた。
一口、二口。
彼女の表情は変わらない。
「美味しくない?」
問いかけると、すぐに答えが返ってくる。
「美味しい」
作ったものを美味しいと言われるのは嬉しい。
でも、美味しいものを美味しくなさそうに食べる人間は初めて見た。
「仙台さん」
「ん?」
「こういうことする理由ってなに?」
「さっきも話したけど、今までの夕飯のお礼」
「もうしなくていいから」
美味しいと言った口で冷たく宮城が言った。
「唐揚げ嫌い?」
「好きでも嫌いでも、作らなくていい」
学校にいる宮城は、負の感情を表に出すタイプには見えない。ときどき目に映る彼女は友だちと楽しそうに話しているか、笑っている。私と話しているときとは大違いだ。自分のテリトリーである自宅という環境がそうさせるのか、私といる宮城は酷く不安定に見える。
だからって、それだけ気を許しているってわけでもないんだよね。
何を考えているかわからない人間が何を考えているかなんて、探ろうとしても疲れるだけだ。それに、機嫌を取る相手は羽美奈だけでいい。
「宮城ってさ、料理しないの?」
私は話を変えることで、濁った空気を変えることにする。
「できなくても困らないから」
「料理、教えてあげようか?」
「作らないから、いい」
「そっか」
だよね。
そう言うと思った。
私は無理に料理を教えたいわけじゃないから話はそこで終わらせて、唐揚げに齧り付く。
我ながら美味しい。
宮城は何も言わずに、テーブルの上に並んだ夕飯を胃の中に収めていく。
作る時間に比べたら短い時間で食事は終わり、私は嫌がらせのように小説の朗読を命じられる。
宮城の部屋で、長く連なった文章を声に出して読み続ける。
何十分と。
当然、最後まで読むことはできない。夕食を含めて三時間ほど宮城の家で過ごして、マンションを出る。
それから数日後に宮城に呼び出されたけれど、料理を作ってくれと言われることもなかったし、私から作ることもなかった。ただ、一緒に食事はした。ホワイトデーの後にも夕飯を一緒に食べたけれど、お返しはなかった。
ただいまに返事がない家に帰り、五千円札を貯金箱に入れる。
私は、宮城に何を期待してるんだろう。
チェストの上に置いた貯金箱を持ち上げると、重くも軽くもなかった。
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