仙台さんが知っていること

第97話

 仙台さんから今日もらった黒猫の寝床は枕元になった。


 ワニの背中の上ではティッシュが使えないし、油断するとコロコロと落ちてくる。机の上は勉強の邪魔だし、本棚では本が取り出しにくかった。


 だから、枕元が居場所になったのは仕方なくであって、わざわざ選んだわけじゃない。


「友だちだって。嬉しい?」


 私は、床の上が定位置のワニをベッドの上に引っ張り上げて問いかける。黒猫の隣に置いてもワニは答えない。当たり前だ。答えたら怖い。


 それにしても。

 仙台さんは、私をなんだと思っているのだろう。


 ティッシュカバーがワニなだけで、部屋にぬいぐるみをたくさん飾っているわけじゃないし、ぬいぐるみを好きだと言ったこともない。猫が好きだとも、動物が好きだとも言ったことがなかった。


 クリスマスプレゼントとして、黒猫のぬいぐるみを贈られた理由は不明だ。


 大体、仙台さんはぬいぐるみをプレゼントするようなタイプには見えない。そう考えると、なにか意味があってぬいぐるみを選んだようにも思えるし、私のことなんてどうでもいいから適当に選んだようにも思える。


 けれど、私がアクセサリーを渡したようにアクセサリーをプレゼントされていたら突き返していた。ぬいぐるみという中途半端なものだったから、受け取ることができたような気がする。


 問題は、また一つ彼女に纏わるものがこの部屋に増えてしまったことだ。


「制服だってどうしたらいいのかわからないのに」


 黒猫の頭を撫でてから、クローゼットを見る。


 あの中には、仙台さんのブラウスが入っている。


 着ることのなかったブラウスはいくつかの思い出とひも付いていて、この部屋から追い出そうとしたけれど追い出すことができなかった。今は、私の制服のような顔をしてクローゼットに居座っている。


 そして、新たにこの部屋にやってきた黒猫も仙台さんと繋がっている。しかも、封印しておきたいような今日の出来事が染みついていて落とせない。


 こういうのは本当に困る。


 私は、ワニを床へ下ろす。

 体中の空気を吐き出して、目を閉じる。


 このベッドの上で起こったことは酷く恥ずかしいことだったけれど出入り禁止にするほど嫌なことではなかったなんて、絶対に仙台さんには知られたくない。


 仙台さんといると、思っている以上のことをすることになる。少しくらいなら、と考えたことは否定しないけれど、許しすぎてしまったと思う。


 セックスはしない。


 初めにそう言ったのは仙台さんのはずなのに、どうしてかこんなことが続いている。そのルールは私にとっても当たり前のことで、約束をするまでもないことだと思っていたのに、夏休みだけではなく今日もルールを破ったと言えそうなことをしてしまった。


 本当は、あんなことまでさせるつもりはなかった。


 仙台さんに文句を言えば、あそこまで許すことを選んだのは私だと言うだろうけれど、冬休みに勉強を教えてもらうという交換条件があったから許すしかなかった。


 今考えると、仙台さんがまったく冬休みの話をしてこなかったのは私から交換条件を引き出すためだったように思える。すべてを仙台さんのせいにして、今日のことは仕方がなかったことだと気持ちの整理をつけられるようにさせられていた気がして腹立たしい。


 そして、そうだとしてもそういう彼女を無条件に許している自分に困惑している。


 いつだって選ぶのは私で、仙台さんは選ばない。

 用意周到に私は選ばされている。


 仙台さんはずるいと思う。


 自分でルールを決めておきながら、決めたルールを蹴飛ばして近づいてくる。


 この関係の種をまいたのは、五千円を払って彼女を買っている私だ。種は育つことがないもので、地中に埋まったまま芽すらでないはずのものだった。けれど、仙台さんはその種に水をやって育てている。


 そんなことは頼んでいない。


 種をまいただけなら、私たちは何の抵抗もなく卒業式を区切りにすることができたはずだ。でも、芽が出てしまえば摘み取ることに罪悪感がつきまとう。そして、大きくなればなるほどその命を絶つことに躊躇いが生まれる。


 現に私は、卒業式を終わりの日に決めたことを後悔している。


 そのくせ、今日起こった出来事についてはそれほど後悔していない。ただ、私ばかりが恥ずかしい思いをさせられたことに関しては納得していない。私だけが損をしたような気がしている。


 できれば仙台さんに苦情の電話をかけたいけれど、電話をかけあう仲じゃない。


 まだ眠るような時間ではないから、かければ出てくれるとは思う。でも、今日あったことを考えると、文句くらいで電話はできない。


 仙台さんとはあれからなにもなかったみたいに過ごしたけれど、私は夕飯を一緒に食べようとは誘えなかったし、仙台さんも夕飯には触れずに黙って帰った。気まずさを感じないふりをしていただけだから、冬休みに呼び出すことすら気を遣う。


「仙台さんのせいでめちゃくちゃじゃん」


 休みに入ってすぐに呼んだらなにかを期待しているみたいだし、呼ばなかったら何のための交換条件だったかわからなくなる。


 私は枕元の黒猫を手に取る。

 天井に放り投げようとして、やめる。

 黒猫の手を握って、元いた位置に戻す。


 一人でいることには慣れているけれど、今日は一人で考え事をしていると考えたくないことばかりが頭に浮かぶ。


 この部屋は今日、自分の部屋とは思えないほど過ごしにくい。

 いないはずの仙台さんの気配を感じるようで落ち着かない。


 私は立ち上がって、テーブルの上からスマホを取る。


 誰かと話をしたいと思うけれど、誰かという言葉で浮かぶのは仙台さんの顔だ。


 でも、誰かは“誰でも良い”の誰かで、仙台さんに限定した言葉じゃない。そして、黒猫とワニは側にいてくれるけれど、話し相手にはなってくれない。


 私は、ディスプレイに舞香の名前を表示させる。


『今、時間ある? 少し話したい』


 舞香にメッセージを送ると、『大丈夫だよ』と返事がくる。すぐに電話をかけるとスマホの向こうから明るい声が聞こえてきて、ほっとする。聞き慣れた声は、気持ちを落ち着かせてくれる。


 今日、ここであったことを話すつもりはない。


 だから、私は今日ここではない場所であったことを舞香と話し始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る