第262話
仙台さんが選んだ青いスカートの出番がない。
家でだらだら過ごしているせいもあるけれど、スカートを買ってから出かける用事がないからクローゼットにしまったままになっている。
私はため息を一つついてから、クローゼットを閉める。
青いスカートの隣にかけてある学園祭のときにもらったスカートは何回か出番があった。仙台さんが、私のために買ってきた、なんて恩着せがましいことを言うから活用しただけではあるけれど、役には立ったと思う。
青いスカートはもらったスカートのように彼女が選んだものではあるが、買ったのは私だ。だから、無理に活用する必要はないけれど、仙台さんが出番を作ろうとしないことに腹が立つ。
どこかへ行こうと言われても出かけるつもりはないが、なにも言ってこないのも面白くない。
「普通にしててって言ったじゃん」
あれからそれなりに日が経ったのに、仙台さんは勝手にキスをしてくるだけで、普通になったとは思えない。いつもなら、一緒に出かけようとか、コンビニでいいから外へ出ようとか、あれこれ言ってくるのに大人しく家にいるだけだ。
普通じゃないのに普通にしているみたいな顔でにこにこしているから、すっきりしない。
私はベッドにごろりと横になる。
暇で死にそう。
スマホに大げさすぎるメッセージを打ち込んで舞香に送る。いつもならすぐに返事がくるけれど、今日はこない。仕方なく本棚から漫画を一冊持ってくる。半分読んだところでスマホから着信音が聞こえてきて、私は枕元に漫画を置いて電話に出た。
「お昼ご飯食べてた」
舞香の明るい声が聞こえてくる。
「遅くない?」
今はお昼をとっくに過ぎていて、おやつの時間に近い。
「朝食べたのが遅かったから。予定がないと思うと、早く起きられなくて」
「気持ちはわかる。私も休みはだらだらしたいもん」
「昨日は起きたのお昼だった」
「私は一応、朝ご飯食べられるくらいの時間には起きてる」
「仙台さんに起こされてる、の間違いじゃなくて?」
「自分で起きてるから」
仙台さんは、春休みになってもご飯を抜いたりしない。
朝ご飯も、昼ご飯も、夜ご飯も、いつも通り食べるから、一緒に食べている。
「そうだ。暇つぶしの相手、ちゃんといるじゃん」
舞香が突然思い出したように言って、「そこに」と続ける。
「そこって?」
「家にいるでしょ、仙台さん。今日、出かけてるの?」
「自分の部屋にいるけど」
「あ、もしかしてまた喧嘩した?」
「してないし、私は悪くない」
舞香がなにを考えたのかわからないけれど、また謝れなんて言われたくないから、喧嘩もこれから言われそうなことも否定しておく。大体、私と仙台さんは喧嘩をしたりしない。
「まだなにも言ってないんだけど」
「言われそうだから先に言った」
「先回りって、やましいことがある人がやりそうなことだよね」
スマホの向こうでにやにや笑っていそうな声が聞こえてくる。
「舞香はすぐ私を悪者にするけど、仙台さんが悪いことだってあるんだからね」
「そうかもしれないけど、志緒理の方が悪いこと多そう」
いつどこで作られたのかわからないけれど、舞香の中の仙台さん像が良すぎるように思う。
確かに彼女は悪い人ではない。
でも、喧嘩をしたら私の方が悪いはずだと思うほど、良い人でもないような気がする。
彼女は断りもなくキスをしてくるし、変な約束をしようとしてくる。清楚っぽい雰囲気を作り出してはいるけれど、エロ魔神でもある。
そういう仙台さんを舞香に伝えればイメージを変えることができるが、言えるわけがない。言えば、仙台さんだけではなく私のイメージも舞香の中で変わってしまう。
ただ、すべてを伝えることで、仙台さんが私のものだと舞香に知ってもらうことができる。
一緒に出かけていても、舞香の服を選んでいるのは私の仙台さんで、舞香の隣を歩いていても仙台さんは私のものだと知らしめることができる。
今、ここで、言うことができたら――。
「おーい、志緒理?」
あり得ない想像を遮るように舞香の声が聞こえてきて、慌てて声を出す。
「え、なに?」
「急に黙るから」
「ごめん。そういえば朝倉さんと行ったライブ、セトリ最高だったって言ってたけど」
私は言うべきではない言葉たちを飲み込んで、数日前の出来事を振ってみる。
「そうそう。好きな曲多かったし。志緒理も来れば良かったのに」
「そのゲームしてないし」
朝倉さんから、アニメやゲームのイベントに誘われることがある。それに行くこともあるけれど、行かないこともある。今回はゲームに関連したイベントで、舞香は好きな声優が出るからと一緒に行って、私は行かなかった。
ライブには仙台さんが選んだ服で行って、朝倉さんに可愛いと褒められたとメッセージが届いていた。
今もまた舞香がスマホの向こうで、仙台さんが選んだ服について語っている。
飲み込んだはずの言葉が喉元まで上がってくる。
私は言うべきではない言葉が口からぽろりと出てしまわないように、意識して違う言葉を選んでいく。
どれくらい舞香の話を聞いていたのかわからなくなった頃、ドアを叩く音が聞こえて、仙台さんの「宮城、ちょっといい?」という声が続けて聞こえてくる。
「ごめん。仙台さんが呼んでる」
スマホの向こうに伝えて、ベッドから下りる。
「じゃあ、もう切るから、仙台さんと喧嘩しないようにね」
「しないって。またね」
またね、と舞香の声が聞こえてから電話を切る。それからドアを開けると、仙台さんがスマホを持って立っていた。
「澪が宮城と話をしたいって」
「小松さんが―」
なんの用?
と仙台さんに言いかけたところで、スマホから「やっほー」と大きな声がする。それは舞香との電話を切ったことを後悔したくなるような声で、私はスマホをこちらに向けた仙台さんを睨んだ。
電話が繋がっているなんて聞いていない。
「志緒理ちゃん、あたしのこと名字じゃなくて名前で呼んでって言ったじゃん」
無駄に明るい声が聞こえてくる。
カフェで会ったときに確かにそんなことを言われて、そうしようと思っていたけれど、仙台さんといるときは“澪さん”と呼ぶ必要がなかったからすっかり忘れていた。
「……澪さん、こんにちは」
積極的に親しくしたい相手ではないけれど、わざわざ“小松さん”と呼んだら面倒なことになりそうで名前で呼ぶことにする。
「かたいなー。もっと柔らかい感じでいこうよ。やっほー、志緒理ちゃん」
「……やっほー」
「うん、いい感じ。で、本題なんだけど、家に遊びに行くの、明日でいい?」
「え、明日!?」
やっほーを強要されたことが吹き飛ぶほど衝撃的な言葉に仙台さんの顔を見ると、片手で拝むようにされる。ごめん、と額に書いてありそうな表情をしているから、仙台さんが言い出したことではないとわかるが、わかっても嬉しくはない。
「三月って約束だったから、明日はどうかなって」
「ええっと……」
三月がいいと言ったことに間違いはないし、もう三月になっているけれど、気が早すぎる。三月になってからまだ数日しか経っていない。
「あ、やっぱ急すぎ? じゃあ、あさっては?」
「あさってって」
早い。
唐突すぎる。
「明日より、余裕あるしどう?」
「仙台さんの予定――」
「あ、葉月はいつでもいいって。ね?」
澪さんが私の言葉を奪うように言う。
「うん、私は二人に合わせるから」
「志緒理ちゃん、いいよね?」
他の日を選ぶという選択肢のない問いかけに、私は「じゃあ、あさってで」と答える。
「よし! あさってで決まりね」
「澪、時間は?」
「あー、そうだな。午後でいい?」
「いいけど、何時頃?」
「後から連絡する。じゃあ、そういうことで」
澪さんの声が消え、電話が切れる。
「……今のなに」
仙台さんの足を蹴ると、軽い声が返ってくる。
「いいじゃん。あさってで」
「良くない」
「後でも先でも、澪が遊びに来ることに変わりはないんだから、早く来てもらった方が楽でいいでしょ」
「そうだけど。……こんなことなら、舞香との電話切らなきゃ良かった」
舞香との電話と澪さんとの電話。
言うべきではない言葉を飲み込みながら話す舞香との電話は手放しで楽しいと言えるものではなかったけれど、澪さんと話してあさっての訪問を承諾させられるよりはマシだったはずだ。
「宇都宮と話してたんだ?」
「電話してたけど、切った」
「ごめん。……なに話してたの?」
謝罪の言葉が頭についているが、仙台さんの声がいつもよりも低い。不機嫌ではないけれど、明るい声とは言えない。
「朝倉さんとライブ行った話」
「それ、聞いてない。宮城、朝倉さんとライブ行ったの?」
「私じゃなくて舞香が行ったの。私は誘われたけど行かなかった」
「誘われたんだ?」
「いちいちなんなの?」
「その話、知らなかったと思って」
それはそうだ。
仙台さんには話していない。
ライブに行くことになっていたら、朝倉さんのことを含めて出かけると伝えた。けれど、行かないのなら、仙台さんにわざわざ伝えるような話じゃなくなる。
「仙台さんに言う必要ないじゃん」
「ある。宮城が誰とどんな話をしたか教えてよ」
「なんで? 私が誰とどんな話しててもいいでしょ」
私だって、仙台さんが誰とどんな話をしているかすべては知らない。気になるけれど、知らないままでいる。
私たちはルームメイトになってから、いくつかのルールを決めた。
でも、そのルールの中に誰とどんな話をしたか伝える決まりはない。今、ルールを作り直すとしても、そんな決まりを作るつもりもない。
きっと気になることを全部知ったら、もっと仙台さんのことが気になって、知りたいことが増える。嫉妬する対象がどんどん増えていって、収拾が付かなくなりそうで怖い。
「良くない。宮城が話してること全部知りたい」
「友だちと喋ったこと全部教えるの、おかしいじゃん」
「おかしくても知りたい」
「なんで?」
「……知らないと嫉妬するからって言ったら、信じる?」
仙台さんは私とは違う。
気になることを全部知っても、嫉妬したりしない。
だから、自分がいないところで誰とどんな話をしたか教えろなんて言うのだと思う。
「……信じない」
短く答えると、仙台さんはそれ以上なにも言わなかった。
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