第24話

 勉強はそれほど好きじゃないし、受験勉強はやる気が出ない。

 そして、折れ目がついていてもいなくても、教科書を積極的に活用するつもりはなかった。


「今度、埋め合わせするから」


 教科書に折り目をつけた犯人がすまなそうに言う。


「いいって言ってるじゃん」


 何をするつもりか知らないけれど、埋め合わせなんてちょっと面倒だ。教科書にそんな価値なんてない。

 そんなことより、私は仙台さんとの距離の方が気になる。


 部屋は広いけれど、ベッドはそう広くない。だから、私たちの距離はかなり近い。

 できればもう少し離れたいと思う。

 背中に壁があってこれ以上後ろへいけない私は、横へずれて膝を抱える。


「でもさ、表紙だし、折れてたら気になるじゃん」


 私よりも折れた教科書が気になるらしい仙台さんが不満そうに言う。


「私は気にならないから」

「宮城が気にならなくても私が気になるから、埋め合わせする」


 こういう押し問答になったら、仙台さんはなかなか引かない。私と同じで、自分の意見を通そうとする。


 それに仙台さんは、思っていたよりも律儀な性格だから本気で埋め合わせをするつもりだろうし、たぶん実行する。


「何でも良いけど、適当でいいから」


 教科書の表紙ごときに時間をかけるのも勿体なくて、私は話を打ち切った。


「じゃあ、そういうことで」


 どういうことかよくわからないけれど、仙台さんがざっくりと話を締めくくる。そして、私の足をちょこんと蹴った。


「で、宮城。これからどうするの?」

「どうもしない。夕飯食べてくなら、用意するけど」

「どうしようかな」


 仙台さんが深く考えているようには見えない顔で、んー、と唸る。そして、思い出したようにブラウスのボタンを一つ留めた。


 この部屋で上から二番目のボタンが外されるところは何度も見たけれど、留められるところは初めて見た。

 いつもはしない行動に、私の体が石像にでもなったみたいに固まる。


 仙台さんは、気がついていないはずだ。

 首筋に触れたとき、まだ眠っていた。

 じゃあ、なんで、今、ブラウスのボタンを留めたんだろう。


 心臓が掴まれたみたいに痛い。

 あんなこと、しなければ良かった。


 だって、仙台さんは友だちじゃないし、恋人でもない。

 あれは、寝ている仙台さんにしていい行為じゃなかった。


 彼女が起きているときなら、良かった。仙台さんに動くなと命令してしたことなら、ああいうことだって許される。

 なんであんなことをしたのか、自分でもよくわからない。


「宮城、眉間ヤバいよ」


 仙台さんが私の顔を指さす。


「怖い顔してるから。鏡、見たら」

「いい。見ない」


 鏡を見るよりも、この場から逃げ出したいと思う。でも、急に部屋から出て行くわけにもいかない。


「今日は言わないの?」


 仙台さんが何も知らないみたいに、両手を上に伸ばしながら言う。


「なにを?」

「舐めろって」

「言わない」


 今日、そういうことをするのは良くない。

 嫌な予感がする。


「そっか」


 自分から尋ねてきたのに興味がなさそうに答えて、仙台さんが私の足に触れた。

 ソックスを履いていない足の先からくるぶしを撫でる。


 肌の上を柔らかく触れてくる指先がくすぐったくて足を引こうとすると、足首を掴まれた。


「離して」


 強く仙台さんに告げると、彼女は私の言葉に従った。けれど、すぐに指先がするすると上へ向かっていき、膝を抱えている私の手をどける。そして、スカートの裾を掴むと、当然のようにめくろうとした。


「変なことしないでよ」


 私は彼女の手を捕まえて抗議する。


「膝、本当にあざが消えたか確かめようと思って」

「確かめなくても消えてるから」

「見せてよ」


 仙台さんが私の手を払い除けて、膝に触れる。

 見せてよと言ったくせに、見たりはしない。

 指先で膝をくるりと撫でてくる。


 触り方が変だ。

 背筋がぞくりとする。

 気持ちが悪い。


「見るんじゃないの?」


 ゆっくりと膝を撫で続ける仙台さんに抗議する。


「やめたほうがいい?」


 言うことを聞きそうな言葉を口にしているのに、彼女の手は止まらない。


「今すぐやめて」


 強く言う。

 けれど、仙台さんはやめてくれない。

 膝から下へと指先を走らせ、足の甲に着地する。

 舐めてと命令したときみたいに触れ続ける。


 血管を辿ってそっと指が這う。

 皮膚の表面を蟻か何かが歩き回っているみたいで、嫌な感じがする。それなのに、仙台さんを本気で止めようとしていない自分がいて、私は膝を強く抱えた。


「もう終わり。ほんとにやめて」


 仙台さんの手を掴んで、引き剥がす。


「仕返し?」


 寝ている間に首筋に触れたから。

 その仕返しがこれなのかと思って尋ねる。


「なんの?」


 仙台さんが不思議そうな声を出したけれど、本当に意味がわからずに出した声かはわからない。でも、仙台さんがどことなく楽しそうに見えて神経を逆なでされたような気持ちになる。


「仕返しじゃないならいい。腕、出して」


 私は、返事を待たずに彼女の腕を掴む。


「命令?」

「命令だから、言うこと聞いて」

「また跡つけるつもり?」

「そういうわけじゃない」


 ブラウスの袖のボタンを外して、まくる。

 仙台さんの手首と肘の間。

 この前、跡をつけた辺りに思いっきり歯を立てる。


 ぎりぎりと。

 皮膚を噛み切るくらい噛みつくと、仙台さんが私の頭を押した。


「ちょっと、マジで痛い」


 つむじの辺りをぐいぐいと押されて、私は顔を上げた。


「ありえない。よく人のこと、こんなに力一杯噛めるね。おかしいんじゃないの」


 仙台さんが腕をさすりながら、袖を下ろす。


「教科書折った埋め合わせ」

「勝手に埋め合わせしないでよ」

「いいじゃん。歯形なんてすぐ消えるし」


 私がしたことなんて、全部消えてなくなってしまえばいい。


 それに、命令だから何をしたって文句を言われる筋合いはない。仙台さんだって、本気で怒ってはいないはずだ。

 私たちは、そういう関係なんだからこれでいい。


「すっごい痛かったんだけど」


 仙台さんが恨めしそうに言う。


「変なコトしたおしおきも含まれてるし」

「宮城がする変なコトに比べたら大したことないのに」


 少しだけむっとした声で仙台さんが言って、ベッドから下りる。

 いつも通りだ。

 私は、不機嫌そうな彼女にほっと胸を撫で下ろした。

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