宮城が私に触るからだ

第25話

 戸惑う宮城が面白い。


 なんて言ったら性格が悪そうだが、自分の罪を告白しているような反応をする宮城に問題がある。


「動かないで」


 私は、テーブルの向こう側に座って漫画を読んでいる宮城に向かって手を伸ばす。けれど、指先が触れる前に彼女が怪訝そうな声を出した。


「なに?」

「髪の毛ついてる」


 手を伸ばした理由を告げると、宮城が本から顔を上げて「どこ?」と尋ねてくる。


「取ってあげる」


 テーブルに手を付いて、身を乗り出す。

 胸元に向けて伸ばした指で、宮城の首に触れる。


 強く触ったわけじゃない。

 本当に軽く、一瞬だけ。

 手元が狂ったみたいに触れただけだったのに、宮城は必要以上にのけぞった。


 数日前。

 この部屋で眠ってしまった日、首の辺りがくすぐったくて目が覚めた。けれど、頭が半分以上眠っていたから、自分が何をされたのかはっきりとわからなかった。


 まあ、でも。

 夢かと思っていた出来事は、やっぱり夢じゃなかった。

 宮城の反応を見ていると、そう確信できる。

 あの日、首筋に触れたのは宮城の唇だ。

 私は、彼女の肩よりも長い髪を引っ張る。


「いたっ」

「ごめん。まだ抜けてなかった」


 引っ張ったのはどう見ても抜けていない髪だったけれど、そう言っておく。


「わざとでしょ」

「抜けてるように見えたから、取ってあげようと思っただけ」


 わざと、というのは間違っていないから否定しない。


 いつも二つ開けていたブラウスのボタンを一つ留めて。

 ネクタイもいつもよりもちゃんとしめてこの部屋に入っただけなのに、目をそらされた。


 それからずっと宮城の様子がおかしい。

 今だって、ちょっと悪戯をしただけで大げさなくらいに驚いている。


「宿題、早くやってよ」


 不機嫌そうに宮城が言う。

 懐いたはずの野良猫が警戒心を露わにしている。

 今日の宮城はそんな風にも見える。


「急かさなくても、もうすぐ終わる」


 宿題やって。


 一時間くらい前にされた命令は、クラスが分かれてから少し面倒なものになっている。同じクラスなら宿題は同じもので、自分がやった宿題を写させているという感覚だった。でも、今は出される宿題が違うから、彼女のためだけに宿題をやらなければならない。

 宮城の成績は特別良くはないし、苦手な教科もあるようだけれど、そこまで悪いわけでもないはずだ。


 受験もあるし、真面目にやればいいのに。


 なんだって、良い方に分類されている方が選択肢が増える。

 勉強もできないよりはできる方が良い。

 選べる大学が増えるし、その先の未来も選べるものが増える。もちろん、何にでも限界はあって届く場所は決まっているから無駄な努力になることもあるけれど。


「大学、決めた?」


 四月の初めに同じような質問をしたときに「わからない」と答えた宮城は、似ているようで違う答えを口にした。


「決めてない。行くにしても、入れるところならどこでもいい」

「適当すぎる」

「興味ないもん。そんなことより宿題」

「はいはい。わかってるって」


 勿体ないな。


 同じ予備校に通えばなんて言うつもりはないし、全力でやれなんていうつもりもないが、宮城はやる気がなさすぎる。

 いつだって投げやりだ。

 あの日はそんな彼女が積極的に、と言うか、断りもなく唇で触れてきた。


 私は首筋に手をやる。

 どうしてこんなところに唇をつけようと思ったのかわからない。キスマークをつけたがっていたからその延長かもしれないとも思ったけれど、それなら私の首筋には跡がつけられていたはずだ。


 ただ触れることにどんな意味があるんだろう。


 宮城が否定する友だちという関係に近づいていくなら、かまわない。でも、彼女の行動は友だちではない何かへと私たちの関係を急速に変えようとしているように見える。


 懐かれるのは嬉しいけれど、あんなことが続くのは困る。

 宮城との関わりが深くなりそうで怖い。

 私は、それほど濃い関係は望んでいない。

 白すぎず、黒すぎないグレー程度の友人関係でいい。

 じゃないと、来年上手くさよならできないような気がしてくる。


 それに、私は宮城にされたことをそれほど嫌だとは思わなかった。

 そういうのは違う。

 何が違うか説明できないが違う。


 私は消しゴムを手に取って、宮城に向かって投げる。

 緩やかなカーブを描いた消しゴムは、教科書を超え、彼女の横に転がる。


「今日、あんまり喋らないよね。なんかあった?」


 顔を上げた宮城に声をかけてブラウスの上から二つ目のボタンを外すと、不自然なくらいに目をそらされる。

 私ばかり感情を乱されているのは不愉快だ。

 少しは宮城も困ればいい。


「ない」


 宮城が無愛想な声で言い、すぐに読んでいた本に視線を落とした。


「好きな人の話でもする?」

「しない」


 知ってる。

 そういう話が好きそうには見えない。

 噂話にも疎い方だと思っていたが、それは違った。私が告白されたことを知っているくらいだから、それなりのネットワークがあるらしい。


「宮城、好きな人いないの?」

「そういう話、好きじゃない」

「じゃあ、なんでこの前、そういう話振ってきたの?」


 わざわざ告白を断った理由を聞くほど、話をしたがった。

 それを忘れたとは言わせない。


「……」


 返事をする気がないらしく、漫画のページをめくる音が聞こえてくる。


「宮城」


 返事を催促するけれど、彼女はぴくりとも動かない。

 でも、よく見れば宮城の眉間には皺が寄っていた。

 私は首筋を軽く撫でる。


 こんなところにキスするからじゃん。


 自業自得だ。

 反省すれば良い。

 けれど、私を無視する宮城と同じ部屋にいるのも面白くない。


「そうだ。ゴールデンウィーク中、本貸してよ」


 そろそろ許してあげようと、話を変える。


「やだ」

「言うと思った」


 こういうところはいつもの宮城だ。

 ずっとこうだといいのにと思う。

 いつもと同じことが繰り返されていれば、平和な時間が長続きする。


 感情のジェットコースターなんて御免だ。

 だから、宮城の変わらない返事は心地が良かった。

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