第26話

 たいして喋らない宮城というのは珍しいものじゃない。もともと宮城は、私と一緒にいてもそれほど喋らなかった。それを思うと、たいして喋らない宮城は通常営業に戻った宮城と言うべきなんだろう。


 あまり楽しくはないが、仕方がないことだと思う。

 彼女の機嫌は、私の気分でどうこうできるものじゃない。


 また愛想が悪くなった宮城をそんな風に考えて受け入れたものの、すぐにゴールデンウィークに入ってしまって彼女とはそれきりだ。


 休みが明けて、二日。

 私は、宮城を今日まで見ていない。

 廊下ですれ違うこともなかった。

 クラスが違えばこんなものだ。


 別に寂しいとは思わない。

 話す相手には困っていないし、新しい友だちも増えた。


 学校生活に大きな不満はない。ほどほどに上手くやっているし、それなりに楽しい。新しいクラスでも八方美人だなんて声が聞こえてくることもあるが、そんなことは取るに足らないことだ。


「ちょっと隣、行ってくる」


 休み時間に入って騒がしい教室の中、斜め前の席に座っていた羽美奈が唐突に宣言する。


「どうしたの?」

「教科書忘れた」


 羽美奈が怠そうに言って「やっぱり、サボろうかな」と付け加えると、すかさず麻理子まりこがそれを止めようとした。


「やめときなよ。今度サボったら反省文とか言われてたじゃん」

「んー、反省文くらい書いてもいいけど。ま、今回は隣で借りてくる」


 やる気のなさそうな声を残し、羽美奈が教室を出て行く。


 真面目とは言い難い彼女は、二年生のときから授業をサボるという悪行を続けている。これまでにも何度か呼び出しを食らっているが、三年になっても懲りていない。


 二年のときも同じクラスだった麻理子も去年は羽美奈に付き合って授業をサボっていたが、進路という壁が目に見えるようになった三年になって心を入れ替えた。


 仲良しグループというのは、こういうときに面倒だ。

 一人が悪ければ、その仲間だって悪いことをしている。

 そう見られてしまう。


 実際、麻理子は授業をサボった過去を持っている。そのせいか推薦が欲しいらしい彼女は、内申点を気にして羽美奈を止める側に回っている。


 今さら、内申点を気にしてもね。

 もう遅いんじゃないかという気がする。

 まあ、何もしないよりはマシではあるけれど。


 私は、机の中から教科書とノートを引っ張り出す。

 授業が楽しいわけではないが、サボるつもりはない。仲間とは違うという良いイメージを保つ努力も必要だ。


「あ、ノート。後から貸して。コピーしたい」


 麻理子の言葉に頷くと、後ろから軽い声が聞こえてくる。


「借りてきた」


 羽美奈が片手に持った教科書を見せて、席に座る。


「それ」


 思わず声が出る。

 それは次の授業に使う現代文の教科書で、おかしなものではなかった。

 ただ、表紙に折れた跡がある。


「これ?」


 羽美奈が不思議そうな顔をして、教科書を見た。


 私は、手をぐっと握りしめる。

 羽美奈の手にあるものが特別なものみたいに“それ”なんて。

 口に出すべきじゃなかった。でも、形にしてしまった言葉を取り消したら余計に変だし、羽美奈が面白がって食いついてきそうだ。


瑠華るかのじゃないよね。誰に借りたの?」


 瑠華は、羽美奈が教科書を借りるつもりだったであろう友人だ。だが、彼女が持っている教科書は瑠華のものではないし、他の友だちのものでもない。


 羽美奈の手にある教科書は、宮城のものだ。

 表紙の折り目は私がつけたものだから、間違えるわけがない。


「なんでわかったの?」

「なんとなく」


 わかった理由は伏せておく。

 教科書を一目見て誰のものかわかるほど私と宮城が親しいなんて羽美奈は知らないし、知らせる必要もないことだ。


「瑠華に借りようと思ったんだけど、いなくてさ。二年の時、同クラだった子に借りてきた。えーと、誰だっけ。髪長くて地味な子」


 ほら、あの子なんて言いながら、羽美奈が記憶を探る。

 でも、きっと羽美奈は思い出さない。

 だから、私がかわりに答える。


「……宮城?」

「あー、そうそう。宮城だ。葉月って、記憶力良すぎじゃない? 人の名前忘れないよね」


 感心したように羽美奈が言って、教科書をじっと見た。そして、すぐに笑い出す。


「てか、宮城って地味な感じなのに、教科書豪快に折ってるじゃん。ウケる」


 けらけらと羽美奈が笑い続け、それをかき消すようにチャイムが鳴る。麻理子が慌てて席に戻って、先生が教室に入ってくる。


「静かに。授業、始めるぞ」


 バンと教卓を叩いて、先生が言う。

 そして、ざわついた教室が静まる前に授業が始まった。


 お世辞にも綺麗とは言えない字が黒板に書かれる。あまりにも板書に向いていない文字は、地面に這い出してきたミミズのようで解読に苦労する。


 私は、斜め前の席に視線をやる。

 目に映るものの大半は羽美奈の背中で、教科書はよく見えない。


 視線を黒板に戻して、ノートに文字を写し取っていく。

 折り目のついた教科書を私のものだなんて言うつもりはないが、羽美奈が使っていると思うとノートを取る腕が酷く重く感じる。


 掠れた先生の声が不快で、苛々する。

 パキッ。

 小さな音を立てて、シャープペンシルの芯が折れる。


 羽美奈は宮城の名前すら覚えていないのに。


 私は、目を閉じる。

 教科書が連れてくるこの気持ちは、追及してはいけないものだ。こういう不可解な気持ちは、面倒なものに繋がる。


 だから、目を閉じる。

 教科書はどうでもいいもので、気にするようなものじゃない。


 私は目を開けて、黒板を見る。

 先生の声を聞いて、ノートを取って。

 頭に余計なものが詰まったままそんなことを繰り返していると、授業が終わっていた。


 時間はどんどん過ぎていく。

 気がつけば、午後の授業の終わりが近かった。

 こういう日に限って、宮城は連絡してこない。


 何なんだよ。

 今日みたいな日は連絡してきなよ。


 心の中で文句を言う。


 今日、家に行くから。

 そういう連絡を私からしたことはないけれど、こっちから連絡してはいけないという決まりはない。


 宮城から連絡してくることが当たり前になりすぎているだけで、私から連絡したっていいはずだ。


 授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、スマホを手に取る。

 私は、小さな画面をじっと睨む。


「連絡待ち? 彼氏とか?」


 羽美奈の声が聞こえて、顔を上げる。


「彼氏作ってる時間ないし」

「えー。欲しいなら、良い人紹介するよ?」

「今はいいかな。受験終わったらで」

「そっか。今日、塾だっけ?」


 何度訂正しても予備校を塾と言う羽美奈に尋ねられて、「ないよ」と告げる。


「じゃあさ」


 あそこに行きたい、あっちにも行きたい。

 羽美奈が希望を述べて、後からやってきた麻理子が同意する。


 私は、スマホを鞄にしまう。

 やっぱり宮城の方からしてくるべきだ。

 私から連絡するのは違う。


 ホームルームが終わる頃には行き先が決まって、私たちは教室を後にした。

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