宮城について知っていること

第145話

 月曜の朝、宮城がいないなんてことは予想できていた。

 その日のうちに帰ってこないとは思わなかったけれど、宮城の性格を考えれば帰らないという選択をしても不思議はない。でも、三日も帰ってこないとは思わなかった。


「すぐに帰ってくると思うじゃん」


 ため息を一つついてから、オレンジジュースをグラスに注ぐ。

 一日置けば気持ちも落ち着いて、気まずそうに帰ってくる。

 そう思っていたのに、四日目の朝になっても宮城が戻ってきていないことに不安を覚える。


 ルームメイトとは言えないことをした翌日、ルームメイトとして顔を合わせることが難しいことは理解できる。私だってどういう顔をして宮城に会えばいいのかわからなかった。時間が必要だとは思ったけれど、三日は長い。


 私はグラスを持って部屋へ戻る。

 行き先については、それほど心配していない。


「たぶん、宇都宮のところだよねえ」


 オレンジジュースを半分ほど飲んでテーブルにグラスを置く。

 宮城に送った『宇都宮の家にいるの?』というメッセージに『心配いらない』とだけ返ってきたから、この考えは間違っていないと思う。違うなら『舞香の家じゃない』と文句の一つでも言ってきそうだ。


 こういうとき、宮城に行く場所があることにほっとしてはいるけれど、相手が宇都宮だということに複雑な気持ちはある。


 なにかあると思っているわけではない。

 なにもないだろうけれど不満だというだけだ。


 それでも宮城が誰の家に泊まっているのかわからず、居場所の心配をしているよりはずっといい。

 ただ、このまま宮城が家に帰ってこないと、宇都宮が宮城のルームメイトになってしまいそうだ。それは困る。宮城はそろそろこの家に帰ってこなければいけない。


 私はベッドに倒れ込む。

 カバーもシーツも洗った。

 それなのに宮城の匂いがするような気がする。日曜日のことは後悔していない。でも、この部屋がその場所になったことは後悔している。ベッドの上にいると思い出さずにはいられない。


 ここに宮城がいて、彼女に触れて、キスをして、それ以上のことを――。


 記憶は鮮明で、宮城がいないから余計に思い出してしまう。

 いつものように一緒に食事をして、ルームメイトとして過ごしていれば記憶を夢の中に閉じ込めることができそうだけれど、本人がいないと罪悪感が薄れて妄想が一人歩きする。


 本当に嫌になる。

 帰ってこない宮城に不安になりながらも、日曜日の宮城のことを考えている。


 私は頬をぱちんと叩いてから、スマホを手に取る。

 さっき宮城にいつ帰ってくるのか尋ねるメッセージを送ったけれど、スマホは沈黙したままだ。それでも一応画面を確かめる。


 やっぱり返信はない。

 おかげでそろそろ講義が始まるけれど、大学に行く気がしない。


 宮城がいなくなってから何度か考えたことだけれど、彼女の大学へ行こうか迷う。宇都宮の家は知らないが、大学ならわかる。宇都宮と一緒にいるのなら大学をサボったりはしていないはずだから、行けば宮城に会えるかもしれない。


 それでも迷う。


 記憶の中の宮城に囚われているよりも本人を捕まえにいったほうがいいことはわかっているし、宮城に会いたい。でも、どういう顔をして彼女に会えばいいのかわからない。おそらく私は、宮城以上にルームメイトとして彼女と顔を合わせることが難しいと思っている。


 理由はとても単純なもので、できれば認めたくなかったものだ。

 今も気がつかなかったことにしたいと思っている。


 私はきっと。

 ずっと長い間。

 宮城が好きだった。


 いつ感情を奪われたのかわからない。奪われたというよりは、蝕まれたと言った方がいいような気がする。宮城はじわじわと私の中に入り込み、知らぬ間に根を下ろして住み着いていた。私は追い出せないくらいまで育った想いを暗くて狭い場所に押し込んで、五千円という覆いをかぶせて用心深く見ないようにしてきた。


 しまい込んだ感情を刺激するものがあっても、その感情を無視していればそれはないも同然だ。友だちという関係ですらなかった宮城がルームメイトになってもそれは変わらない。心の片隅で静かに息をしていたそれが、高校を卒業して五千円という覆いがなくなり存在を主張し始めても注意深く見ないようにしてきた。


 日曜日が来るまでは。


 今までにないくらい宮城に触れたことで、ずっと隠して見ないようにしてきた感情はいとも簡単に私の視界に入ってきて、外へ飛び出した。


 ――仙台葉月は宮城志緒理が好きだ。


 自覚してしまったら、もう無視することはできない。

 私は今も宮城のことばかり考えている。


 宮城はもう許してはくれないだろうけれど、また彼女に触れて、キスをして、私だけが知っている声を聞きたいと思っている。こんな気持ちのまま宮城に会ったら、ルームメイトとして接することができるのかわからない。自覚した感情とどう向き合ったらいいのかわからない今、彼女がいないことに安堵している自分もいる。そして、好きだという気持ちを宮城を探しにいかない理由に使っている自分を嫌悪している。


 宮城はいてもいなくても私の感情を左右する。

 本当に面倒くさいヤツだと思う。


「今日も帰ってこないかな」


 自発的に帰ってきてくれれば、無理矢理にでも気持ちを整理するしかなくなってルームメイトらしく振る舞うことができそうな気がする。でも、自発的に帰ってきそうにない。


 私はベッドから起き上がる。

 卒業前に宇都宮の連絡先を聞いておけば良かったと思う。私がなにを言っても無駄だろうけれど、宇都宮から帰るように言われれば宮城も大人しくいうことをきくはずだ。だが、宇都宮に連絡を取ることはできないのだから、宮城を連れ戻すなら彼女の大学へ行くしかない。


「普通、適当なところで帰ってくるでしょ」


 部屋の中をくるりと一周回って、スマホを見る。

 息を吸って、長く吐く。

 宮城にいつ帰ってくるのか尋ねるメッセージをもう一度送る。

 昼まで待って返事がなかったら彼女の大学に行くと決める。


 何度も大学をサボるわけにはいかないし、時間が経ちすぎれば気まずさが増す。宮城に会えるかどうかはわからないが、彼女の大学に行くなら今日しかない。宮城に会えなくても宇都宮に会えるかもしれない。


 日曜日に宮城に触れて、思っていた以上に彼女に受け入れられていたことはわかった。嫌われてはいないと思う。私が嫌いなら、あんなことを許すわけがない。今はそう思うしかない。


 私は鳴らないスマホをテーブルの上に置く。

 ベッドに倒れ込んで、目を閉じる。

 頭にやっぱり宮城が浮かんで、ため息が一つ出た。

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