宮城が見たいもの

第242話

 スマホで天気予報を確認する。


 晴れ時々曇。

 降水確率十パーセント。


 宮城が今日、動物園に行きたくないと駄々をこねる要素はどこにもない。朝から何度も確認しているけれど、天気は良いし、雨も降りそうにない。動物園日和と言ってもいいと思う。


 作ったかいがあったかな。


 ドアノブにかけてあるてるてる坊主を手に取る。

 宮城の部屋にもあるはずのそれは、しっかりと役目を果たしてくれた。私はティッシュで作った小さな人形にキスをして、またドアノブにかける。共用スペースへ行き、早めのお昼ご飯を用意する。


 フライパンを出して、ハムを並べて卵を落とす。

 水を加えて蓋をすると、宮城が部屋から出てくる。


「仙台さん、手伝う」

「じゃあ、パン焼いて」

「わかった」


 宮城がパンを焼きはじめてしばらくすると、ハムエッグができあがる。バターとジャムを用意して、ハムエッグをのせたお皿と一緒にテーブルの上へ置く。すぐに宮城がオレンジジュースが入ったグラスを二つテーブルに並べ、焼いたパンを持ってきて、私たちは椅子に座った。


「いただきます」


 合わせたわけではないけれど、声が揃う。

 宮城がパンにバターとジャムを塗って囓る。同じようにバターとジャムをパンに塗っていると、「仙台さん」と呼ばれた。


「なに?」

「見たい動物っていないの?」

「ハシビロコウ」


 宮城がいなければ一生口にすることがなかったであろう動物の名前を口にして、パンを囓る。バターとジャムが口の中で混じり合い、程よい甘みが広がる。


「ハシビロコウ以外に」

「宮城は?」

「私じゃなくて仙台さんが見たい動物なんだけど」


 同じことを去年も聞かれたけれど、何度聞かれても答えは変わらない。


 私は楽しそうな宮城が見られたらそれでいい。


 でも、それは口にすべきものではないから、当たり障りのない言葉に変換する。


「人間観察がしたいかな」

「なにそれ。動物じゃないじゃん」


 宮城が低い声で言い、目玉焼きの白身をフォークでつつく。


「人間も動物だし」

「そうだけど」

「宮城はハシビロコウ以外に見たい動物いないの?」


 私は、不満そうな顔をしている宮城をじっと見る。


「……トラ」


 オカピとか、バクとか。


 昨日の夜、園内マップを一人で確認しながら、宮城ならそういう変わった動物を見たいと言いそうだなんて考えていたけれど、見事に予想が外れた。トラなんて当たり前の動物が出てくるとは思っていなかった。


「ペンギンは?」


 宮城が絶対に見たいと言いそうな動物の名前を投げかける。


「見る」


 短いけれど、はっきりとした声が返ってくる。


 やっぱりペンギンが好きらしい。


 水族館へ行ったときのように笑顔を見せてくれるかわからないけれど、ペンギンの前で写真を撮ろうと心に決める。


「食べ終わったら、宮城の部屋に行っていい?」

「やだ」


 予想通りの答えが返ってきて、私はハムエッグを一口食べてから理由を尋ねてみる。


「なんで?」

「スカートはけとか、そういうこと言いそうだから」

「スカート、はかなくていいよ。風邪引かれても困るし、暖かい格好しなよ。宮城は、私に顔を貸してくれたらいいから」


 スカートをはいてくれたら嬉しいけれど、寒がりな宮城に無理をさせたくない。でも、メイクはしたい。


「私の顔じゃなくて、自分の顔にしたらそれでいいじゃん」


 私がしたいことがわかったらしい宮城が眉根を寄せ、オレンジジュースを飲む。


「軽くだし、宮城の顔貸してよ」


 私は、目玉焼きの黄身を崩して白身を頬張る宮城を見る。


 彼女はメイクをしなくても可愛い。

 でも、メイクをした宮城も可愛いからそういう彼女もたまには見たい。


 そして。


 私はメイクを口実に、少しでも宮城の近くにいたい。髪に触れ、頬に触れ、不機嫌そうに眉根を寄せる彼女を近くで見たい。文句を言いながらも目を閉じてと言えば閉じてくれる宮城が可愛いし、リップを塗らせてくれる宮城が可愛い。だから、そういう彼女を少しでも長く見ていたいと思う。


「……やだ」

「嫌でもいいけど、部屋には行っていいでしょ」

「部屋に来るだけなら、いちいち聞かなくてもいいじゃん」

「聞いてもいいでしょ」

「好きにすれば」


 面倒くさそうに宮城が言って、大きな口でパンを囓る。私もパンを囓り、咀嚼して、ハムエッグを食べる。もぐもぐむしゃむしゃと早めのお昼ご飯を平らげて「ごちそうさま」と言うと、宮城からも「ごちそうさま」と聞こえてきて、二人で食器を片付ける。のんびり食事をしていたわけではないけれど、時間はそれなりに経っていて、私は急いで部屋に戻り、着替えとメイクをすませる。


 宮城にははかなくて良いと言ったスカートをはいた私は、少し迷ってから髪を結んでポニーテールにして、宮城が嫌だと言っていたメイク道具と一緒に彼女の部屋へ行く。ドアは二回のノックで開き、セーターとデニムという暖かそうな格好をした宮城があからさまに嫌そうな顔をした。


「軽くだし、いいでしょ」


 メイク道具が入ったケースをじっと見ている宮城に声をかけると、「入れば」と言われて部屋の中に入る。テーブルの上にケースを置いて、いつもの場所に座る。でも、宮城はベッドの前に座った私とは違う場所に座った。


「そっち行っていい?」


 一応、尋ねてみる。


「やだ」

「じゃあ、こっちに座って」


 隣をぽんと叩いて宮城を見ると、たっぷり三十秒は迷ってからぺたぺたと猫のように四つんばいでこちらへやってくる。そして、隣にちょこんと座って私の首筋を撫でた。


「もう消えてる」


 撫でられたそこは一昨日、宮城にキスマークをつけられたところで、髪でかろうじて隠れる場所だ。今日はポニーテールにしているからわざわざ言わなくても印がないことくらいわかるはずだけれど、声に出して伝えておく。


「見たらわかる」


 宮城の指が印があった場所を這う。

 つけられた印はとても薄いものだったから、考えていたよりも早く消えてしまった。


「今日は目立つところにつけないでよ」


 首筋を撫でる宮城の手を掴む。


 昨日、バイトへ行く前につけられた印は、無難としか言い様のない場所に残っている。今日も同じような場所ならいいけれど、服で隠れないような場所に印をつけられたら困る。動物園に行けなくなるわけではないが、宮城がつける印はキスマークだから、誰からも見える場所につけられたら隠す努力をすることになって家を出る時間が遅くなる。


「目立つところじゃなかったらいいの?」


 良くはない。

 早く用意をして家を出た方が良いと思っているし、今日はバイトの日ではない。だから、良くはないはずなのに宮城から印をつけられたいと思っている。しかも、目立つものでもかまわないと思う私もいる。


 一昨日もそうだ。


 タートルネックで隠すことができない場所につけられた印は目立つというほどのものではなかったし、髪で隠れてはいたけれど、誰かに見られてもおかしくないものだった。ただ、ファンデーションで隠そうと思えば隠すこともできた。でも、私は印を隠さずにバイトへ行くことを選んだ。


 たぶん、私は印を誰かに見つけてほしかったんだと思う。


 もっと正確に言うなら、澪にそれがキスマークだと言ってほしかったのだと思うし、跡をつけた相手が誰なのか聞いてほしかったのだと思う。私の宮城への想いを澪が知ったら面倒くさいことになるとわかっていても、そう思う私がどこかにいた。


 結局、薄くついた跡に気がつかれることはなかったけれど。


「そんなことは言ってないし、メイクするから大人しくしてて」


 掴んでいた手を離すと、宮城が嫌だというように眉間に皺を寄せたが、声に出して嫌だとは言わない。だから、私は彼女に軽くメイクをしてからキスをした。


「仙台さん、すぐ余計なことする」


 低い声を出した宮城が肩を押してくる。


「いいじゃん。キスくらい」

「良くない。早く行こうよ」


 宮城が立ち上がり、コートを着る。私に印をつけずにマフラーと手袋を持つと、「仙台さん」と急かすように私を呼んだ。


「玄関で待ってて」


 宮城にそう言い残して、部屋へ戻ってコートを着る。玄関へ行くと宮城が待っていて、私たちは靴を履いて外へ出る。


 先に階段を下りて、振り返って宮城を見る。


 私のピアスとお揃いのマフラー。


 青い石と青い空に、青いマフラーはぴったりだと思う。


 動物園へ行く。

 友だちと遊びに行くくらいのものをデートだと思っているのは私だけだけれど、今日が楽しい日になればいい。

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