仙台さんには印が足りない

第265話

 自分でも感じが悪いと思う。

 でも、上手く返事をすることができないし、愛想を良くすることもできない。


 澪さんのことは嫌いではないけれど、彼女のノリについていけないし、澪さんとばかり話す仙台さんを見ていると楽しい気分にはなれない。


 私は幸せそうにどら焼きに齧り付いている澪さんを見ながら、心の中でため息をつく。


「志緒理ちゃんも食べて」


 明るい声が向かい側から飛んできて、私は「うん」と返事をしてからテーブルの上のどら焼きを手に取る。そして、すぐに後悔した。


 今の返事にもう一言付け加えられたら。


 感じが良くなったりはしなくても、明るい雰囲気にはできたかもしれない。

 私はあんこの代わりにカスタードクリームが入っているらしいどら焼きの袋を開けて、一口囓る。


 甘くて、美味しい。

 どら焼き感はないけれど。


「澪、これ甘すぎない?」


 仙台さんの声が響いて、澪さんが軽い調子で「こんなもんじゃない? 志緒理ちゃんはどう?」と私に話を振ってくる。


「丁度いいと思う」

「だってさ。葉月の負けだね」

「宮城、私の味方しなよ」

「志緒理ちゃんはあたしの味方。ね?」

「え、味方っていうか……」


 なんて続けたらいいんだろう。


 澪さんから名前で呼べだの敬語はやめろだのと注文がつけられているからそれが気になって、そして、澪さんとばかり喋る仙台さんも気になって、上手く口が動かない。


「葉月、大人しく負けを認めなって」

「まあ、多数決だと私の負けだね」


 仙台さんが軽い声で言って、どら焼きに齧り付く。澪さんは満足そうにサイダーを飲んでいる。会話は終わらない。二人は春休みにあったことだとか、大学のことだとかを話している。


 ときどき澪さんが意見を求めてくるから、二人の会話に耳をかたむけているだけではいられない。

 タイミングを合わせてなんとか口を開くが、そのたびに気が重くなる。


 上手く返事ができない。

 空気を悪くしているとしか思えない。

 この場に私はいらないような気がする。

 

 違う。


 いらないのは――。


 いや、それは言い過ぎだ。


 せめて、澪さんが予定通りに来てくれたら良かった。時間を守ってあと三十分遅く来てくれたら、私は仙台さんにもっと跡をつけることができていたはずだ。


 印は薬のようなもので、数があればあるだけ落ち着くことができる。凪いだ海のような気持ちでいられれば、ぶくぶくと泡だらけの気持ちでいるよりも、マシな対応ができただろうし、後悔ばかりするこんな時間を過ごさずに済んだ。


「そうだ、志緒理ちゃん。今度一緒にご飯食べに行こうよ」


 どら焼きを食べ終えた澪さんが、ポテトチップスを開けながら明るい声で言う。


「澪、ご飯って?」


 私が問い返す前に、何故か仙台さんが問い返す。


「ご飯はご飯でしょ。他にも友だち誘うし、みんなで一緒に食べようよ。どう? 志緒理ちゃん」

「みんなって……。どういう感じの人?」


 ご飯を一緒に食べるつもりはないけれど、いきなり断るのも角が立ちそうで、なんとなくどういう友だちが来るのか聞いてみる。


「んー、いわゆる出会いを演出する会というヤツなんだけど、興味ない? 志緒理ちゃんの好きなタイプを教えてくれたら、そういう人誘うけど」

「澪。すぐに人をそういうところに誘うの、やめなよ」

「えー、いいじゃん。志緒理ちゃん、彼氏ほしくない?」

「私はあんまり」


 彼氏を作ることに興味はない。それよりも仙台さんのことが気になる。すぐに人をそういうところに誘うと仙台さんに言われる澪さんが、仙台さんを誘わないわけがない。


 私は、仙台さんが選んだ青いスカートをぎゅっと握る。


 仙台さんは私のものだけれど、私の知らないことがたくさんある。澪さんにそういう集まりに誘われて、私の知らない誰かとご飯を食べていたり、楽しそうにしていたりしても、彼女がそれを言わずに黙っていたら私は知ることができずに終わる。


 仙台さんはバイト以外で遅く帰ってくることはほとんどないけれど、まったくないわけじゃない。だから、そういうことがあってもおかしくはない。


「あんまり、かあ。こんなところで葉月と意見合わせなくても」


 私は残念そうな声を出した澪さんではなく、仙台さんを見る。


「仙台さん、そういうの行かないの?」

「あんまり」

「ほんと付き合い悪いよね、葉月。たまには来てよ」


 あっさりとした仙台さんの答えに、澪さんがため息交じりに告げる。


「まあ、暇なときにね」

「葉月の暇なときって当てにならないからなー。暇なときこないじゃん」

「結構、忙しいし」

「暇作ってよ」


 不満そうな声に、仙台さんが「善処する」と返す。


 今の話がどこまで本当かわからない。けれど、あんまりという仙台さんの言葉も、付き合いが悪いという澪さんの言葉も嘘のように思える。


 それは、どちらも私が知っている仙台さんとは違うからだ。


「……仙台さん、高校のときは茨木さんとそういうの行ってたじゃん」


 思っていたことが口からぽろりとこぼれ出る。

 仙台さんが男子と会っている現場は見たことがないけれど、教室で茨木さんとそういう話をしているところは見たことがある。だから、間違っていないはずだ。


「えっ、葉月って高校の時は付き合い良かったの?」


 澪さんの驚いたような声が部屋に響く。


 その声から、彼女の「ほんと付き合い悪いよね、葉月」という言葉に嘘がなかったことがわかる。でも、嬉しくない。そういう場所に行かなくても、付き合いが悪くても、友人関係を保っていられるくらい二人が親しいなんて知りたくはなかった。


「付き合い良かったっていうか、断る理由がなかったし」


 思った通り、仙台さんは過去を否定しない。


「あたしは断ってもいい人ってこと?」

「そういうわけじゃないけど、忙しいし」

「はあー、葉月の中の優先順位上げてもらえるようにがんばろ。打倒! 茨木って感じ」


 澪さんが仙台さんにとって、茨木さんのような人だったら良かったのにと思う。今、私の目に映っている仙台さんは、私と一緒にいるときの仙台さんに近い。


 こういう仙台さんは、仙台さんじゃない。


 私以外の人といるときの彼女は、八方美人と言えるくらい人当たりが良くて優しかったはずだ。それなのに、澪さんといる仙台さんは私といるときほど言いたい放題ではないけれど、それなりに思ったことを口にしているように見える。


 こういう仙台さんは見たくない。


「心配しなくても澪の優先順位はそこそこ高いから」


 私の仙台さんがあまり聞きたくないようなことを言って、にこりと笑う。


 仙台さんは優先順位なんて作ってはいけない。

 私のものなのだから、私以外の人を入れる隙間を作るべきではないと思う。


「そこそこって結構酷いんだけど」

「大丈夫。酷くないから安心して」

「そっかあ。じゃあ、やっぱりご飯行こう。志緒理ちゃんもいいよね?」


 楽しそうに仙台さんと冗談を言い合っていた澪さんが笑顔を向けてくる。


「澪。だから、出会いはいらないから」


 私が答える前に、仙台さんが答える。

 今日の彼女は私から言葉を奪ってばかりだと思う。


 積極的に澪さんと喋りたいと思っているわけではないが、仙台さんがなにかにつけて澪さんを遮り、二人で話そうとするのは面白くない。仙台さんが割って入ってくれるから答えにくいことを答えずにすんで助かっているのに、文句を言いたくなる。はっきりと言えば、澪さんと二人で話してほしくない。


 私はこの気持ちの正体を知っている。


 ――嫉妬。


 一度自覚してしまった感情に、おもりをつけておくことはできないらしい。心の底に沈めておこうとしても、ぷかぷかと浮いてきて、私がどういう気持ちでいるのかを知らせてくる。今も気づきたくないのに、私がつまらない感情に支配されていることに気づかせてくる。


「三人だから大丈夫。志緒理ちゃんも三人ならいいでしょ?」


 澪さんの声が私に向けられる。


「うん」


 短く答える。

 そして、三人でご飯を食べに行くことを想像して、むかつく。仙台さんと澪さんが楽しそうに話しているところを想像して、むかつく。

 むかつく。

 むかつく。


 今も未来も私の仙台さんと楽しそうに喋っている澪さんに、嫉妬している。そういう自分にむかついている。


 でも、この気持ちを持って行く場所がない。


 心にぷかぷかと浮かぶ嫉妬という文字を眺めていることしかできなくて、苦しい。この気持ちをどこかに捨ててしまいたい。猫が毛玉を吐き出すように吐き出して、自分の部屋に戻って布団にくるまることができたらいいのにと思う。


 それができないのなら、澪さんの口にペンギンのぬいぐるみを押し込んで封をしてしまいたい。


 私は仙台さんの青いピアスを見る。

 耳だけじゃ足りない。

 澪さんが来る前につけた赤い印も足りない。

 もっとたくさんつければ良かった。

 澪さんに見える場所にもつければ良かった。


 赤く染まった場所は私の陣地で、澪さんのものにはならない。そんなくだらない馬鹿げた考えを実行しておけば、人の口にぬいぐるみを突っ込みたいなんて最低な気持ちにならずに済んだ。


「志緒理ちゃんってさ」


 澪さんに呼ばれて、頭の中を埋め尽くしていたくだらないことを追い出す。でも、なんの話をしていたのかまったくわからない。二人の話を聞いていなかった。


「眉間に皺寄りがち?」

「え?」


 思わず指先で眉間を押さえる。

 まったく意識していなかったけれど、あまり良くないことを考えていたから皺が寄っていたかもしれない。だとしたら、不機嫌そうに見えていたはずで、さすがにそれは澪さんに悪い。


「今、ここに皺作って難しい顔してた」


 澪さんが自分の眉間をつつきながら、にこりと笑う。


「あ、ごめん。夕飯なに作ろうか考えてた」


 私は取り繕ように笑顔を作る。


「そうなんだ。せっかくだし、三人で食べようよ。夕ご飯」


 後悔しても時間は戻らない。

 それでも私は、自分が口にしたことを後悔せずにはいられなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る