第33話
先生の話が長い。
わざと長くしているのかと思うくらい長い。
チャイムはもう鳴った。
私は教科書とノートを閉じて、ペンケースから消しゴムを取り出す。教壇に立ち続ける先生には早く出て行けと念を送り、つま先で床を蹴る。
早く、早く、急いで。
穴が開くほど先生を見ていると、宿題がどうしたこうしたと言いながらプリントを配り、のろのろと教室から出て行った。
私はすぐに机の上を片付けて、羽美奈の元へ行く。
「ごめん、先に食べてて。ちょっと行くところあるから」
お昼休みは休憩時間としては長いが、これからすることを考えると短い。のんびりとしている暇はなかった。
「いいけど、どこ行くの?」
「隣に用事」
そう言い残して、隣のクラスへ向かう。
手の中には消しゴムが一つ。
隣のクラスにはその持ち主がいる。
一組は廊下を歩けばすぐそこで、入り口にいる女子に愛想良く笑いかけて宮城を呼んでもらう。「宮城さーん」と高い声が教室に響いて、「なに?」と宮城の声が聞こえてくる。
声の出所は、一番後ろの席の一つ前。
友だちと一緒にいる宮城は、驚いた顔をしていた。そんな彼女に追い打ちをかけるように、呼び出しを頼んだ女子が「友だち来てるよ」と付け加える。
宮城がその声に不機嫌な顔をする。
でも、それは一瞬だった。
さすがに学校では怒らないか。
そうなったら面白いと思うけれど、宮城はよそいきの顔を崩すつもりがないらしい。“友だち”という台詞に目を丸くした友だちに話しかけられ、曖昧な顔をして何かを答えてから私の元へやってくる。
「……ここ学校」
不機嫌に、でも困ったように眉を寄せて宮城が言う。
「知ってる」
「じゃあ、話しかけないでよ。そういうルールじゃん」
噛みつくような声は、不満しかない。
だが、周りに聞こえてはいけないということは意識に残っているらしく、私にだけ聞こえるような小声で話す。
「これ、ポケットに入ってたから。こういうの返すのって落とし物届けるみたいなものだし、学校で話しかけてもおかしくないでしょ」
私は、手の中の消しゴムを宮城に見せる。
「こんなの――」
「返さなくていいし、あげる。でしょ?」
言いかけた台詞を奪うと、宮城が黙り込む。
こんなときに言う台詞なんて決まっている。
それがわかるくらいに、私と宮城は一緒にいる。
「もらってもいいけど、その前に話があるから」
私は消しゴムをスカートのポケットにしまってから、宮城の腕を掴んだ。
「え、ちょっと」
「ここだと目立つから、ついてきて」
既に目立っているとは思う。
けれど、このまま教室の入り口で立ち話を続けるよりはいい。
私は宮城を引きずるようにして歩く。
昼休みの廊下はそれなりに人が多くて、宮城の手を引いて歩いているとさっきよりもさらに目立つ。宮城もそれに気がついて、すぐに私の手を振りほどいて自分で歩き出した。逃げたら追ってくるとでも思っているのか、文句も言わずに黙ってついてくる。
旧校舎の端の方、私は珍しく従順な宮城を音楽準備室に押し込む。そして、見たことのある楽器とよくわからない楽器が並んだ準備室の奧まで彼女を連れて行く。
「こんなところまで連れてきてなに? 私、お昼ご飯食べてたんだけど」
休み時間に生徒がやってくることが少ない場所に来た宮城は、機嫌の悪さを隠さなかった。何度も聞いたことのある低い声に、宮城が怒っていることがわかる。
「こうでもしないと話せないし、逃げるでしょ」
楽器が置かれた棚に背中を預けて、宮城の腕をもう一度掴む。
愛想をどこかに忘れてきたような顔をした宮城は、抵抗しない。大人しく腕を掴まれたまま私の前に立っていた。
「学校では話しかけないって約束じゃん」
「学校で話しかけたりしないし、連絡はスマホでって言ったのは宮城で、私もそうするとは言ってない」
これは詭弁だと思う。
去年、私もそうするといった意味で宮城の提案を受け入れ、それが二人のルールになった。だから、宮城の言葉の方が正しい。でも、引くわけにはいかなかった。
私には宮城に聞きたいことと、言いたいことがある。
「……だとしても、こんなところで話すことなんてない」
宮城は道理に合わない私の言葉を受け入れかけたものの、すぐに恨めしそうな目を向けてくる。
「宮城になくても、私にはある」
「じゃあ、今度うちに来たときに話せばいいじゃん」
「宮城ってこういうとき、私を呼ばないでしょ。それでそのまま終わりにしようとするでしょ」
「呼ぶよ」
「いつ?」
「……そのうち」
言葉に詰まり、呼ぶつもりを感じさせない声で宮城が言った。
やっぱり、ここで聞かなきゃ駄目だ。
今、手を離したら宮城とはこれっきりになる。
私は、彼女の腕を掴む手に力を入れた。
「聞きたいことあるから答えてよ」
良いとも嫌だとも聞こえてこないけれど、言葉を続ける。
「なんで私を追い出したの?」
お世辞にも綺麗とは言えない古びた準備室に、私の声だけが響く。
宮城は喋らないし、動きもしない。年季の入った音楽準備室に似つかわしくない磨かれた楽器が、私たちの間に流れる淀んだ空気を変えてくれることもなかった。
「答えなよ」
腕を引っ張ると、答えるつもりはないという意思を表すように宮城が一歩遠ざかった。
「命令しないでよ」
「するよ、命令。ここ、宮城の家じゃないから」
宮城が命令して良いのは、彼女の家の中だけだ。
五千円を払って、私に命令する権利を買う。
そういうルールで、それは学校では適用されない。
「用事が済んだから、帰ってもらっただけ。追い出したわけじゃない」
宮城が諦めたように言って、「もういいでしょ」と私の手を振りほどこうとする。でも、離すつもりはない。
「あれで用事が済んだの?」
「私が目を閉じてって命令して、仙台さんが目を閉じた。それで命令は終わり。他にすることなんてないでしょ」
「命令、本当にあれで終わりにして良かったんだ?」
「あれで終わりだって言ってるじゃん」
「あの先、何かしようとしたくせに。それはいいの?」
私は元から誠実な人間ではないけれど、宮城といるとそれが顕著になるような気がする。今だってそうだ。何かするように仕向けたのは自分なのに、宮城から答えを引き出そうとしている。
けれど、そう上手く事は運ばない。
「仙台さんの気のせいでしょ」
宮城は答えることを放棄して、私の手を振りほどく。
背を向けて準備室から出て行こうとするから、胸の辺りがむかむかとする。
「そうだ。宮城はさ、テスト勉強やってる?」
思いついたように声をかけると、怪訝そうな顔をして宮城が振り返った。
「急になに?」
「私はやってない。宮城のせいで進まない。責任取ってよ」
「意味わかんないんだけど」
「今、スマホ持ってる?」
「答える必要あるの? それ」
「持ってるか持ってないか聞いてるの」
「……教室に置いてきた」
「今日、呼びなよ。私のこと」
私からはメッセージを送らない。
送るのは宮城の役目で、それは今日だ。
彼女を甘やかすほど、今の私は機嫌が良くない。
「嫌だって言ったら?」
むっとした様子で宮城が言う。
彼女の気持ちがもう教室へ戻りかけているように見えて、気分が悪くなりそうになる。
「嫌でも呼んで、絶対に。あ、あと、消しゴム返す」
私は宮城に近づいて、彼女の目を見る。
そして、手首を掴んで無理矢理消しゴムを握らせた。
「いらない。あげる」
「じゃあ、宮城の家でもらう」
消しゴムは受け取らずに、宮城を置いて音楽準備室を出る。
教室へ帰るとお昼を食べる時間はなさそうで、私は次の授業の準備をする。
空っぽの胃を騙すように、口の中に飴を放り込む。
先生の長い話を聞いて授業を終えると、スマホには宮城からメッセージが届いていた。
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