第304話

 奇跡は簡単には起きない。

 大学へ行った私は舞香に捕まり、彼女のバイト先で昨日起こった出来事について喋り続けている。


 こういうことが昔もあったな。


 高校時代、仙台さんが教室に私を呼びに来たことについて、舞香と亜美から追及されたことを思い出す。


 今回はあの頃とは違って話せることが多いけれど、昨日あったことをすべて話すというわけにはいかない。隠したい部分がそれなりにあるし、根掘り葉掘り聞かれると困る。


 舞香に話すことを電車の中で考えてきたからなんとか対応できているけれど、長くは持たないと思う。


 そろそろ誰かに助けてほしい。


「志緒理、能登さんと仲良くなったの?」


 講義が始まる前の講義室、私の隣で舞香が楽しそうに言う。


 名前から始まり、私の知っている範囲の中で能登さんについてさっき説明した。――というか、することになったせいで、舞香は能登さんに興味津々だ。


「んー」


 仲良くなったとは言い難い。

 でも、仲良くないと言うと角が立つ。

 どう返事をするべきか迷っていると、鞄の中でスマホがメッセージの着信を知らせるメロディーを鳴らした。


 タイミングがいい。

 助かったと思う。


「ごめん。ちょっと待ってて」


 話したりないという顔をしている舞香に謝って鞄の中からスマホを出して画面を確認すると、そこには仙台さんからのメッセージが表示されていた。


『宮城のせいでめちゃくちゃ澪に追及されたんだけど』

『どういうこと?』

『心当たりあるでしょ』


 ないことはない。

 追及がなにに対して行われたのかわかっていて仙台さんに尋ねた。


 昨日、私が首筋に付けた跡。


 それが仙台さんに残っていたから、澪さんから追及されたのだと思う。でも、その跡は仙台さんが気合いを入れてコンシーラーで隠したせいで目立たなくなっていて、朝、私はすぐに気がつくことができなかった。


 ――そんな跡を澪さんは見つけた。


 それは仙台さんの努力を無にするほど、そして、私がすぐに見つけられなかったものを見つけられるほど、澪さんが仙台さんを見たということだ。


 スマホを持つ手に力が入る。


 私が仙台さんにつけた“私だけのもの”という印は、誰から見てもわかるようにつけた跡なのだからちゃんと見つかるべきだと思う。でも、仙台さんをそんな風に見ていい人なんて私以外にいていいわけがない。


 家庭教師の生徒も同じだ。


 今日、仙台さんは家庭教師のバイトがあるけれど、私が仙台さんにつけた“私だけのもの”という印は、生徒に見つかるべきだと思う。でも、生徒は見つけるほど仙台さんを見てはいけない。


『隠してたんだからバレなかったでしょ』


 仙台さんの身に起こったことを否定するメッセージを送ると、すぐに返事がくる。


『見つかった。宮城のせいだって言っといたから』


「なっ」


 思わず声がでて、口を押さえる。


「なにかあった?」


 隣で舞香が不思議そうな顔をする。


「あー、なんでもない。あれだって。仙台さんがなくし物したらしくて」

「へー、仙台さんでもそういうことあるんだ」


 私は舞香に「仙台さんも人間だしね」と返して、視線をスマホに戻し、ありえないことを言ってくる仙台さんにメッセージを送る。


『それ嘘でしょ』

『ほんと。信じてなかったけど』

『ほんとに?』

『澪めちゃくちゃウケてた。志緒理ちゃんがそんなことするわけないじゃんって』


 文字だけでは、仙台さんが言っていることが本当かどうかわからない。できることなら電話をかけて問いただしたいけれど、舞香の前で仙台さんに電話をかけたくはないと思う。


 今できないことを排除していくと私にはメッセージを送ることしかできなくて、『ならいい』と返信してスマホを鞄にしまう。


「仙台さん、なになくしたの?」


 舞香に尋ねられ、仕方なく答える。


「んー、レポートだって。間違えて持っていってないかって聞かれた」

「志緒理、間違えて持ってきたの?」

「間違えたりしてないし、たぶん、仙台さんが家に忘れただけだと思う」


 私はほかの誰かならありそうで、仙台さんにはなさそうなことを伝える。彼女はレポートを家に忘れていったことは一度もないはずで、たぶん、これからもないはずだ。


「えー、実は志緒理持ってきてるんじゃないの? ちゃんと探したほうがいいよ」


 舞香がふざけた調子で言って、「鞄の中に入ってない?」なんて付け加えてくる。


「入ってないから」

「そっか。それにしても忘れものなんて、仙台さんも完璧じゃないんだねえ。当たり前だけど、ほんと普通の人っぽい。高校のときから仲良くしておけば良かった」


 そう言うと、舞香が「はあ」と息を大きく吐く。そして、私の肩をぽんっと叩いた。


「あーあ、志緒理がもっと早く仙台さんを紹介してくれてたらなー」


 冗談だとわかっているけれど、舞香の言葉は私の心にグサリと刺さる。私がずっと隠していた秘密は後ろめたい気持ちを呼び覚ますもので、舞香から目をそらしたくなるものだ。


「それはごめん」


 小さく謝って、スマホが入っている鞄を見る。


 昨日、私には新しい秘密ができた。

 仙台さんがルームメイトではないものになった。


 それは舞香に言えるものじゃない。でも、澪さんが見つけた跡を舞香にも見つけてほしいと思う。けれど、秘密を知られたいわけじゃない。


 仙台さんのことを考えると、あちらこちらに矛盾が生じる。その矛盾を解消する方法がないから、頭の奥が痛くなる。


「反省してるならよろしい。で、さっきの話の続きだけどさ、能登さんと仲良くなったの?」


 明るい声が耳に飛び込んできて、ため息が出そうになる。


「あー、うん。まあまあ?」


 正しくない答えを告げる。

 本当に能登さんとまあまあの仲になったら困ると思う。能登さんと仲良くなんてなったら、昨日の質問以上のことを聞かれそうで嫌だ。昨日以上に面倒くさいことにはなりたくない。


「まあまあかー」


 舞香がしみじみと言うと、朝倉さんがやってきて私にとって都合の悪い話が終わり、二人がバイトの話を始める。ほっとしていると、講義が始まり、ゆっくりと半日が終わる。

 今日は一日が長く、お昼もすぐには終わらない。


 いつもの倍の時間をかけてランチを食べたような気がする。午後の講義も異常に長く感じた。それでも大学は終わり、私は二人と別れて家へと向かう。


 仙台さんと違ってバイトがない私は、寄り道をせずにまっすぐ帰る。おやつはプリンがあるから買わない。仙台さんが見かける三毛猫もいない。


 だから、予定通り家に着く。そして、仙台さんは当然帰ってきていない。

 共用スペースの椅子に座って、首筋を撫でる。


 私には跡がついていない。

 でも、仙台さんにはついている。


 早く跡が見たいと思うけれど、仙台さんはまだ帰って来ない。

 朝は気になることが多すぎて、ゆっくり確かめることができなかった。


 食器棚から箸置きの三毛猫を出す。

 彼女の部屋には、この猫の仲間がいる。

 カモノハシもいる。

 思い出が増え、物も増えていく。


 これから彼女の誕生日が来て私の誕生日も来るから、また思い出が増えて、物が増える。真っ白だったカレンダーには文字が増え、思い出にもラベルが貼られていっている。


 今さら、五千円と引き換えに足を舐めさせようとしても過去に戻ることはできない。


 昨日、思い知った。

 過去をなぞろうとしても無駄だ。


 毎日が更新され、新しい私と新しい仙台さんになっていく。


 今まで見つかることがなかった跡が見つかったりもする。


 これから帰ってくる仙台さんが朝の仙台さんとまったく一緒だということもない。


 早く帰ってくればいいと思う。

 仙台さんが約束を守るところを見たい。

 そう思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る