宮城としたいこと、宮城がしたいこと

第77話

 宮城が選んだのか、諦めたのかはわからない。

 ただ、彼女は逃げ出さなかった。

 手を離しても私の前にいる。


 音楽準備室に宮城を呼び出したのは、私がいないところで文化祭を楽しんでいた彼女と少し話をしたかっただけで、キスをしたかったからではない。


 文化祭の二日間、私を待っていた。


 正確には少し違うけれど、宮城がそういう風に取れる言葉を口にするとは思っていなかったから、少し話をするだけのはずがこんなことになった。


 そもそも、予想外のことを言う宮城が悪い。

 半分くらい冗談だった私の言葉を宮城が覚えているなんて思っていなかったし、あんな風に言ってくるなんて思わない。行き過ぎた行動をする理由になると思う。


「宮城」


 小さく呼んで頬に触れても逃げない。不服そうではあるけれど、私の前にいる。それは、私がこれからすることを宮城も了承したということで、ゆっくりと顔を近づける。宮城は動かない。でも、文句を言い出しそうな顔をして私を見ている。


「目、閉じたら」

「言われなくても閉じる」


 聞こえてくる声には不満が滲んでいて、素直に目を閉じるつもりがないとわかる。こういうことはよくあることで、頬に触れたままの手をぺたりとくっつける。それでも宮城は目を閉じずにじっと私を見ているから、これからキスされる人間とは思えない。


 雰囲気なんて気にする仲じゃないけどさ。


 私は仕方なく先に目を閉じて、唇を重ねる。

 感触は、夏休みにキスをしたときと変わらない。


 柔らかさも、温かさもよく知っているものだ。けれど、心臓だけが違っていた。学校という場所が悪いのか、自分でも驚くほど心臓の音がうるさい。体の中で響き続ける心音に耐えかねて、ほんの少し触れただけで唇を離すと、腕をぎゅっと掴まれた。


 振りほどくほどではないけれど強く腕を握ってくる手を辿って、宮城を見る。噛みつきそうな目をしているけれど、噛んでは来なかった。私のことを素直に受け入れたとは言い難い目だが、嫌がっているわけではないらしい。宮城なら、噛みつきたかったらもう噛みついている。


 じゃあ、この手の意味は――。


 視線を落として、私は腕を掴んでいる手を見る。


「宮城、痛い」


 返事はない。

 私の声が聞こえているはずなのに、手が腕から離れない。それどころか、爪が食い込むほど強く握られる。


 宮城の顔を見ると、不機嫌そうな表情をしていた。


 少し顔を近づけてみる。

 宮城はなにも言わないし、動きもしない。


 そのまま体を離すと、腕を引っ張られる。

 こうやって、小さな仕草で私を引き留めようとする宮城は嫌いじゃない。


「もう一度してもいい?」


 答えは聞かなくてもわかっているけれど、わざわざ聞く。宮城は口を開かないし、頷いたりもしない。代わりに、催促するようにまた腕を引っ張ってきた。


 逃げ出されても困るから本人には言わないけれど、こういう反応は可愛いと思う。


 私は、ゆっくりと顔を寄せる。今度は宮城が先に目を閉じて、唇が重なる。


 心臓の音は相変わらずうるさくて速い。

 宮城とキスなんて何度もしている。

 慣れるほどした。

 でも、たぶん、私は緊張している。


 軽く触れているだけで、強く押しつけたり、舐めたりもしていないけれど、唇がやけに熱く感じる。宮城の肩を掴むと、手も熱くなったような気がする。触れている部分が増えたことで心臓がさらに落ち着きをなくして、苦しい。


 離したくないけれど顔を離すと、宮城の手はまだ私を掴んでいた。けれど、力はそれほど入っていなくて痛くはない。


 もう一度キスをするか迷ってから、さっきよりも強く唇を重ねる。


 宮城は逃げない。

 私の心臓も少し大人しくなる。

 宮城と離れたくなくて、一度目よりも、二度目よりも長くキスをする。


 誰といるときよりも近い距離に宮城がいる。

 触れ合った部分で体温が混じり合っている。

 そういう全部が気持ち良い。


 もっと宮城の熱を感じたくて舌先で唇に触れると、さすがに肩を押された。素直に三歩離れると、宮城が口を開く。


「そういうキスはしていいって言ってない」

「そういうってどういうキス?」

「どういうって、今みたいなの」

「はっきり言ってくれないとわからない」

「わかんないなら、どんなキスもしないでよ」


 こういうとき、宮城は言葉を濁す。それは好ましい反応だけれど、追求したらどうなるかが知りたくて言葉が過ぎる。そして、宮城が乱暴に言う。


 よくあることだけれど、このまま機嫌を損ねたくない。でも、もう少し宮城の反応をみたくもある。


「今みたいなのじゃなきゃ、いいんだ」


 怒られそうだと思いながらも二歩近づいて顔を寄せると、不機嫌な声が聞こえてくる。


「あれから一ヶ月くらいしか経ってないのに。もう少し我慢しなよ」


 “あれ”が指しているのは、きっと夏休み最後の日だ。あの日から、唇同士が触れ合うようなことはなかった。


「それ、宮城は我慢してたってことで、キスしたかったってことになるけどいいの?」


 我ながら意地悪だなと思うけれど、どんな答えが返ってくるか興味がある。


「勝手に変な解釈しないでよ。そういうことばっかり言って面白い?」

「面白い」

「仙台さん、最低」


 キスしたかった。


 宮城がそんなことを言うわけがないが、そう言ってほしかった私がいる。


 夏休みのようなことが起こったら困る。

 ああいうことを続けてはいけない。

 

 そう思っていたけれど宮城とまたキスをしてしまった今は、どうしてそんなことを思っていたのかわからなくなっていた。最初に決めた約束だって無意味に思える。


「キスくらい、別にいいんじゃないの。こんなのもうルール違反じゃなくなってる」

「よくない」


 きっぱりと宮城が言う。


「じゃあ、良いっていうルールにしなよ」

「しない」


 五千円と引き換えに宮城の命令をきく。


 ただの暇つぶしで引き受けたことだったけれど、今はもう暇つぶしの範疇を超えている。過去に決めた約束は鬱陶しいくらいで、頑なにルールを守ろうとする宮城は頭が硬すぎて嫌になる。


 世の中には臨機応変という便利な言葉がある。


 誰にもバレなければ学校で話をしたっていいし、キスをしたっていい。私たちの関係が誰にも知られなければ、それくらいゆるいルールでも問題ないはずだ。


「そんなにキスしたくない?」

「そういう聞き方はずるい」

「っていうことは、したいってことでしょ。譲歩しなよ」

「……こんなこと続けてたって、どうせ仙台さんは遠くに行っちゃうじゃん」

「同じ大学受ければいい」

「仙台さんがここに残ってよ」

「え?」


 絶対に宮城が言いそうにない言葉が聞こえて思わず彼女の顔をじっと見ると、唇がきつく引き結ばれた。


「宮城?」


 呼んでも返事はない。

 代わりに、視線が外される。こっちを見て欲しくて頬に触れると、宮城が冷たい声を出した。


「触らないで」


 声を無視するように手のひらを押しつける。いつもの宮城なら手を払い除けてくるけれど、今日は払い除けられない。


「仙台さん、ネクタイ返して」


 宮城が頬に置いた手を合理的に離させる言葉を口にする。断る理由もないから素直にネクタイを外して渡すと、宮城から私のネクタイが返ってきた。


 私は彼女がなにか言う前に、もう一つの返さなければならない物のことを告げる。


「ブラウス、宮城にあげる。もう着る機会もないし持ってて。宮城のブラウスは返したほうがいい?」


 彼女にはブラウスを持ってきたと言ったけれど、鞄の中に返すべき物は入っていない。返せと言われても返せないが、私が困るようなことにはならないような気がする。


「別に今日じゃなくていい」


 曖昧な言い方ではあるけれど、宮城がブラウスを私に託す。そして、話を変えるように言葉を付け足した。


「今日、なんで呼び出したりしたの」

「ずっと会ってなかったし、少し話がしたかったから」


 文化祭の前、宮城はこのイベントにさして興味がなさそうに見えた。けれど、今日見かけた宮城は随分と楽しそうだった。


 結局、宮城は私と会わなくても楽しそうだし、会いに行けたとしてもきっと不機嫌な顔しかしない。そして、私は宮城に話しかけることもできない。おまけに去年は楽しかった文化祭が、今年はそれほど楽しくなかった。去年と同じように過ごしたはずなのに、同じようには思えなかった。


 だから、宮城にメッセージを送った。

 つまらないまま文化祭を終えたくない。

 それくらいの理由だ。


「さっきのが話?」

「ちょっと行き過ぎたけど、話はしたでしょ」


 話以外もしたが、話もした。


 大雑把にまとめれば、話をしたと言っても問題はないはずだ。宮城は不満がありそうな顔で「そうだけど」とぶつぶつと言っているが、それを文句として私にぶつけるつもりはないようだった。


「そろそろ帰ろうか」


 尋ねると言うよりは決定事項として告げると、宮城が頷く。


 ここに長い時間いたわけではないけれど、文化祭が終わってから結構な時間が経っている。日が落ちる時間は早まっていて、きっと外はもう暗い。


「先に出る?」


 一緒に歩いているところを見られたくないという宮城に配慮して尋ねる。


「……仙台さんが先に出て。私、下駄箱まであとついてくから」

「あとついてくるって、誰かに見られるかもしれないけどいいの?」

「見られても困らない程度に離れるし、それに――」

「それに?」


 途切れてしまった言葉に続くものは、なんとなく想像できた。

 それでも聞き返すと、不機嫌な声が聞こえてくる。


「旧校舎怖いから」

「手でも繋いであげようか?」

「そういう余計なことしなくていいから、早く行ってよ。暗くなるじゃん」

「もう暗いし、隣歩けば?」

「絶対に歩かない。早く廊下出て」


 眉間に皺を寄せた宮城がドアを開ける。そして、私の背中を押した。


 私は、仕方なく歩き出す。


 ぺたぺたぺたと軽い足音が響いて、追いかけるようにもう一つ足音が聞こえてくる。振り返ると宮城が見えて、文化祭の最中よりはマシな気分になった。

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