全部、仙台さんのせいだ
第199話
服を脱がすことは難しいことじゃない。
ボタンがあるなら外せばいいし、ファスナーがあるなら下ろせばいいだけだ。それは誰にでもできることで、当然、私にだってできる。
仙台さんが私の手から逃げることはない。
もし逃げるようなことがあっても、同じことをしてもいいと言えばこれからすることを受け入れてくれる。
私は電気を消す。
難しいことは一つもない。
常夜灯の光すらない暗闇に包まれたベッドの上、仙台さんに手を伸ばすとカットソーかブラウスかよくわからないものに触れる。手探りでそれを脱がすと、仙台さんが同じように私の服を脱がしてくる。
押し倒す前に押し倒されて、ベッドに体が沈む。
仙台さんの手が、ぴたり、と肩に置かれる。温かいのか冷たいのかはっきりしない指先がブラを外し、体に直接触れてくる。
闇に溶けて見えない彼女の顔を見たいと思う。
でも、目をこらしても見えない。
仙台さんの輪郭も体温も闇と混じり合って消えてしまいそうで上へと手を伸ばすと、指先に体温が伝わってくる。ぼやけていく彼女を確かめるように手を滑らせ、ブラを外す。柔らかな膨らみに触れて、埋もれている記憶を確かめる。
滑らかな肌は私の知っているものと違いがなくて、気持ちが良い。
「志緒理」
少し掠れた声が耳に響く。
指先を動かすと、仙台さんの手が同じように動く。
私の胸を、鎖骨を、脇腹を撫でる。
仙台さんが私の名前を小さく呼び続ける。
――どうしてこんなことになってるんだっけ。
指先に搦め捕られていく理性に引きずられて、正しく考えることができない。ぬるま湯に浸かっているような穏やかな心地の良さが制御できないものに変わっていき、自分のものとは思えない声が闇に溶ける。
「葉月って呼んで」
何度も聞いた言葉が聞こえてくる。
「葉月」
ずっと口にできなかった名前を口にすると、闇が濃くなる。
真っ暗な部屋、彼女の手がどこを触っているのかわからない。
見えない仙台さんを呼ぶと、志緒理、と耳元で声がした。
何度も、繰り返し、聞こえてくる。
気持ちがいいのかわからないのに、気持ちがいい。
ふわふわとして、確かなものがなにもないのに、気持ちがいい。
仙台さんの声も、手も、なにもかもが。
気持ちが良くてもっとほしくなる。
仙台さんの背中に手を回して引き寄せる。
お互いの体がくっついて、限りなく柔らかな感触に、尖った音が差し込まれる。
うるさい。
とてもうるさくて、仙台さんの声が聞こえない。
耳を澄ませると、それがスマホのアラームだとわかって、真っ暗だった世界が唐突に明るくなった。
私は開いた目を閉じて両目を擦ってから、またゆっくりと開く。
側にいるのは黒猫のぬいぐるみだけで、部屋には誰もいない。
当たり前だ。
いるはずがない。
時間通りの朝、スマホに叩き起こされた私は黒猫を宙に放り投げる。
「……むかつく」
落ちてきたぬいぐるみをキャッチして、息を大きく吐く。
仙台さんが変なことを言うから、こんなことになる。
はっきりしているようで細かなところがはっきりしない夢。
同じような夢は、仙台さんからカフェでバイトをすると言われた日にも見たけれど、あれから一週間以上経っている。
「むかつく」
さっき口にしたばかりの言葉をもう一度口にする。
一度だけなら許せるけれど、二度もこんな夢を見ることになるなんて聞いていない。
なんで、なんで。
なんであんな話を聞いただけで、こんな夢を見ることになるんだろう。
――あれから自分でしたか教えて。
聞いたのは私だし、知りたいと思ったけれど、答えるとは思わなかった。答えが返ってこないことを前提に質問したのだから、仙台さんは答えるべきじゃなかった。それなのにすべて答えるから、日常に紛れて目立たなくなっていた記憶がくっきりと浮かび上がり、夢に紛れ込んできた。
私に触れる仙台さんの手。
私が触れた仙台さんの体。
出した声や聞こえた声。
夢は記憶していたすべてを明るい場所に引っ張りだし、ヒビが入って脆くなっている私をぺりぺりと剥がしていく。私を覆うものが剥がれ落ち、仙台さんが入り込んで、隙間を埋めていく。そして、彼女は私の隙間を埋めるだけでなく、私のものだった陣地を奪い、私のいたるところが仙台さんでいっぱいになっていく。
私は黒猫を枕の横に置いて、体を起こす。
「仙台さんって馬鹿じゃないの」
自業自得だとわかっていても、文句を言わずにはいられない。
黙っていると、私が私ではなくなってしまいそうな気がする。
ため息を一つついて、ベッドから下りる。
部屋を出て顔を洗い、歯を磨いて戻ってくる。
身支度を済ませ、黒猫を本棚に戻して共用スペースへ行くと、さっきはいなかった仙台さんが朝食の用意をしていて、私は「おはよ」と声をかけた。
「おはよ」
明るい声が返ってきて、仙台さんをじっと見る。
夢と変わらない声と体。
手を伸ばせば触れることができる。
夢と同じで、仙台さんが私の手から逃げることはない。もし逃げるようなことがあっても同じことをしてもいいと言えば――。
違う。
今、ここにいる仙台さんはただのルームメイトだ。
消えない印をつけたけれど、ルームメイトであるということは変わらない。私たちは現状を維持し続けていて、これからも維持していく。でも、すぐに消える印もつけたい。
私は小さく息を吐く。
頭の中でもう一人の私がごちゃごちゃとうるさいのは、仙台さんのせいだ。支離滅裂でおかしいのも仙台さんのせいだ。
「なに?」
問いかけられて、私は彼女の隣へ行く。
「なにってなに?」
食器棚からグラスを二つ出す。
「こっち見てるから、なにかあるのかと思って」
「別になにもない」
素っ気なく答えて、グラスをテーブルの上に置く。
「今日、バイトだから遅くなる」
土曜日と平日のどこか。
週二回増えたバイトのせいで、仙台さんは家にいるよりバイトへ行っている日の方が増えた。それは学園祭までの一ヶ月くらいだけのことだけれど、私の知らない仙台さんが増えたせいで面白くない。
バイトは時間がくれば終わりで、彼女は家に帰ってくる。
わかっているけれど、私はバイトを辞めればいいのにと未だに思っている。
「……知ってる。昨日も聞いた」
何度も聞きたくないことを何度も言う仙台さんに冷たく答える。
「昨日言ったけど、今日も言っておこうと思って。罰ゲームって言われたくないしね」
「あんまり遅くなったら罰ゲームだから」
「それ、初めて聞いた。連絡すればいいんじゃないの?」
「駄目。連絡しても遅くなりすぎたらいけないルールだから」
ルールを増やしたいわけじゃないし、罰ゲームをさせたいわけじゃない。でも、仙台さんをなにかで縛りたいと思う。
「拒否権なさそうなんだけど、そのルール」
「仙台さんに拒否権なんてないから」
「知ってる」
新しいルールを仙台さんが当然のように受け入れ、私は冷蔵庫から出したオレンジジュースをグラスに注いだ。
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