第110話

「自分でするんだ?」


 私は、水色のタオルを手に取って尋ねる。


「自分でして」


 過去と照らし合わせれば、なにをすればいいのかはっきり言われなくてもわかる。でも、この命令の後にされるであろうことを考えると積極的に従いたいとは思えない。


 宮城は趣味が悪い。

 おおっぴらにはできないような命令ばかりする。


 まあ、宮城から命令されているなんてこと自体がおおっぴらにはできないことではあるけれど。


「早くしてよ」


 タオルを手に迷っていると、宮城に急かされる。

 自分でしても、宮城にされても結果は変わらない。目隠しをしたという事実ができて、先へ進むだけだ。


 自分で目隠しをすることに抵抗はある。でも、もたもたしていると、宮城の機嫌が余計に悪くなってこの後の命令がさらにろくでもないものになる可能性がある。


 私は、水色のタオルで目を覆う。

 自分で目隠しをすることで背徳感が増している。


 本当に宮城は趣味が悪い。


「なにも見えないし、つまんないんだけど」


 どこにいるかはっきりわからない宮城に文句を言う。


「仙台さんを面白くするためのものじゃないから」


 正面から声が返ってくる。


「じゃあ、これ、宮城は面白いわけ?」

「面白くない」


 宮城は趣味だけではなく、思考もおかしいらしい。

 面白くないことを人にさせる意味がわからない。


「それで、私はなにをされるわけ?」


 見えないことへの不安を誤魔化したくて尋ねる。

 でも、答えは返ってこない。


「宮城?」


 正面にいるであろう宮城の名前を呼ぶと、頬に手が触れた。

 その手がふわりと頬を撫で、唇をなぞる。


 思わず体が硬くなる。


 夏休みに目隠しをされたことを思い出す。けれど、手はすぐに離れて、あのときのようにキスをしてくることはなかった。


「仙台さん」


 宮城が静かに私を呼ぶ。

 触れてはこないが、視線を感じる。

 見えないから本当に見られているかはわからないけれど、落ち着かない。首の辺りがむずむずする。


「返事してよ」


 黙っている私に、宮城が怒ったように言う。それでも、返事をせずにいるともう一度「仙台さん」と呼ばれた。


「なに?」

「――大嫌いって言って」

「は? なに、突然」

「いいから言ってよ」

「なんで?」

「なんででも」


 声はいつもと変わらない。

 不機嫌なときに出す少し低い声だ。


 宮城がわけのわからないことを口にするのは、珍しいことではない。彼女の行動は読めないことが多いし、気にしても仕方がないと思う。でも、今の命令は、意味がわからないまま従ってはいけないもののような気がする。


「何に対して嫌いって言えばいいの?」


 目はタオルで覆っている。それでも、宮城と目を合わせるように少し顔を上げて慎重に尋ねる。


「……私に」


 ぼそりと言われる。


 ――宮城の顔が見たい。


 手の自由は奪われていない。

 私は、水色のタオルに触れる。

 タオルを外して、宮城がどんな表情をしているか見ようとする。でも、結び目を解く前に手を掴まれてしまう。そして、タオルをぎゅっと縛り直される。


「外していいって、言ってない」


 宮城の声が聞こえて、座っている場所のすぐ横が沈む。断ることなく腕が引っ張られる。宮城がいる方に向かされると、押し倒された。


 布団のおかげで背中が痛むようなことはなかったが、視界が奪われたまま乱暴に扱われるのは怖い。文句の一つでも言ってやろうと思ったけれど、先に宮城の声が聞こえてくる。


「私の命令きかなかったから」


 ペンダントのチェーンに指が触れて、ずるずると引き出される。


 ブラウスのボタンは外されない。


 ペンダントが強く引っ張られて、チェーンが首の後ろに食い込んだ。


「引っ張りすぎ。痛いし、壊れる」


 宮城はペンダントトップの辺りを掴んでいるらしく、首が絞まることはない。それでも、このまま息が止まるほど首を絞めてきそうで怖い。見えないからなにをされるのかわからなくて、呼吸が少し速くなる。感覚が鋭敏になっているような気がする。


「離しなよ」


 強く言ってみるが、ペンダントは引っ張り続けられてチェーンが痛みを連れてくる。宮城、と呼ぶとペンダントが離され、首筋を噛まれる。生暖かいものと一緒に当たっている歯が皮膚に食い込む。けれど、声を上げるほど痛くはない。


 すぐに宮城が離れて、噛んだところに触れてくる。ついでのようにチェーンが撫でられ、鎖骨の上も触られる。当たり前のようにボタンが一つ外されて、ネクタイも解かれる。手首を縛られるのかと思ったが、宮城はそれ以上なにもしてこなかった。


 手は縛ろうと思えばいつでも縛れるし、実際に何度か縛られている。


 でも、今日は縛られない。


 きっと、それは私に触れてほしいからに違いないと自分に都合の良い解釈をして、宮城を引き寄せる。


 背中に腕を回して、髪を撫でる。

 手がはね除けられることはない。

 拒絶するつもりはないらしい。


「――宮城は私のこと、嫌い?」


 髪を梳くように撫でて問いかける。


「……うん」


 間を置いてから、返事が聞こえる。


「じゃあ、嫌いだってはっきり言いなよ。そしたら、さっきの大嫌いって言えっていう命令きくから」


 髪から頬を探して撫でて、指先で唇に触れる。

 宮城はなにも言わない。


「言っても怒らないから、言いなよ」


 宮城の唇は動かない。

 私は唇に触れていた手を離す。


 ここで嫌いだと言われるようなことがあれば驚く。


 背中に腕を回しても、髪に触れても嫌がったりしないのに、嫌いだなんて無理がある。

 宮城の体が少し離れて、ペンダントに彼女の手が触れる。

 肌にチェーンの跡がつきそうなほど強くなぞって、指先がペンダントトップに辿り着く。


「ネックレス、返して」


 壊すつもりだと言われたら信じてしまうほど、宮城が強くペンダントを引っ張ってくる。


 私は、目を覆うタオルを取る。

 今度は邪魔をされる前に外すことができて、眉間に皺を寄せた宮城が目に映った。


 随分と不機嫌そうで、でも、泣きそうにも見える顔。


 暗闇と圧迫から解放された視界はぼんやりとしているが、見えているものは間違いなく宮城だ。


「勝手に外さないでって言ったじゃん」


 宮城がペンダントから手を離して、タオルを奪い取る。


「そんなことより、返せってどういうこと?」

「理由なんてない」


 素っ気ないというよりは、感情のない声が聞こえてくる。

 私は、宮城のブラウスを掴む。


「じゃあ、返さない。卒業式までペンダントしてろって言ったの宮城でしょ。ちゃんと約束守りなよ」

「仙台さんだって約束破るじゃん」


 宮城が噛みつくように言って、ブラウスを掴む私の手を剥がした。


「私が破っても、宮城は守りなよ」


 身勝手な言い分を口にすると、宮城がなにも言わずにペンダントを引き千切ろうとしてくる。


「これは返さない」


 宮城の手を叩いて、念を押す。

 それでもペンダントは引っ張られ続け、私はもう一度彼女の手を叩く。すると、首に食い込んだチェーンが緩んで手が離れた。


「あのさ、宮城。まだ試験あるし、変なこと言うのやめてよ。……落ち込むじゃん」


 私は宮城を押して、体を起こす。


「仙台さんは落ち込んだりしないでしょ」


 宮城がぺたりとベッドにうつ伏せになる。


「宮城って、馬鹿だよね」


 私は枕でぽすんと彼女の頭を叩いて、ベッドからおりる。


「次は?」


 宮城を見ながらテーブルの前に座って尋ねると、彼女は顔を上げて私を見た。


「え?」

「次、いつここに来ればいいの? 宮城は卒業式まで私を呼んで五千円払うって決まってるんだから、早く言いなよ」

「……連絡する」

「絶対にしないでしょ。今、ここで決めて」


 強い口調で催促すると、宮城が枕に顔を埋めてしまう。


「五日後」


 もごもごとくぐもった声が聞こえてくる。


 遠い、と思う。


 けれど、まだ試験がすべて終わったわけではないし、勉強もしなければならないから五日後という約束はおかしなものではない。


「わかった。それで、自由登校になったらどうするつもり?」


 もう一つ、気になっていたことを口にする。


 二月になれば学校は自由登校になって、行っても行かなくてもいいものになる。どちらを選ぶかは生徒に任されているが、ほとんどの生徒は学校へ行かないことを選ぶ。羽美奈も麻理子も、自由登校中は学校には行かないと言っていた。私も行かないつもりだ。


 宮城がどうするのかは聞いていない。


「……」


 聞こえていないことはないだろうけれど、枕に顔を埋めた宮城はぴくりとも動かない。


「宮城、自由登校は休みじゃない」


 学校が休みの日は会わない。


 そういう約束はしている。

 けれど、自由登校は学校がある日と言ってもいい。


「宮城」


 名前を呼んで返事を催促すると、「言われなくても呼ぶ」と小さな声が返ってきた。

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