第109話

 放課後が近づいていて、教室は落ち着きがない。


 ホームルームは消化試合のようなもので、先生もやる気がなさそうに見える。私は、今日一日を締め括る言葉を探している先生から羽美奈に視線を移す。


 共通の入学試験に当たるテストは無難に終わった。


 どこまで本気かわからないが、羽美奈は余裕だったと言っていた。麻理子もなんとかなったと笑っていた。

 絶対に大丈夫なんて断言はできないが、私も上手くいったとは思う。


 でも、宮城がどうだったかはわからない。

 おまじないをした日から宮城とは会っていないし、連絡も無いから知りようがない。


 普通ならこういうとき、テストが上手くいったとか、いかなかったとか連絡くらいしてくると思うけれど、私たちはそういう関係ではない。わかってはいるが、宮城は薄情だと思う。


 私は、視線を黒板の前へと戻す。


 先生が教室を見回してそれほど重要ではないことを大きな問題のように告げて、ホームルームを終わらせる。教室がすぐにざわつきだして、放課後がやってくる。


「葉月。今日、行きたいところあるんだけど付き合ってよ」


 羽美奈の声が聞こえてきて、返事に迷う。

 立ち上がってはみたものの、「いいよ」とは言えない。


「あれ? もしかして用事ある?」


 羽美奈が鞄を私の机の上に置いて問いかけてくるが、あまりいい顔はしていない。


 今からでも「行く」と言った方がいい。

 口角を上げて笑顔を作る。

 行く、と言おうとすると、隣から麻理子の声が聞こえてきた。


「今日は二人でいいじゃん」

「えー」


 麻理子が不満そうな声を出す羽美奈の手を引っ張って歩きだす。


「ごめん。今度、埋め合わせするから」


 二人の背中に声をかけると、麻理子がひらひらと手を振って応えた。


 気は進まないけれど、スマホを取り出す。


 宮城にどうしても会いたいとは思っていなかった。

 でも、羽美奈に誘われて迷った私が本当の私だ。


『早く私のこと呼びなよ』


 メッセージを打ち込む。

 送信ボタンを押そうとして手が止まる。


 連絡をしてこない宮城に連絡をする私。


 こういう構図ができていることに不満があるけれど、私から連絡しなければ一生連絡がこないかもしれないから仕方がない。


 ため息を一つつく。

 送信ボタンを押して五分待つが、スマホには反応がない。

 案の定、宮城は返信してこない。


 音楽準備室に呼び出そうかと考えて、やめる。今のメッセージに返事をくれないなら、呼び出したところで来てはくれない。


 宮城のクラスは隣だ。

 直接捕まえた方が早い。


 コートと鞄を持って廊下へ出る。隣のクラスの扉は閉まっていて、小窓から中を覗く。すると、宮城が宇都宮たちと一緒に後ろの扉から教室を出ようとしているところで、私は廊下に視線を移す。


 宮城と目が合う。

 けれど、声をかける前に宮城が「忘れ物」と言って教室に戻っていく。そして、すぐにスマホが鳴った。


『少ししてから家に来て』


 鞄から取り出したスマホに映っていた文字は、宇都宮たちの前で声をかけられるよりはマシだと思って送ってきたメッセージに違いない。そう思うとカチンとくる。教室の中から、宮城を引きずり出したくなる。私と宮城は今までずっと放課後を一緒に過ごしていて、夏休みも冬休みも会っていたと宇都宮たちの前で言ってやりたいと思う。


 実際にそんなことをしたら、残り少ない高校生活が大変なことになりそうだからしたりはしないけれど。


『少しってどれくらい?』


 教室と教室の間にある壁に寄りかかって、返事を送る。ぼんやりと辺りを見ていると、廊下が寒すぎるのか宮城を待っていた宇都宮たちが教室に戻っていく。その間にもスマホにメッセージが送られてくる。


『私が教室出てからしばらくして』

『わかった』

『今から教室出るから声かけないで』

『はいはい』


 学校では声をかけない。

 破りかけた約束を守ると伝えるメッセージを送って、廊下を見る。すぐに宮城が出てきて、宇都宮たちと歩き出す。


 しばらくがどれくらいかはわからないが、廊下で待つには十分は長い。教室に入ろうとも思えないから、五分待ってから私も学校を出る。


 宮城の家へ向かう道を急ぎ足になりすぎないように歩く。

 ゆっくりと流れる景色は味気ない。

 街路樹に緑はないし、道行く人の格好も地味に見えた。


 彩りに欠ける風景は目に映るだけで気が滅入ってくる。


 のんびりとまではいかなくても速すぎないスピードで進んでいたはずが、テンポが上がる。五分遅れて出たはずなのに、宮城のマンションどころか彼女の背中が見えてくる。


「宮城」


 あと一分ほどでマンションに着くという頃に声をかける。

 でも、宮城は足を止めない。

 私はマンションの前で隣に並んで、中へ入る。


「仙台さん。私、しばらくしてから家に来てって言ったよね?」

「しばらくしてから学校出たけど、追いついた」


 エントランスを抜けて、二人でエレベーターに乗る。


「追いつくっておかしくない? 急いで来たでしょ」

「宮城が歩くの遅いだけじゃない?」

「遅くない。仙台さんが速い」


 文句を言う宮城とエレベーターを降りて、玄関まで歩く。鍵を開けた彼女の後から中に入ると、ちょっと待っててと言って宮城が部屋に消える。そして、すぐに戻ってきた彼女から五千円を渡された。


「ありがと」


 ぴっと引っ張るとやっぱり少しだけ引っかかりを感じたけれど、すぐに手元にやってくる。もらった五千円をしまってから宮城を見ると、微妙な顔をしていた。


「宮城?」

「なんでもない」


 この前と同じやり取りを今日も繰り返して、宮城がキッチンに消える。私は先に部屋へ入って、コートとブレザーを脱ぐ。そして、ブラウスのボタンを一つ外して黒猫が番人をしている本棚から漫画を一冊持ってくる。


 ベッドに寝転がってページをぺらぺらとめくっているとドアが開いて、宮城がテーブルの上に麦茶とサイダーを置いた。


「エアコン、何度にしたら暑くないの?」


 床に置いたコートとブレザーをハンガーに掛けながら、宮城が問いかけてくる。


「脱ぐの癖みたいなものだし、何度でもいいよ。暑かったら暑いって言うし。――で、宮城。私に話すことあるよね?」


 私は読みかけの漫画を閉じてから、起き上がる。


「話すことって?」


 宮城が定位置に座って、まったくわからないという顔でこっちを見てくる。


「テスト、どうだったの? 上手くいった?」

「それ、仙台さんに言う必要ある? 受かったかどうかは教えるって言ったけど、テストが上手くいったかどうかを話すとは言ってない。それにまだ試験あるし」

「良かったか悪かったかぐらい今すぐ言えるでしょ。ケチケチしないで教えなよ」


 枕を掴んで宮城の頭をぽすんと叩く。


 まだ受けるべき試験はあるし、これで終わりじゃない。彼女が言う通り試験が上手くいったかどうか私に報告する義務もない。約束していないのだから、聞きたいというのは私の我が儘だ。でも、知りたいという欲求を抑えることができない。


「宮城」


 もう一度、枕で頭を叩くと宮城が眉間に皺を寄せた。


「……まあまあ」


 少し間を置いてから、曖昧な言葉が返ってくる。


「まあまあ? まあまあってなに?」

「そんなこと言われても、まあまあだったんだから仕方ないじゃん。大体、仙台さんはどうだったの?」

「まあまあ」


 聞いたばかりの言葉を返すと、宮城が私に背を向けた。

 顔が見えなくても、機嫌を損ねたのだとすぐにわかる。


 宮城がグラスを取って、サイダーを飲む。半分ほど空になったグラスがテーブルの上に戻される。


 沈黙には慣れている。

 そもそも、機嫌が悪くなるとわかっていて“まあまあ”と返した。それでも部屋の中に垂れ込めるどんよりとした空気が気になって、宮城に声をかける。


「宮城ってさ、卒業旅行とかするの?」


 ありきたりで面白くない話を振る。


「しない。仙台さんは?」

「旅行ってほどじゃないけど、羽美奈たちと出かけることにはなってる」

「へえ」


 少し低い声が返ってくる。

 宮城が振り返って私を見ると、立ち上がってベッドの上に置いていた漫画を奪うように取った。


「読んでるんだけど」


 続きが読みたいわけではないが、文句を言う。


「閉じてたし、読んでなかった」

「これから続き読むところ」

「命令するから、続きは後で読んで」


 そう言うと、宮城が漫画を本棚に片付ける。


「今日はなにするの?」

「そこにちゃんと座って」


 クローゼットの前から命令が飛んでくる。


「ベッドに?」

「そう」


 宮城の言葉に従って椅子に腰掛けるようにベッドに座ると、クローゼットが開けられる。そして、宮城が水色のタオルを出してくる。


「受け取って」


 言葉と同時にぽいっとタオルが投げられるが、それは私がいる場所よりも手前に着地した。でも、宮城は気にしない。私がタオルを拾う前に次の命令を口にする。


「それ、どうすればいいかわかるよね?」


 静かな声でそう言うと、宮城がタオルを指さした。

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