第80話

「つけたよ」


 指先でペンダントトップを撫でながら、宮城を見る。


 アクセサリーは嫌いではないけれど、制服と一緒につけることはないから胸元が落ち着かない。


「見たらわかる」

「そうじゃなくてさ。なんか言うことないの?」

「触ってもいい?」

「感想言いなよ」


 触ることを許可したわけではなく感想を求めたはずが、宮城の手が当たり前のように伸びてくる。お世辞でも宮城が似合ってるなんて言うとは思っていなかったから、感想が返って来ないことは想定内だ。でも、触られることは予想していなかった。反射的に体を引いたけれど、先に宮城の手が私に触れる。


 指先がするするとチェーンを辿る。

 微かに肌に触れる指がくすぐったい。


「チェーン、少し長くない? もう少し短い方が好みなんだけど」


 あまり良い動きだとは言えない指先を捕まえて、たいして気にしていないことを文句にして口にする。


「これより短いと学校で見えるけど」


 宮城が長さを確かめるようにチェーンを引っ張って離す。


「これ、学校でもつけとくの?」

「卒業式までつけてて」

「高校卒業するまでずっとってこと?」

「そう、ずっと。学校でも家でもつけててよ」

「それも命令?」

「命令」


 強くもなく、弱くもない声で宮城が言う。


 ペンダントはペンダント以外の何者でもない。ただのアクセサリーにしか見えないし、ずっと身につけていてもおかしなものではないと思う。


 でも、宮城の言葉でわかった。

 これはきっとただのアクセサリーじゃない。


 宮城は、なんの意味もなく私にプレゼントを渡すような人間ではない。口に出したら宮城が当たり前のように肯定しそうだから言わないけれど、ペンダントは所有権を明らかにするための首輪に近い物に思える。そうじゃなければ、身につけることに対して卒業式までなんて期限をつけない。


「学校は命令の範囲外」


 たかがアクセサリーだけれど、宮城からもらったものだと思うと緩やかに首を絞められているみたいで少し苦しい。


 今までも似たようなことはあった。

 キスマークだったり、噛み跡だったり。


 けれど、それは時間が経てば消える印で、アクセサリーのようにずっと残るものではなかった。このプレゼントは、ほとんど重さがないもののはずなのにやけに重く感じる。学校にいるときくらいは、外したくなる。


「じゃあ、それつけるくらいならいいっていうルールにしなよ。仙台さん、たまには譲歩して」


 音楽準備室で私が口にしたことと同じようなことを宮城が口にする。

 今になって過去の自分に刺されるようなことになるとは思わなかった。


「譲歩か。……なら、宮城がつけてくださいってお願いしたらきいてあげる」


 絶対に彼女がしないことを条件につける。


「じゃあ、いい。つけてもつけなくても好きにしなよ」

「こういうときは、素直にお願いしたら?」

「やだ」


 思った通り、宮城は一度口にした命令を引っ込める。

 これで、ペンダントのつけ外しは自由だ。


 宮城を見ると、隣で不機嫌そうに黙り込んでいる。


 トン、と指先がテーブルを叩く。

 もう一度トンという音が聞こえて、宮城がペンダントが入っていた箱に手を伸ばす。


 たぶん、宮城はプレゼントを渡したことを後悔している。


 わかってる。

 譲歩する必要がないことくらい。

 宮城は、私にお願いをしなかった。

 だから、命令は機能しない。


 わかっているのに口が勝手に動く。


「……つけておくだけでいいなら卒業式までつけとくけど、見つかって没収されても知らないよ」


 私は、宮城の手から小さな箱を取り返す。


 自覚していることだし、何度もそうしてきたことだけれど、私は宮城には甘い。範囲外の命令を受け入れて、ペンダントをつけ続けることを選ぶくらいに甘い。


「ボタン、二個目外さなかったら見えないと思う」


 宮城が私のブラウスを見ながら静かに言う。


「見えそうな気がするけど」

「ボタン、一個留めてみて」


 ボタンを二つ外している私は、言われた通りにボタンを一つ留める。そして、学校と同じように一番上のボタンだけを外した状態で尋ねた。


「見えてない?」

「大丈夫、見えない」

「ならいいけど」

「……仙台さん。これから先、それ誰にも見せないで」

「え? 見せないの、難しくない? 体育とか着替えあるし」

「絶対に私以外に見せないようにしてよ」


 宮城の命令は無理難題と言ってもいい。


 なるべく見せないようにはできるが、着替えなければいけない授業がある以上、ペンダントを見せずに過ごすことは難しい。しかも、私以外に、という言葉が頭についていた。それは宮城は例外という意味で、すぐに一つの結論に辿り着く。


「宮城には見せないといけないわけ?」

「仙台さん、ここではいつも二個目のボタン外してるし、見える。あと、命令したら見せて」

「見えるんなら、わざわざ命令しなくてもよくない?」

「よく見せてってこと」

「……その命令、エロくない?」


 制服を脱げという命令ではないから、ペンダントを見せろという命令はルールの範囲内だとは思う。


 でも、『私が自主的にボタンを外したら見えた』と『命令したらよく見せろ』は結果だけみれば同じだが、心理的にはかなり違う。宮城に言われて見せなければいけないというのは、酷く節度がない行為に思える。


「エロくない。今、見せて」


 ほんの少し前にボタンを留めろと言った口が、今度は外すことを強制しようとする。


「やっぱりエロいじゃん」

「仙台さんほどじゃない。大体、いつも二個外してるんだから黙って外しなよ」

「また外すんだ?」

「外さないと見えない」


 二個目のボタンは、宮城が言うようにここではいつも外している。ペンダントを見せるという条件がついたせいで、なんとなく外しにくいだけだ。


「わかった」


 大したことのないものを大したことがあるように扱うと本当に大げさなことになってしまうから、大人しく留めたばかりのボタンを外す。


「これでいい?」


 胸元に宮城の視線を感じる。

 ペンダントを見ているとわかってはいるけれど、鎖骨のあたりがざわざわとする。


「そんなに凝視する必要ないと思うけど」

「私があげたものを見てるだけだし、どんな風に見てもいいでしょ」

「こういうことしたくて、わざわざプレゼント用意したとか?」


 ボタンを外させて、胸元を見たい。

 首輪の代わり以外に、そういう理由が含まれていたっておかしくはない。


「どういう理由で用意したのかなんて、仙台さんは知らなくていい」


 宮城が静かに言って、「あと」と言葉を続ける。


「ボタン、もう一個外して」

「今の状態で見えるんだから十分でしょ」

「よく見えない」

「さっきからじっと見てるよね?」

「もっとよく見たい。命令だからきいてよ」


 基本的に三つ目のボタンは、外すものではないと思っている。

 けれど、今日の宮城は諦めそうにない。


 基本は基本で、応用があったり、例外があったりするものだから、今日は特別に三つ目のボタンを外してあげてもいい。ペンダントが見たいだけとは思えないけれど、ここで押し問答をするのも面倒だ。


「はいはい」


 おざなりに返事をして、ネクタイを外す。三つ目のボタンも外すと、宮城の手が伸びてくる。


 指先がブラウスに触れるが、胸元を大きく開くような真似はしなかった。でも、ペンダントが見える程度には開かれる。


 下着も肌も何度も見られているし、今さら恥ずかしがるようなことではない。でも、やっぱり心のどこかが落ち着きをなくして、空中を漂うようにふわふわとしている。


 宮城がチェーンに指を這わせてくる。

 繋がれた小さな輪を数えるようにゆっくりと触れてくる手は、やっぱりくすぐったい。


 緩やかにチェーンを撫でていた手に体重がかかる。


 ペンダントに触れるついでに肌に触れていたくらいだった手がぐっと私を押してきて、バランスを崩す。そのまま宮城の体が覆い被さるように、床へ押し倒される。


「ちょっと、宮城。痛い」


 勢いよくという程ではないにしても、それなりの勢いで倒れたせいで背中や肩が痛い。けれど、宮城はなにも言わずに胸元へ顔を近づけてくる。そして、ペンダントトップにキスをした。


 飾りは小さなもので胸元にキスをされたに等しいが、その小さな物に触れるためのものだとわかるように唇を押しつけられている。


 唇に彼女の全体重が乗せられているわけではない。


 でも、重い。

 苦しい。

 触れている部分が無駄に熱い。


 宮城は平気な顔をして、私にこういうことをする。

 された私のことを考えているとは思えない。


 吸って吐く。


 ただ呼吸をするだけのことが難しくなって、胸元にある髪を軽く引っ張ると宮城が顔を上げた。


 今度は指がチェーンを撫でる。


 彼女の行動を見ていると、私の考えが正しかったとわかる。キスをする前も、今も、宮城は黙ったままでなにも言わないけれど、こうした行為は所有権を主張する行為だとしか思えない。今までのどんな行為よりもそう思える。


 たぶん、きっと、おそらく、いや、絶対にこのペンダントには、仙台葉月は卒業式まで宮城のものだという意味が込められている。


 本当になんて言ったらいいのか困る。


 本人には言いたくないが、私はこのプレゼントを受け入れている。息苦しかったり、面倒だったりするけれど、悪い気はしない。


「宮城、もういいでしょ」


 言うべき言葉が思いつかず、無難な言葉とともに背中を叩く。けれど、宮城は退かない。それどころか、もう一度ペンダントトップにキスを落とす。そして、指先が小さな飾りを撫でる。その指は必然的に私の肌にも触れる。


 指先が小さな飾りから下へと滑る。

 くすぐったい。

 でも、それだけではない。

 指先は別の感情も連れてくる。


 宮城が勝手に四つ目のボタンを外そうとする。


 マズいと思う。

 明らかにくすぐったいだけではない気持ちに、私は彼女の手を掴んだ。


「宮城、ストップ。それ以上はヤバい」

「ルール違反だからやめろってこと?」

「それもあるけど、理性が飛ぶかも」


 なんでもないようなことのように受け流せるのはここまでで、これで終わりにしてくれなければ困る。


 私は自分の理性を信じていない。宮城もそれをわかっていてくれなければ、お互いにとってあまり良いことにはならない。


「仙台さんの理性どうなってるの。無責任に飛ばしたりしないで、どこにもいかないように縛り付けておいてよ」

「結構難しいんだけど、それ」

「……なんでそんなに自信なさそうなの」


 宮城が呆れたように言う。


 でも、そんなことを言われても私にもわからない。この期に及んで宮城が私の理性を信じようとしている理由もわからない。だから、答えは適当なものになる。


「自分でもわからないから、宮城が自重しなよ」


 責任を押しつけるように言うと、宮城が黙る。

 なにか考えているらしく、眉間に皺が寄る。


 十秒ほど難しい顔をし続けてから、宮城が静かに口を開いた。


「ボタンもう一個外す代わりにキスしてもいいって言ったら?」


 悩んだ宮城が出した結論は彼女が口にしたとは思えない内容で、今度は私が黙ることになる。


 頭の中で聞こえた言葉を反芻する。

 そして、正しく受け取れているか本人に確かめる。


「――私がキスしてもいいってこと?」

「そう」


 こういう交換条件が出てくるとは思わなかった。


 四つ目のボタンは、過去に宮城の前で外したことがある。

 迷うほどの条件じゃない。


「いいよ。外しても」

「仙台さんが自分で外して」

「わかった」


 私は言われた通りに四つ目のボタンを外す。

 宮城の指がお腹に触れて、少し体が強ばる。


 ぺたりと手のひらが押しつけられる。


 じんわりと温かくて、でも、それは落ち着くような温かさではなくて一瞬息が止まる。内臓まで熱が伝わってくるみたいで、宮城の手首を掴む。けれど、宮城からはその下へ行こうという意思は感じられない。脇腹の辺りまでするりと撫でて、手は離れた。


「キスしてもいいよ」


 宮城が小さな声で言う。


 私は体を少し起こして、彼女の首に触れる。手を首の後ろまで滑らせ、宮城を引き寄せるようにして顔を近づける。最後にキスをしてからそう時間は経っていないけれど、早く触れたくて少し強引なくらいに唇を重ねる。


 また触れたかった柔らかな感触を味わうように、唇を軽く噛む。いつもなら早く離れろというように体を押してくる宮城は、珍しく大人しくしている。ブラウスのボタンを一つくらい外しても許されそうで、唇を離して宮城のネクタイを緩める。


 宮城は嫌がらない。


 ボタンを一つ外すことは見逃され、首筋に唇を寄せる。けれど、キスをする前に結構な力で肩を押されて、私の体は床の上へ戻ることになった。


「おしまい」


 きっぱりと言って、宮城が体を起こす。


「早くない?」

「じゃあ、私もさっき以上のことしてもいい? 交換条件なんだから、仙台さんがもう一回キスするなら私もなにかする」

「キスは一回、なんて言ってなかったじゃん」

「言ってなくても一回だから」

「横暴じゃない?」

「私、ちょっと触っただけだし、キス一回分くらいのことだと思うけど」


 宮城が不満を隠さない声で言い、私が外したボタンを留める。


「おしまいでいいよ」


 あまりぐだぐだ言っていると、よからぬ命令をされそうな気がする。別にあれ以上のことをしたいわけではない。許されるなら、もう少し触れていたかっただけだ。


 私はのろのろと体を起こす。


 開きっぱなしになっているボタンを留めようとすると、宮城の手が伸びてきて私の代わりにボタンを留め始める。下から一つ、二つとボタンが留められ、上まで全部留められてしまう。


「苦しいんだけど」

「そうしてなよ」

「命令?」

「別に命令じゃない」


 宮城が面倒くさそうに言って、テーブルに向かう。私は息苦しくて、一つだけボタンを外してネクタイを締めた。

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