第79話
文化祭が終わってから、時間にして一週間くらい。
長くもなく、短くもない。
けれど、すぐと言うには長いと思った。
宮城からのメッセージが届いたのは、文化祭の余韻が消えて、学校内が中間テスト一色に染まってからだ。あのあとすぐに呼ばれてもどうしていいかわからなかったから丁度良かったとは思う。
宮城も私に会いにくかったのかな、と想像するくらいの期間があったおかげで冷静さを失うことなく彼女の隣に座っていられる。
すれ違いばかりでなかなか来られなかったが、この部屋の居心地は相変わらず良かった。
「中間テスト、上手くいきそう?」
教科書を一ページめくって、間近に迫っている試験について尋ねる。
「わかんない」
「夏休み、勉強教えたじゃん」
「そうだけど。教えてもらったから、必ずテストが上手くいくってものでもないし」
「成績上がると思うけど」
夏休みは人には言えないようなこともしたが、それ以上に勉強もした。だから、成績が上がらなければおかしいし、上がらなければ困る。でも、宮城は「上がりそうだ」とも「上手くいきそうだ」とも言わない。
「中間テスト、終わったら結果見せてよ」
催促するようにペンで宮城の腕をつつく。
「なんで仙台さんに見せなきゃいけないの」
「夏休み、家庭教師したから。その結果知りたいじゃん」
「それはそうだけど」
「私のも見せるからさ」
「見せなくていい」
「じゃあ、私のは見せないから宮城の見せて」
「どうでもいいじゃん。私の成績なんて」
宮城は投げやりに言うけれど、どうでもいいものなら見せてくれなんて頼まない。
彼女の成績がはっきりとわかれば、受かりそうな大学がわかる。もっと言えば、同じ大学に行ける可能性があるかどうかがわかる。私に宮城の志望校を変えさせる権利はないし、変えろと強要するつもりもない。けれど、テストの結果を知りたいと思う。
「良くない。大学入ったら家庭教師のバイトするつもりだし、そのときの参考にする」
「嘘っぽい」
「ほんとだって」
大学に入ったらなんらかのバイトをするつもりだが、家庭教師と決めているわけではなかった。でも、選択肢には入るかもしれないから、まったくの嘘というわけではない。
「見せてよ」
もう一度言うと、宮城が心底嫌そうな声で答えた。
「……見せてもなにも言わないなら見せる」
「なにもって?」
「点数が低いとか、こんなところ間違えてるとかそういうこと」
「そんなこと言わないって」
「じゃあ、見せてもいい」
見せたくはないという顔をしたまま宮城が言う。
本当に見せてくれるか疑わしい声だったが、本人の言葉を信じるしかない。約束ねなんて付け加えたり、本当なのかと問い詰めたりしたら、嫌々でも見せると言った言葉を裏返して絶対に見せないと言い出しそうだ。
私は、見るだけでなにも言わないから、ともう一度伝えてから教科書を見る。問題をいくつか解いてから隣に視線をやると、宮城は下を向いてはいたけれど教科書も問題集も見ていなかった。
静かな部屋に、トントンと指先がテーブルを叩くリズミカルな音が響く。それは宮城が立てている音で、うるさくはないが気になるし、集中できない。もちろん、音を立てている本人も集中しているようには見えない。
一体、なんなんだ。
最近、といっても文化祭前まで遡るけれど、宮城は真面目に勉強していた。それが今日はやる気が感じられない。
中間テストが近い。
真面目に勉強してくれなければ困る。
私は指先でテーブルを叩き続ける宮城に声をかけようとしたけれど、先に声をかけられた。
「仙台さん」
「なに?」
トントン、という音が止む。
そして、宮城も静かになる。
私を呼んだにも関わらず、彼女はなにも喋らない。
「宮城?」
用もなく私を呼ぶはずのない宮城を見る。すると、少し間を置いてから小さな声が聞こえてきた。
「……仙台さんの誕生日っていつ?」
「誕生日って私の? 急になんで?」
予想もしなかった言葉に思わず聞き返す。
「なんででも」
「宮城はいつ?」
「九月。もう終わった。私のことはいいから、仙台さんの誕生日教えてよ」
言いたくないとか、聞いているのは私だとか。
そんな文句が返ってくるかと思ったら、すんなりと答えが返ってくる。それは文句を言う余裕すらないように思える態度で、私も素直に答えることにする。
「葉月」
「それ、名前じゃん」
「そうじゃなくて。
旧暦の月名を五月から順番に言っていくと、宮城が“葉月”が持つ名前以外の意味に気づく。
「――八月?」
「そう、八月に生まれたから葉月。単純でしょ」
和風月名で八月は葉月。
だから、八月に生まれた私は葉月と名付けられた。あまりこだわりが感じられない名前の付け方だと思うが、はづきという響きは気に入ってる。
「で、なんなの?」
唐突に聞かれた誕生日がどういう意味を持っているのかわからず、宮城に尋ねる。けれど、彼女は誕生月と名前の関係に感想を言うわけでもなければ、生まれた日にちを聞いてくるわけでもなく黙ったままだ。誕生日を教えろと言ってきたわりに淡泊な反応だと思う。
誕生月だけが必要になるシチュエーションって、なんなんだ。
宮城は八月と言ったきり下を向いているから、余計に誕生日を聞かれた理由がわからない。
「聞いたことに特に意味がないなら、勉強しなよ」
宮城はわけのわからないことを言うけれど、無意味な言葉はあまり口にしない。だから、誕生日を聞いたことに意味がないなんてことはないと思うが、聞いても答えないのだから仕方がない。
私は、教科書に視線を落とす。
けれど、宮城は勉強をするどころか急に立ち上がる。そして、机の引き出しから小さな箱を一つ持ってきた。
「これ、あげる」
感情のこもらない声とともに、宮城がその箱を私の教科書の上に置く。
「あげるって、なにこれ?」
私は目の前に置かれた細長い箱を見る。
「……なにって、あげるものが入ってる」
「それはわかるけど、そうじゃなくて。なんで突然、プレゼントみたいなものが出てくるの」
「いいじゃん、別に。あげるって言ってるんだから、もらいなよ」
本当は聞かなくても、箱がなんのための物かわかった。ただ、宮城の言葉で答え合わせをしたかっただけだ。
「これ、誕生日プレゼントってことでいいの?」
追求したところで宮城が正解をくれるとは思えないから、答えを自分で口にする。
「仙台さんがそう思うなら、誕生日プレゼントでいい」
本当に素直じゃない。
小さな箱は綺麗にラッピングされていて、わざわざ用意したものだと主張している。誕生日を聞かれてこんなものが出てくれば、言われなくても誕生日プレゼントだとわかる。宮城が認めない意味がわからない。さらに言えば、宮城が私の誕生日プレゼントを用意した意味もわからない。
知りもしなかった誕生日のためにプレゼントを用意しておくなんてどう考えてもおかしいし、私たちは誕生日プレゼントを送り合う仲ではない。
「誕生日が来てなかったら、どうするつもりだったの」
「どうもしない。これが誕生日プレゼントだったとしても、当日に渡さないといけないって決まりないもん」
「そこまでして誕生日プレゼント渡すって、なにか理由があるでしょ」
「いらないなら返して」
宮城が乱暴に言う。そして、私の返事を待たずに教科書の上の箱を奪おうとするから、咄嗟に彼女の手を掴むことになる。
「待ちなよ。これ、返したらどうなるの?」
「捨てる」
「すぐそういうこと言う。捨てる必要ないでしょ」
「私は使わないものだし、他にあげる人いないから」
意味なく用意されるはずのない誕生日プレゼントの謎はまだ解けない。でも、のんびりと謎を解いている暇はなさそうだ。もらうことを躊躇っていると、宮城は本当に箱を中身ごとゴミにしてしまうだろう。
「とりあえずもらうから、貸して」
私は宮城の手から小さな箱を救い出す。
「開けてもいい?」
「開けなかったらあげた意味ない」
宮城が言葉を投げ捨てるように言う。私にいちいち突っかかってくるところをみると、あまり機嫌が良くないらしい。
宮城はカカオ九十九%のチョコレートを口いっぱい頬張ったような顔で、綺麗に包まれた箱を見ている。こんな不機嫌な顔をして誕生日プレゼントを渡してくる人を初めてみた。きっと、宮城が最初で最後だ。
開けにくいな。
突き刺さる視線に、小さく息を吐く。ラッピングをペリペリと丁寧に剥がして箱を開ける。すると、中には銀色のネックレス――分類するならペンダントと呼ぶべきものかもしれないけれど、とにかくアクセサリーが入っていた。
月をモチーフにした小さな飾りがぶら下がったそれは、私には可愛すぎる気がする。宮城の方が似合うかもしれないと思いながら手に取って、飾りやチェーンを見る。高いものだったらどうしようとブランドを確認してみると、そういうものではないらしい。
宮城からは、もう五千円をもらっている。このアクセサリーが誕生日プレゼントかどうかは別にして、さらに物をもらって平気でいるほど厚かましくはない。
「お返しになにかプレゼントする。なにがいい?」
箱の中にペンダントを戻しながら尋ねる。
「なにもいらない」
「なんでもいいってこと?」
「プレゼントとかしなくていいから」
宮城が思いのほか強い口調で言う。
「結構、傷つく言い方なんだけど。それ」
お菓子をもらったお返しとか、ノートを借りたお返しとか、ちょっとしたものをプレゼントしたり、もらったりすることはよくあることだ。誕生日プレゼントなんてもらったら返すことが礼儀と言ってもいいくらいで、それを強く断る宮城は空気が読めない。いや、私からじゃなければもらっているのかもしれないと思う。
たとえば、宇都宮からとか。
これはあまり考えない方が良さそうなことで、私は箱の蓋を閉める。
「なにか渡すのは私だけでいいの。そんなことより、それ、今つけて。命令だから」
そう言うと、宮城がせっかく閉めた箱を開けた。
「いいけど。こういうのって、渡した方がつけてくれるんじゃないの」
「自分でつけて」
「普通、つけてあげるって言うでしょ」
「言わない」
予想はできていたけれど、宮城がそっけなく言う。
こういうところは可愛くない。
「あっそ」
つけてほしいわけではないけれど、宮城の言い方は面白くないと思う。でも、今の彼女にはなにを言っても無駄だ。つまらないことを言えば、命令になって返ってくるに決まっていて、それはろくなことにならない命令だ。
私は箱の中からペンダントを取り出す。
そして、クラスプを外してゆっくりとそれをつけた。
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