仙台さんが甘いなんて嘘だ
第7話
学校は好きでも嫌いでもない。
好きでも嫌いでも行かなければならないものだから、どちらであろうと意味はない。今日だって、気は進まないけれど学校に来ている。くだらないことに気を落としながら。
前髪が短い。
トイレの鏡の前、私はため息をつく。
肩より長いくらいの髪はカットに行くほどではなかったけれど、前髪が鬱陶しかった。だから、自分で前髪を切ることにしてハサミを入れたら、ほんの少し予定よりも短くなった。
切りすぎた髪は引っ張っても元に戻らない。
後悔先に立たずで、前髪は諦めるしかなかった。
でも、短くなった前髪を見るたびに憂鬱になる。こんなとき、することは一つだ。
『今日、うちに来て』
メッセージはいつも同じ。
送る時間は二時間目が終わった後だったり、昼休みだったり。放課後というときもある。ただ、どんな時間であってもこのメッセージは仙台さんにしか送らない。
返事はすぐに来ることもあれば、時間を置いてから来ることもある。けれど断られたことはない。ただ、予定があるから遅くなると言われることはある。今日はまさにその予定がある日だったらしく、お昼休みに送ったメッセージの返信には『先約があるから、少し遅くなるけどいい?』と書かれていた。
『家で待ってる』
こんなときの定型文を送って、授業を受ける。
予定というのは、茨木さんとの約束に違いない。
私は窓際の席から、ちらりと廊下側に座る茨木さんを見る。
彼女は派手でノリが良くて、クラスの中心にいる人だ。いつも誰それが格好いいだとか、可愛いだとかそんなことばかり言っている。聞こえてくる話はそうした興味のないものばかりで、別世界の人間だとしか思えない。それに怒りっぽくて、私たちの間では近寄らない方がいい人で通っていた。
仙台さんは、あんな人と一緒にいて疲れないのだろうか。
先生の声を聞き流しながら、一番前の席に視線をやる。
綺麗に編まれた髪が目に映る。
彼女は私の部屋ではだらしがないけれど、学校では違う。気配りができて優しくて、勉強もできる。いつもにこにこしていて、嫌な顔をすることがない。そのせいか、クラスでも目立つ方のグループにいるのに仙台さんを嫌いだと言う人はいない。
でも、八方美人だと影で言われている。
真剣に授業を受けているらしい本人が知っているかはわからないけれど。
私は、少しばかり短くなりすぎた髪を引っ張る。
授業は五十分のはずなのに、酷く長い。
先生の声はお経のようで眠くなる。
私はもやがかかったような頭で二つの授業をこなし、家へと帰る。
ただいまと玄関の扉を開けても、返事はない。
家には誰もいないのだから、当然だ。
部屋に入って制服のまま、ベッドに寝転がる。
慌てて帰ったわけではないけれど、インターホンはなかなか鳴らなかった。
うとうとと。
襲ってきた睡魔に身を任せていると、メッセージの着信を知らせるスマートフォンに叩き起こされる。目を擦りながら画面を見れば、短い言葉が表示されていた。
『今から行く』
それから、三十分。
私は待たされ、彼女が部屋にやってきた。
「ごめん。遅くなった」
仙台さんがコートとブレザーを脱いで、テーブルの前に座る。
「いいよ。家に帰るのが遅くなるけど」
彼女がどう答えるかは知っている。
私はサイダーを仙台さんの前に置き、向かい側に座ってベッドを背もたれにする。
「平気」
うちは放任主義だから。
そう何度か聞いている通り、今日も仙台さんは帰る時間を気にしようとしなかった。遅くなることに文句を言われないのは、それだけ家族に信用されているからなのかもしれない。
「ねえ、宮城。今日、何の日か知ってる?」
唐突に言って、仙台さんが鞄を開ける。
「――煮干しの日」
二、一、四で、に、ぼ、し。
二と四は良いけれど、一を“ぼ”と読むのは無理があると思う。けれど、語呂合わせなんてそんなものだ。多少無理でも、二月十四日は煮干しの日だと言い切ってしまえば大多数はそんなものだと納得する。
でも、仙台さんは納得しないタイプらしい。
眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに言った。
「そういうモテない男子みたいな答えいらないから。真面目に答えて」
「バレンタインデーでしょ」
世の中が浮かれるほど面白くない日だ。
昨日とさして変わらない。
「正解。羽美奈たちと友チョコ交換することになっててさ、それで遅くなっちゃって。で、宮城の分も持ってきたから」
「え?」
「昨日、羽美奈たちにあげる分作ったからついでに作った」
仙台さんが軽い口調で言って、丁寧にラッピングしてある箱をテーブルの上に置く。
花柄のラッピングペーパーにピンクのリボン。
中身は手作りチョコレート。
すべて女子力が高くて、背中がむずむずする。
「いらない?」
箱をじっと見たまま手に取らずにいる私に、仙台さんが怪訝そうな顔をする。
「私、返すチョコないし」
「友だちに渡さないの?」
「そういうのやらないから」
好きな人に渡したいからと言って、バレンタインデーに向けてチョコレートを作っている友だちはいる。誕生日にプレゼントを贈ることもある。でも、クリスマスだから、ハロウィンだからと、何かイベントがあるごとにきゃあきゃあ騒いでプレゼントを贈りあうような友だちはいない。
友チョコを交換するなんて習慣、異文化のものだ。
「そっか。ま、チョコを交換したいわけじゃないから、なくていいよ。宮城がいらないなら、持って帰るけど」
仙台さんがにこりと笑って、「どうする?」と聞いてくる。
「食べる」
「どうぞ」
私はテーブルに置かれた可愛すぎる箱を手に取って、リボンを解く。ラッピングペーパーを破らないように剥がして、箱を開ける。
白に茶色にピンク色。
市販のものより小ぶりな六個のトリュフが鎮座していた。
「作ったの?」
「作ったって言ったじゃん。ちゃんと食べやすい大きさになってるでしょ」
珍しく誇らしげに仙台さんが言う。
確かに、トリュフは一口でぱくりと食べられそうなサイズに作られている。見た目はお店で買ってきたチョコレートみたいで、料理が苦手な私からしたら手作りという言葉が嘘のようだ。
神様は不公平だと思う。
仙台さんは可愛くて、勉強ができて、料理もできる。同じ人間なのに、私は彼女が持っているものを何も持っていない。
ずるい。
思わず、チョコレートを睨むと仙台さんが言った。
「美味しくできたと思うけど」
彼女の言葉に、トリュフに手を伸ばす。
けれど、私はすぐにその手を引っ込めた。
「仙台さんが私に食べさせて」
「命令?」
「そう、命令」
最近の仙台さんは命令されることに慣れてしまったのか、悪戯が過ぎる。
あれから何度か足を舐めろと命令したけれど、必ず命令以外のことまでしてくる。
噛みついたり、唇を押しつけたり。
そういうことは望んでいない。
従うべきは仙台さんで、痛かったり、変な気持ちになるのも仙台さんの方だ。
だから、今日は私が同じことをする。
「こっち来て」
ベッドを背もたれにしたまま仙台さんを呼ぶと、彼女は素直に隣に座った。
「どれから食べたい?」
「白いのから」
粉砂糖がまぶされたトリュフを指さす。
「わかった」
仙台さんが白いトリュフを人差し指と親指でつまむ。
すぐに雪みたいな塊が近づいてきて、私は口を開けた。
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