宮城が足りない

第230話

 朝ご飯の前に一回、お昼ご飯の前に一回。

 ドアを二回ずつノックした。

 名前も呼んだ。

 でも、宮城は部屋から出てこなかったし、うんともすんとも言わなかった。


 彼女が部屋から出て来ない理由はわかっている。

 昨日の出来事以外にない。


 クリスマスに守ってもらった約束が、私から宮城を遠ざけている。家出をしないだけマシだけれど、家にいても部屋から出てきてくれないのなら家出とそうかわらない。同じ家にいるのに顔を見ることもできないほどあからさまに避けられているのは辛い。


 息を吸って吐く。

 宮城の部屋のドアを少し大きめに叩く。


 トン、トン。


 耳を澄ますが、中からはなにも聞こえてこない。今日三回目のノックもあっさりと無視される。


「宮城!」


 ドアに向かって大きな声で呼ぶけれど、返事はない。

 今日から始まるカフェのバイトへ行く前にドアを開けてほしいと思う。


 私はもう一度、ドアをドンと大きく叩く。

 部屋は静かなままで、ドアに額をつけて首筋を撫でる。

 体温は感じない。

 指先が伝えてくるのは、昨日宮城につけられた噛み跡を隠すタートルネックの感触だけだ。


「宮城、いるんでしょ」


 やっぱり返事はないし、ドアも開かない。

 開かないドアなんていらないと思う。

 私と宮城を隔てるドアなんて、取り払って捨ててしまった方がいい。ついでに私と宮城の部屋を隔てている壁も叩き壊して、粗大ゴミに出してしまいたい。

 私はできもしないことを考えながら邪魔者でしかないドアを叩き、ドアノブに手をかける。


「入るよ」


 威勢良く言ったものの、手が動かない。いいと言われていないのに部屋へ入ることに罪の意識を感じる。こんな常識か良識かわからないものなんて捨ててしまえばいいのに、捨てることができない。

 私はまたドアをトンと叩く。


「開けるよ」


 開けてと願うように口にすると、今日初めて宮城の声が聞こえてきた。


「入っていいって言ってない」

「じゃあ、いいって言いなよ」

「やだ」

「これからバイト行くし、顔ぐらい見せてよ」


 額をドアから離して、宮城、と呼ぶ。

 さっき返ってきた声は返って来ず、ドアの向こうは静寂に包まれている。


「開けるよ?」


 今度は文句を言われない。

 これはたぶん、中に入ってもいいということで、私はそっとドアを開ける。部屋に足を一歩踏み入れると、すぐに布団の塊が見えて声をかけた。


「宮城、顔出して」

「やだ」


 ベッドの上で大きな芋虫と化した宮城が答える。


「ご飯は食べたの?」


 返事はない。

 でも、冷蔵庫の食材が減っていなかったから答えはわかっている。


「チャーハン、宮城の分もお昼に作って冷蔵庫に入れてあるから温めて食べなよ」


 布団にくるまったまま顔を出さない宮城に近づいてベッドに腰をかけると、「ありがと」と小さな声が聞こえた。


「宮城」


 布団の端を引っ張ると、引っ張り返される。


「仙台さん、バイト行くんでしょ。早く行けば。遅刻するよ」

「まだ時間あるから」


 ぽんっと布団を叩いて、宮城、とまた呼ぶけれど、布団は芋虫のままで宮城になってくれず、昨日のことを後悔しかける。


 セックスなんて言葉を使うべきではなかったのかもしれない。


 私のことを意識してほしい。

 私としていることがどんなことなのか意識してほしい。


 そう思って口にした言葉だけれど、好きだと言うつもりもないのに意識させる意味はなかった。私は、こんな風に布団から出てこない宮城がほしかったわけではない。


 はあ、と息を大きく吐いて、布団を掴む。

 いつものように、昨日なにもなかったかのように、布団を引っ張って「宮城」と呼ぶ。


「仙台さん、うるさい」


 パジャマ代わりのスウェットを着た宮城が布団から上半身だけを出して、不機嫌に眉を寄せる。


「着替えないの?」


 どんなに私のことを意識したとしても、私としていることがどんなことなのか意識したとしても、宮城は私に好きだと言ってくれたりしない。私のことを好きだとしか思えないような行為ばかりしてきても、宮城はそんなことを言ってくれるような人間ではない。

 だから、私たちは日常の続きに戻るべきだ。


「私は勉強するし、家にいるんだからスウェットのままでいい」


 宮城が低い声を出し、睨んでくる。

 どこからどう見ても機嫌が悪い。

 まあ、良くなる要素がないけれど。

 私は口角を上げて笑顔を作り、宮城の首を指差した。


「ここ、跡ついてる」


 昨日、つけたキスマークがはっきりと残っている。指先を宮城の首に這わせ、跡を撫でるとパチンと手を叩かれる。


「なにしにきたの?」

「約束したから」

「約束なら、もう守ったじゃん」

「他にも約束あるでしょ」

「ない」


 宮城が断言するが、私は間違っていない。

 彼女が守らなければいけない約束は他にもある。


「バイトに行く日は印をつけるって言ったの、誰? 忘れてるなら思い出しなよ」


 冬休みにカフェでバイトをすると言った私に、バイトに行くなら印をつけさせろと言ったのは宮城だ。付け加えるならば、バイト以外どこにも行くなとも言った。

 私はその約束を守るつもりだし、宮城にも守ってもらうつもりでいる。


「……今日はいい。早くバイト行けば。遅刻するよ」


 布団から上半身だけを出した宮城が愛想の欠片もない声で言う。


「自分で言いだしたことなんだから、ちゃんと印つけなよ」

「今日はいいって言ってるじゃん」

「じゃあ、交換条件。質問に答えてくれたら、今日の約束は守らなくてもいいってことにしてあげる」

「どうせ変な質問なんでしょ」

「変じゃないよ。私の夢、見てくれたかどうか知りたいだけ」


 絶対に答えないと知っているけれど、宮城をじっと見る。視線の先、唇が動きかけて閉じる。宮城が枕を掴む。そして、私はその枕で腕を叩かれた。


「痛いんだけど」

「やっぱり変な質問じゃん」

「夢を見たか聞くなんて、日常会話の一つでしょ。宮城が変なこと考えてるから、変なことのように聞こえるだけ」

「……仙台さんは見たの?」

「質問に質問返すのなし、って言いたいところだけど……。私は見たよ。昨日の宮城の夢」


 宮城に夢を見てと言った私が夢を見た。

 本当に馬鹿だと思うけれど、予想の範囲内のことだ。


 私が昨日の宮城を夢に見ないわけがない。


 あったことになかったことをプラスして、覚めたくない夢を見た。今日も同じことをしたいと思うくらい良い夢だったと思う。


「宮城は見た?」


 布団でデコレーションされている宮城から枕を奪うと、腕を引っ張られる。体が宮城の方へ傾いて、耳に生温かい息が吹きかかる。


 ベッドの上。

 すぐ側にいる宮城。

 昨日を思い出す。


 体が硬くなって、よからぬことが頭に浮かぶ。宮城、と声に出すと首を覆い隠しているニットを掴まれた。遠慮のない手がニットを強引に引っ張り、首筋に硬いものが当たる。


 皮膚を裂くようにそれが食い込み、痛みが広がる。


 たぶん、宮城が歯を立てている場所には、昨日の彼女が呆れるほど強く噛み、私に刻んだ跡がある。


 痛い。

 与えられる感覚は昨日をなぞり、上書きして、私を蝕む。その燃えるような痛みは、昨日の記憶をより鮮明なものにする。


 初めて触れたときよりも素直に応えてくれた体。

 葉月と私を呼んでくれた声。


 夢よりもはっきりと頭に浮かんで、布団から宮城を引っ張りだすように抱きしめる。

 できることなら、バイトなんて行かずに宮城をこのベッドに押し倒してしまいたいと思う。なにもかも忘れて、宮城が言うようにこの家にずっといて、どこにも行かずに過ごしたい。


 背中に回した腕に力を込める。

 皮膚に突き刺さる歯が与えてくるキリキリとした痛みに息が止まりそうになって、宮城、と囁くと、唐突に肩を押された。


「印つけたから」


 ぼそりと言って、宮城が私から少し離れる。


「こんなところに印つけられても困るんだけど」


 ニットの上から、歯形がついているであろう場所を撫でる。


「私がつけたいところにつけたいだけつけるって約束だし、どこにつけたっていいじゃん。それに、ここにつけろって意味でそれ着てるんでしょ」

「昨日、宮城がつけた跡隠さないとバイトに行けないから着てるの」

「じゃあ、早くバイト行けば」


 宮城が低い声で言って、私を押す。

 その手を掴んで引っ張ると、今度は服の上から首筋に噛みついてくる。直接噛まれるよりはマシだけれど、やっぱり痛い。それでも宮城を離したくなくて背中に腕を回すと、宮城が逃げていく。


「印、もういいの?」

「もういい」


 素っ気ない声が返ってくる。

 宮城は、昨日のことが嘘みたいに不機嫌だ。

 にこりともしないし、私を葉月なんて死んでも呼びそうにないけれど、私にはそんな彼女が可愛く見える。


「今日、遅くなるから」


 私よりも布団とばかりくっついている宮城に告げる。


「……ご飯は?」

「ご飯って?」

「仙台さんのご飯」

「夜、まかないでる」

「じゃあ、私のご飯は?」

「宮城の?」

「今日、なにもしたくない」


 宮城がぼそりと言って、布団に視線を落とす。


「それは、私に作ってほしいってこと?」

「作りたくないならいい」

「作ってもいいけど、大丈夫? お腹空くでしょ」

「飢え死にしたら仙台さんのせいだから」

「わかった。なるべく早く帰ってくる」


 宮城は待っているとは言ってくれないけれど、空気が緩んだ気がして彼女に顔を近づける。でも、唇が触れる前に肩を力いっぱい押された。

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