第314話

 青い空とペンギン。

 アシカの耳介。

 愛想のいいアザラシやコツメカワウソ。


 そして、不器用な笑顔の宮城。


 お土産は買わなかったけれど、たくさんのものを水族館から持って帰ってきた。


 水族館は私に特別をくれる。


 一度目も二度目も、大切で大事で、誰にも渡したくないものをもらうことができた。

 でも、宮城がどう思っているのかはわからない。


 楽しくなかったことはないだろうと思うのだけれど、私の部屋にやってきた彼女は私ではなくペンギンのぬいぐるみと仲良くしている。


「仙台さん、近い」


 ペンギンを抱えた宮城が愛想のない声で言う。


「酷くない? 一緒に見ようよ」


 宮城は私の隣で今日撮った写真を見ているけれど、どういうわけか私には見せてくれない。一人で自分のスマホを見ている。


 宮城との距離は水族館にいたときよりも近い。

 肩が触れあいそうなくらいの距離を受け入れてくれてはいるが、想い出を共有することは許してくれない。


「やだ」


 素っ気ない答えが返ってくる。

 今日の想い出は一緒に作ったものだから、一緒に写真を見て「楽しかったね」と言い合うくらいは許されるはずだ。


「こういうときは一緒に写真見て盛り上がるものじゃない?」


 夕飯はファミレスで食べてきた。

 あとは今日の想い出を語るくらいしかすることがなく、水族館で撮った写真をなんとなく見ているだけだと、すぐに宮城が自分の部屋へ戻ってしまいそうだと思う。


「わざわざここで盛り上がらなくても、今日楽しかったし」


 宮城の口から今日がどんな日だったのかわかる言葉がぽろりと漏れ出て、私は彼女の肩に自分の肩をくっつける。


「その楽しかったこと、写真見ながら話そうよ」


 私と宮城の間には、カモノハシのティッシュカバーが入り込む隙間すらない。でも、宮城のスマホをのぞき込んだりはしなかった。

 それなのに彼女は、スマホをわざわざテーブルの上の私から手の届かない位置へ置いた。


「仙台さんが撮った写真見せて」

「宮城が撮った写真は?」

「仙台さんに見せないといけないの?」

「むしろ見せない理由ってなんなの?」


 私の言葉に宮城が黙り込み、ペンギンの羽をぎゅっと握る。そして、ぱたぱたと動かしてから不満だらけの顔をして言った。


「……整理してから見せる」

「約束ね」


 そう言って、宮城の耳を飾るピアスにキスしようとすると額を押された。


 約束をしたくないのか。

 キスをされたくないのか。


 どちらなのか気になるけれど、問いかければどちらもだと言われそうな気がする。それはあまり面白いことではないから、不満を一言で片付ける言葉を口にする。


「宮城のけち」

「約束はする」

「キスもしなよ」


 こういう状況でこういうことを言うと、どうなるのかわかっている。


 絶対に宮城はペンちゃんを身代わりにするはずで、私はぬいぐるみとキスをすることになる。私はそうなる前に宮城が抱えているペンちゃんを奪って、ベッドに放り投げる。


「可哀想じゃん」


 隣からぬいぐるみを気遣う声が聞こえてくる。


「このままだと可哀想なのは私になりそうだから」

「なんで?」

「キスするならペンちゃんじゃなくて宮城がいい」

「写真見るって話だったじゃん」

「写真はあとからでも見られるし」

「仙台さんのエロ魔神」

「いいよ、エロ魔神で」


 私が贈ったピアスに唇を寄せてキスをする。


 宮城が撮った写真を見せてもらえるように。

 また宮城が写真を撮りたくなる場所に行けるように。


 二つまとめてプルメリアのピアスに願う。


「宮城、約束守って」

「約束はするって言ったじゃん」


 聞いた、と答えて、もう一度ピアスにキスをする。


 水族館にいたときの宮城を思うと冷淡にも感じるけれど、悪くない。

 有り体に言えば、幸せ、ということになるのだと思う。


 ルームメイトではなくなったからといって関係が大きく変わったわけではないが、宮城が今までとは違う顔を見せてくれる。


 私は彼女の頬に触れる。

 指を滑らせ、唇を寄せる。

 でも、キスをする前に宮城の手が私の首に触れた。


「仙台さん、動かないで」


 小さな声とともに宮城の手がペンダントのチェーンに触れ、服に隠れていたペンダントトップを引っ張り出す。そして、私に命令をしていたあの頃よりも月の飾りを優しく撫でた。


「久しぶりに触った」


 宮城が独り言のように言い、月の飾りに唇をくっつけてくる。それは所有権を主張するもので、あの頃と変わらないキスに思える。


「仙台さん」


 静かな声はそこで途切れ、続く言葉は聞こえない。


 宮城の指先がチェーンを撫でる。

 服の上をすべる手がくすぐったくて宮城の手を掴むと、途切れた言葉の続きが聞こえてくる。


「……水族館楽しかったけど、仙台さんが私のものじゃなかった」


 宮城が理解できないことを言う。


「私はどこにいても宮城のものだよ」

「違う」

「違わない。今日は宮城のものだっていう印にペンダントもしてるじゃん」


 高校時代にもらったペンダントは、学校でも家でも私が宮城のものだとわかる首輪のようなものだった。それは今も変わらない。


 久しぶりに身に着けたペンダントは、目に見える形で私が宮城のものだと主張している。


「水族館でも大学でもどんなときも私は宮城だけのものだから」


 あの頃からは私は宮城のもので、この先もずっと変わらないし、変わらなくていい。


「……じゃあ、もっと私だけのものになってよ」


 首筋に宮城が唇を押しつけてくる。

 歯が立てられ、軽く吸われる。


「宮城、そこ目立つ」


 まだ跡がつくほどではない。

 でも、これから跡がつけられそうだと思う。


「目立たないところにするから大丈夫」


 そう言うと、宮城が私の服の裾をめくり上げた。

 隠れていたお腹が彼女の目に触れ、反射的に隠す。


「仙台さん。手、邪魔」


 宮城が平坦な声で言って、私の肩を掴む。

 そのままぐっと押され、床に押し倒される。


 私を真っ直ぐに見る宮城の目。


 少し居心地が悪いくらい宮城が私を見て、服の中に手を入れてくる。


「ここならいい?」


 宮城の手のひらがお腹に触れる。

 するりと手が滑り、肋骨の上あたりを強く指で押される。


 いいけれど、よくない。


 そこに跡をつけるなら、服をもっとめくらなければいけないし、また私ばかりが脱がされることになりそうだ。


「同じこと、宮城にもしていい?」

「駄目」


 考えたとは思えない速度で宮城の返事が聞こえてくる。


 私には拒否権がなく、宮城は当然のように服をめくり、指で押さえた場所に唇をつけ、強く吸ってくる。


 私だけ服を脱がされかけていることに不満があるが、見えない場所だから跡は残ってもいい。

 皮膚に感じる宮城の体温が私の心臓の音を速める。


 どくどくうるさい。


 胸の下、宮城の唇が押しつけられる。

 何度も唇がくっついて離れて、宮城の手が胸に触れる。


 下着を脱がそうとはしてこないけれど、そこまでしていいとは言っていない。大体、この状態で胸に触れたり、体にキスをし続けるということは――。


「あのさ、宮城。これってそういう流れ?」


 心の準備ができていない。

 いや、できていなくてもいいのだけれど、今日、そういう流れになるとは思っていなかった。


 水族館が楽しくて、幸せで、穏やかな一日で、それで満足で。


 今日のすべてが頭の中から溢れ出る。


 宮城の手が胸の上を這う。

 私の問いかけに返事はない。

 部屋は明るくて、なにもかもが良く見える。


「宮城」


 胸の上にある手を掴んで尋ねると、宮城が顔を上げた。


 灯りの下、目が合う。


 宮城の手が私から逃れ、印をつける場所を探すように脇腹を撫でる。


「……仙台さん」


 小さな声で呼ばれて「なに?」と答える。


「赤い」

「赤い? どこが」

「ここが」


 脇腹を撫でていた宮城の手が私の頬に触れ、柔らかくくっつく。


「……ちょっと待って」


 溢れ出た今日の想い出を全速力で頭に戻して、状況を整理する。


 赤い。

 という宮城の言葉。

 頬に触れた手。


 それは私の頬が赤くなっているということで、心臓がどくんと大きく鳴る。


 これは、たぶん、私はこの状況を恥ずかしいと思っている。


「やだ。待たない」

「待ってってば」

「なんで? 仙台さんは私だけのものなんだから、私の好きにさせてよ」


 確かに私は宮城だけのもので、それ以外の私になるつもりはない。でも、今は少し待ってほしい。


 ペンギンを見ていた宮城が、ぎこちなくでも笑ってくれた宮城が、私に触れたがっている。


 感情が追いつかない。


 私の体に宮城の手が這う。

 首筋に唇がくっつく。

 跡をつけるようなキスではなくて、柔らかくキスをしてくる。


 ルームメイトではなくなった宮城が、こういうことをしたがっているなんて、まるで恋人になったみたいだと思う。


 宮城にそういうつもりはないのだろうけれど、私にはそういうつもりにしか思えなくて、心臓も頭もおかしくなっている。


 マズい。

 このまましてしまうのはよくない。

 宮城になにもかも伝えてしまいそうだ。


 宮城が今日を楽しいと思い、私に触れたいと思ってくれるからこそ、もう少し時間をかけたい。胸の奥にある想いを伝えるなら、宮城が私から逃げないタイミングで、宮城が私の気持ちを確実に理解してくれるタイミングで伝えたい。


「……やり直さない?」


 そう言って宮城の髪を軽く引っ張ると、私の体から唇と手が離れた。


「どういうこと?」


 宮城が顔を上げ、私を見る。


「日を改めてほしいんだけど」

「……日を改めてっていつ?」

「いつがいい?」

「そんなの、知らない」


 宮城がぼそりと言って体を起こし、私にペンギンを押しつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る