第126話

 ゴールデンウィークの予定が決まらない。


 家族から連絡はない。

 それはわかっていたことだから気にしていないし、帰って来いと言われても気持ちが悪い。私が帰ることを親が望んでいないことは、今さら悲しむようなことではない。もともと帰るつもりがなかったから都合が良いと思っている。ただ、することがないから時間が余る。


 私はその余った時間の一部を宮城と消費したいと思っている。


 夢を見てから数日がたった今、連休の予定を詳しく聞くまでには至っていないが宮城が帰らないことは把握している。

 問題は、話がそこから先に進んでいないことだ。


 暇つぶしに付き合ってと言うくらいはなんでもないことだけれど、宮城が素直にうんと言ってくれるとは思えない。


 私は、ふう、と息を吐く。

 教壇の上にいる先生を見る。

 スライドが次々と変わっていく。

 私は講義室に響く先生の声を聞きながら、今朝食べた目玉焼きを思い出す。


 宮城が作ったそれは勝手に黄身が割れたりしなかったらしく、綺麗にできていた。そのせいか宮城はいつもより機嫌が良かったが、私のいらない一言で状況が変わった。


 髪型に口なんかださなければ良かった。


 触らぬ神に祟りなしと言うけれど、そのことわざが正しいことはよく知っている。でも、人は正しいことばかりをして生きているわけではない。最近の私は触ることができない宮城をかまいたくて、余計な一言を付け加えては彼女の機嫌を損ねている。

 おかげで、しようと思っていたゴールデンウィークの話をせずに家を出ることになった。


 バイトも見つからないし、良いことがない。


 はあ、とため息をついて、スライドを見る。


 大学では、やらなければならないことは真剣に。

 人付き合いはそこそこに。


 優秀な成績である必要はないけれど、四年間で大学を卒業してそれなりの企業に勤めたいと思っている。今は、宮城のことを考えている時間ではない。板書をあまりしない先生だから、真面目に聞いていないと講義の内容がよくわからなくなる。


 ゴールデンウィークのことは、一度頭の中から追い出す。

 そして、先生の声に集中する。


 高校とは違って、九十分の授業は長い。

 ノートにペンを走らせる。

 三十分、四十分と時間は過ぎていき、九十分になる少し前に講義が終わる。


「葉月」


 ノートを閉じると、名前を呼ばれる。顔を上げると大学に入ってできた友だちの一人、みおが一つ前の席から私を見ていた。


「いい話、あるんだけど」


 高校時代のような人間関係は望んでいないから、交友関係を広げる努力をするつもりはない。それでも友だちが何人かできて、空いた時間をくだらない話で潰すことくらいはできている。


「良い話?」

「そう。だから、そんなつまんなそうな顔してないでにっこり笑顔で聞いて」

「にっこり笑顔で聞くかどうかは、なんの話かによる」


 私がそう言うと、澪が私の代わりににっこりと笑った。


「葉月、バイト探してたでしょ。だから、いいバイトを紹介しようと思ってさ」


 元気の良い声が響く。

 確かに、澪にバイトを探しているという話をした。


 生活に必要なお金は親が出してくれているから、バイトをしなくても暮らしていくことはできる。けれど、お金がほしい。


 私は、大学を卒業しても家に帰るつもりがない。


 ここでそれなりに良い仕事を見つけたいと思っている。でも、上手くいかないかもしれないし、新しい部屋を探すことになるかもしれない。いろいろな“かもしれない”が重なる可能性を考えると、お金はあった方がいい。だから、親がお金を出してくれる大学生のうちにバイトをしてお金を貯めるつもりでいる。


「それって、どんなバイト?」

「家庭教師」


 満面の笑みで答える澪と一緒に講義室を出る。


「澪、家庭教師してるの?」

「あたし、家庭教師に向いてるタイプに見える?」

「見えない」


 澪は人懐こくて頭もいいけれど、物事を深く考えないところがある。よく言えば決断力があるが、悪く言えば考えなしで適当だ。家庭教師が澪だったら楽しいとは思うけれど、成績が上がるとは思えない。


「即答とか。まあ、いいや。興味あるなら紹介するよ」

「生徒を?」

「違う。そんなの紹介できるわけないじゃん。紹介するのはあたしの先輩。家庭教師したい人探してるから」


 澪の言葉に、宮城に勉強を教えていた記憶が蘇る。


 私の力だけではないとわかっているけれど、二人で勉強をしたことで彼女の成績は上がったはずだ。それだけで私が家庭教師に向いているとは言わないが、勉強を教えることはそれなりに楽しいことだったように思う。


「話を聞くだけでも大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫」


 本当に大丈夫かわからない軽い声が廊下に響く。


「じゃあ、先輩紹介して」


 やるかどうかわからない。

 でも、興味はある。

 澪の先輩がどんな人かは知らないが、話くらいは聞いてみたい。


「おっけー。連絡してみる」


 明るい声とともに、澪がスマホを取り出す。そして、何度か先輩とメッセージのやり取りをすると、顔を上げた。


「今、忙しいみたい。時間できたら直接話したいって言ってるけど、連絡先教えてもいい?」

「いいよ」


 そう答えると、澪があっという間に話を進めて先輩の連絡先が私のスマホに登録される。そして、三時間くらいしたら電話がかかってくると伝えられる。


 さらに、澪が先輩について話し始めて、先輩が女性であることや三年生であること、その他いくつもの個人情報が私の頭にインプットされる。けれど、午後の講義が終わっても先輩から連絡はなく、家へ帰るための電車に乗っても、玄関の前に着いても先輩から連絡が来ることはなかった。


 私は鍵を取り出して、玄関を開ける。

 電気がついていて、足元を見ると宮城の靴がある。


 今日は、彼女の方が早いらしい。

 靴を脱いで中へ入ると、部屋にこもっているだろうと思っていた宮城が冷蔵庫の前にいた。


「ただいま」


 私は宮城の背中に声をかける。


「おかえり」


 宮城は買い出しをしてきたらしく、横に食材が入った袋が置いてある。


「仙台さん。今日、なに作るの?」

「宮城は食べたいものある?」

「ドリア」


 宮城が冷蔵庫に食材を詰め込んで立ち上がる。


「作ったことない。他にないの?」

「食べたいものあるって聞いたの仙台さんじゃん」

「聞いただけで作るとは言ってない。大体、ドリアの材料買ってきたの?」

「材料なんてわかんないから買ってない」

「じゃあ、無理じゃん」


 レシピを検索して一応冷蔵庫の中を確認してみるが、やっぱりドリアの材料になりそうなものは入っていない。


「そんなに食べたいなら、今からどこかに食べに行く?」


 私は現実的な案を出す。


「今日はもういい。買い出ししてきたし、なんか作ろうよ」


 予想通り、素っ気ない声が返ってくる。

 たまには二人で出かけられたらと思ったが、宮城にその気はないらしい。


「明日は?」


 良い返事があるわけがないけれど、一応尋ねる。


「……いいけど」


 宮城が予想とは違う答えを返してきて、私は彼女を見た。


 どこへ行く?

 何時にする?


 どちらを先に聞こうか迷って、どこへ行くか尋ねようとしたところでスマホが鳴る。


「ちょっと待ってて」


 鞄から着信音を鳴り響かせるスマホを取り出す。


 画面を見ると、澪から聞いた先輩の名前が表示されている。どうやら約束は忘れられていなかったらしい。電話に出ると落ち着いた声が聞こえてきて、用件だけが告げられる。そして、五分も経たないうちに電話が切られて、私は宮城に謝った。


「ごめん。明日、用事ができた。ドリアは明後日でもいい?」

「用事って?」


 宮城がほんの少し低い声を出す。


「バイト紹介してくれるっていう人と会うことになった」

「――仙台さん、バイトするの?」


 ドリアではなく用事に興味を示し、今度はバイトに興味を示した宮城が私をじっと見つめてくる。


「するつもり。お金貯めようと思ってるから」


 隠していたわけではないが、宮城にバイトをしようと思っていることはまだ伝えていなかった。その理由は単純なもので、宮城に言う機会がなかったからだ。大体、宮城という人間は、私が大切な話をする前に機嫌が悪くなるか、私の前から姿を消すようにできている。


「お金なら、高校のときに渡したヤツがあるじゃん」


 宮城の声がさらに低いものに変わる。


「だから、あれは私のじゃないから」

「仙台さんのじゃないとしても使えばいい」


 そう言うと、宮城が私の足を蹴った。

 脛の辺り、強くではなく軽くだけれど、私は大げさに痛いと言って彼女を見る。


 最近の宮城は大人しくて、私を蹴ったり噛んだりするようなことがなかったら、昔に戻ったような気分になる。けれど、今されたことは喜ぶようなことではないとわかってる。


 私は宮城から離れて、いつも座っている椅子に腰掛ける。


「仙台さん、約束破るの?」


 冷蔵庫の前に立ったまま、宮城が不満そうな声で言う。


「ごめん」


 ぱちんと手を合わせて謝る。

 ドリアは逃げはしないけれど、忙しそうな先輩は明日を逃したら次はいつ会えるかわからない。バイトは大学生になったらしたいことの一つでもあったから、ドリアを食べに行くのは明後日にしてほしいと思う。でも、宮城は「いいよ」とは言わない。黙ったままで、近づいても来ない。


「ドリア、どうしても明日じゃなきゃ駄目?」


 先輩ではなく、ドリアを優先すべきかもしれない。

 私は迷いながら宮城を見る。


「……明後日でもいいけど、罰ゲームだから」

「え?」

「約束破ったら罰ゲームなんでしょ」


 諦め半分に聞いた言葉に対して、決めた記憶のないルールを宮城が持ち出してくる。


「いや、違うでしょ。罰ゲームが適応されるのは二人で決めたルールを破ったときで、普通にした約束は別物だから」

「さっき、二人で一緒に食べるって決めたし、ルールみたいなもんじゃん」

「宮城、言ってることめちゃくちゃなんだけど」


 二人で暮らすために決めたルールにちょっとした約束を含めてしまうのは横暴すぎると思う。けれど、宮城は引く気がないらしく、テーブルに手をついて身を乗り出す。


「罰ゲームは、二人で決めたルールを破ったときだけなんて言わなかったよね? だったら、さっき決めたことを守らない仙台さんに罰ゲームさせてもおかしくないと思うけど」


 言ったかどうかで言えば、罰ゲームは二人で決めたルールを破ったとき“だけ”とは言っていない。だからといって、宮城の理屈は認めなければならないようなものではないし、理不尽過ぎる。


 言っている本人だって、筋が通った話ではないとわかっているはずだ。でも、宮城は私がこの理不尽な罰ゲームを受け入れると思って言っている。


 私は小さく息を吐く。


「じゃあ、今回はそういうことでもいいけどさ。罰ゲームって、なにさせるつもり?」

「まだ決めてない」

「そんなゆっくり考えて決めるようなことなの?」

「いいじゃん、ゆっくりでも。罰ゲームの期限だって決まってないでしょ」


 さすがに嫌な予感がする。

 際限なく時間を与えたら、宮城はろくでもないことを言い出すに違いない。


「明日までに決めなよ」

「無理」


 宮城がきっぱりと言う。


「無理っていうか、決める気ないだけでしょ。もう宮城の好きにしていいから、決まったら教えて」


 彼女の言葉に従うことは慣れている。

 罰ゲームをしたっていいとも思っていた。

 ろくでもない命令に従うことだって慣れている。

 だから、これは悪いことじゃない。

 そう思って立ち上がる。


「で、宮城。今日の夕飯はどうする?」


 私は、冷蔵庫の前に立ったままの彼女に問いかけた。

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