仙台さんと歩く道

第147話

「志緒理、本当に帰らなくていいの?」


 テーブルの向こう側、舞香がスマホから視線を私に移す。


「うん」


 早く帰った方がいい。

 わかっている。

 でも、今日も帰りたくない。


 月曜日は日曜日の出来事に対する気まずさだけが逃げてきた理由になっていたけれど、今は違う。帰らずにいた時間が会いにくさを加速させている。


「喧嘩の相手、かなり心配してると思うけど」

「それはわかってる」


 今日も仙台さんからいつ帰ってくるのか尋ねるメッセージが送られてきた。スマホに届く彼女からのメッセージはいつも私を心配しているとわかるもので、彼女のメッセージを見るたびに帰らなければと思う。そして、私がいない毎日を仙台さんがどう過ごしているのか気になる。


 いつもと同じように大学に行って、講義を受けて、友だちと話をしているはずだと思うし、そうしていた方がいいと思うけれど、いつもと違う彼女になっていればいいとも思う。今日あるはずのバイトだって、休んでいたらいいと思っている。


 そういう考え方をする自分が嫌で早く帰らなければと思うのに、帰れないからもっと自分が嫌いになる。舞香にもこれ以上迷惑をかけられないと思っているのに、迷惑をかける方向にしか動けない自分も嫌いだ。


「こんなに帰らないって、それ本当にただの喧嘩なの?」


 舞香が私をじっと見る。


「ただの喧嘩」


 嘘は一つついたら、その嘘を守るためにいくつもの嘘をつくことになる。舞香にこれまで重ねた嘘の重さとこれから重ねる嘘の重さを考えると、ルームメイトが仙台さんだということくらいは告げるべきだ。でも、そこだけを切り出して伝えることは酷く難しいことに思える。


「志緒理」

「なに?」

「……私になにか言うことない?」


 舞香がやけに真剣な声で言う。


「ないけど、なんで?」


 私は新しい嘘とともにオレンジジュースを飲む。


「別に。まあ、ちゃんと仲直りした方が良いよ」

「うん」


 今の状態が良くないことはわかっている。放っておけば、仙台さんとの関係が壊れてしまうかもしれないこともわかっている。


 高校時代は、仙台さんが壊れそうな関係を繋いでくれた。

 ポップコーンまみれにしてサイダーをかけた後。

 キスをしようとして追い返した後。

 仙台さんは私が作った距離を強引に縮めてきた。


 でも、今回は作った距離を自分で縮めなければいけない。

 今日は無理でも明日には帰るべきだ。

 そう思う。


 私はオレンジジュースを一口飲んで、スマホを手に取る。仙台さんにメッセージを送ろうと思うが、指が動かない。明日帰るという数文字を打ち込めずにいると、チャイムが鳴って舞香が立ち上がった。


「あ、来た。ちょっと出てくるから、志緒理そこにいて」


 誰かを待っていたような舞香の言葉に違和感を覚える。

 デリバリーは頼んでいないし、宅急便が来るような時間でもない。


「……友だち?」

「これからそうなるかもね」


 今は友だちではなく、これから友だちになるかもしれない誰か。


 尋ねてきた相手が想像できない。大体、それほど親しくない相手が遊びに来るような時間じゃない。

 仕切りのない部屋は、少し体を動かせば玄関が見える。誰が尋ねてきたのか気になって体を浮かせたところで、聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「すぐ帰るからここでいい」


 私は思わず立ち上がる。

 舞香の向こう側、見たくなくて見たかった顔が見える。


「玄関で話し合いされたら近所迷惑だし、入って」

「……じゃあ、おじゃまします」


 なんで。

 どうして。

 ここに仙台さんが来るなんてあり得ない。

 手足が冷たくなっていく。


「宮城、迎えにきた」


 仙台さんがにこりと笑う。


「――舞香」


 あまりにもわけがわからない事態に、私は当たり前のように仙台さんを迎え入れた舞香を見た。


「仙台さんと大学で会ったから、私がうち来ればって言った」

「……え?」


 意味がわからない。

 なんで大学で仙台さんと舞香が会うようなことになるのか。

 そこからどうしてうちに来ればという話になるのか。

 まったくわからない。


 でも、下手になにか言うとバレてはいけないことがバレそうでなにを言えばいいのかわからない。いや、仙台さんがここに来たということは、おそらくバレてはいけないことが最低一つはバレている。なにがどうしてこうなったのかわからないけれど、私と仙台さんに繋がりがあることはバレていると考えた方がいい。できることならここから逃げ出してしまいたいけれど、玄関へ行くには仙台さんと舞香が邪魔だ。


「宮城がいつまでたっても帰ってこないからさ。大学に探しに行ったら、宇都宮に偶然会ってこうなった」

「こうなったって……」


 困る。

 こんな状況は困る。

 頭はスイッチが切れたみたいに考えることを拒否しているし、この状況を受け入れることも拒否している。


「仙台さん、大学で志緒理のこと探してるって言って声かけてきたから連れてきた。話し合いした方がいいでしょ」


 当然のように舞香が言う。

 二人から小出しにされる情報をまとめようとするけれど、上手く繋がらない。理解できるのは、一緒にいてはいけない人物が二人一緒にいるという受け入れがたい事実だけだ。


「……舞香、仙台さんが来るなんて一言も言わなかったじゃん」

「私が黙っててって頼んだ。宮城、私が来るって聞いたらいなくなるでしょ」


 仙台さんが来ると知っていたらここにいないし、今だってここから逃げ出したい。私の行動を読んで舞香に口止めをするなんて酷いと思う。なにがどこまでバレているかよくわからないけれど、できれば自分から舞香に話したかった。


 ――いつになったかはわからないけれど。


「詳しいことは家で話すから、とりあえず帰らない?」


 仙台さんが笑顔を崩さずに言う。

 帰らなければと思っていたけれど、状況に頭が追いつかない。体を動かせずにいると、仙台さんが近寄ってくる。そして、私の腕を掴んだ。


「やっ――」


 思わず強い口調で彼女を遠ざけようとして、言葉を飲み込む。ここは舞香の家で、舞香が見ている。いつものように強くやだなんて言ったら、舞香がなにを言い出すかわからない。


「立ち話もなんだし、座って話したら?」


 私と仙台さんの間に流れる微妙な空気を和ませるように舞香がのんびりと言って座る。


「それにしても、志緒理酷いよね。親戚と住んでるなんて嘘つくんだもん」


 舞香が酷いというわりに優しい声で言って言葉を続ける。


「高校の時に仙台さんと仲が良くないって言ってたのも嘘だったわけだし」

「……ごめん」


 少なくとも仙台さんがルームメイトだということは舞香にバレているらしい。他にどんなことを仙台さんから聞いたのか知りたいけれど、舞香についた嘘を考えると今は謝る方が先だ。何度でも謝るべきだと思う。でも、想像しなかった形で嘘が暴かれ、予想もしなかった人間がここにいることで上手く言葉が出てこない。


「まあ、言いたいことは山ほどあるけどそれはまた改めて聞くから、とりあえず座って」


 舞香の言葉に逆らえず、大人しく座る。私の斜め前に仙台さんも静かに座って、舞香がわざとらしく咳払いをした。


「じゃあ、二人とも今ここで仲直りして」

「え?」


 また考えていなかった方向に話が展開して思わず声が出る。


「え、じゃないから。志緒理、仙台さんと喧嘩したんでしょ?」


 確認をするように言われて、私は自分がついた嘘を思い出して頷く。


「仙台さんここに呼んだの仲直りしてもらうためだし、話し合いでもなんでもしてちゃんと握手して二人で帰って」

「え、握手するの?」


 今度は仙台さんが問い返す。


「それはしなくてもいいけど、仲良く二人で帰って。このまま志緒理に住み着かれても困るし」


 舞香が私を見てにこりと笑う。

 なんとなく和やかなムードが作られて少しだけ気持ちが落ち着くけれど、なにかの拍子に壊れてしまいそうな空気もあって少し怖い。


「話し合い、長くなってもいいよ。仙台さん、なにか飲む?」

「ありがと。でも、すぐ帰るつもりだからいらないかな。ほしかったら宮城のもらうし」

「あげない」


 断言して飲みかけのオレンジジュースが入ったグラスを引き寄せると、仙台さんが当然のように「一口もらうね」と言って私のオレンジジュースを飲んだ。いつもなら文句を言うところだけれど、舞香の前で言うわけにもいかずぐっと我慢する。


「宇都宮って、結構強引なタイプ?」


 仙台さんがグラスを置いて、舞香を見る。


「普段は違うけど、今回は強引になるしかないでしょ。聞いてないことだらけすぎるし、わけわかんないもん。自分で仙台さんを呼んでおいてなんだけど、なんなのこの状況。私の家にこのメンバーが集まるって、高校時代の私に言っても信じないよ」

「誰も予想できないでしょ、この状況」


 仙台さんの言葉に舞香が「だよね」と返して、私は非現実的な光景に頭を抱えたくなる。自分の嘘が招いた事態とは言え、こういう光景は見たくなかった。


「宮城。今日はもう帰らない? 言いたいことあったら家で聞くし」


 この和やかなようでそうではないような微妙な空気が続くことは耐えられないことだけれど、家に帰るとも言えない。


「志緒理。帰らなくてもいいけど、泊まっていくなら朝まで質問責めにするから」

「だってさ。宮城、どうする?」


 究極の二択が突然現れて、私は舞香の視線を感じながらオレンジジュースを飲み干す。


「……帰る」


 私が選ぶしかない一つを口にすると、仙台さんが立ち上がった。


「宇都宮、ありがと。助かった」


 舞香が「気にしないで」と答えて、私に荷物を渡してくる。選んでしまった以上、帰らないわけにはいかなくて私も立ち上がる。


「今日はこれで帰るね。また連絡してもいい?」


 仙台さんが親しげに言って、舞香が親しげに「いいよ」と答える。本当に親しくなったのか、表面上のものなのかわからないけれど、あまり面白くはない。仙台さんが舞香に取られたような気がするし、舞香が仙台さんに取られたような気もする。


 すっきりしない気分のまま、仙台さんと一緒に玄関へ向かう。仙台さんがもう一度舞香にお礼を言って靴を履く。私も「何日も泊まってごめんね、ありがとう」と舞香に伝える。仙台さんが外へ出て、私も鞄を持って出ようとすると「志緒理」と服を引っ張られた。


「今日は聞かないけど、なんで仙台さんと一緒に住んでるのか後からちゃんと教えてよ」


 できれば一生聞かないでほしい。

 そう思うけれど、そんなことが許されるわけがない。


「……わかった」


 私は言いたくない言葉を喉から押し出してから、外へ出た。

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