第27話

 連休が終われば、すぐに連絡がくる。

 そう思っていた。けれど、宮城はなかなか連絡をしてこなくて、スマホが鳴ったのは羽美奈が教科書を借りてきた日から数えて三日経ってからだった。


 別に、少しも、気にしていない。


 宮城がお金を払うのだから、宮城が好きなタイミングで連絡してくればいい。

 私はコンビニに寄って、ポテトチップスとチョコレートを買っていく。


 宮城の家でお菓子が出てくることはほとんどない。どうせ今日もたいして喋らないだろうし、何か食べるものがあった方が気持ちよく時間を潰すことができそうな気がする。


 私は白い袋を持って、宮城の家へ向かう。

 空を見上げれば、雲が一つもなくて無駄に天気が良い。青いペンキをべたりと塗ったみたいに、余計なものが一つもなかった。


 でも、太陽が影を作るように心のどこかが暗いままで、私は浮かない気分のまま歩いている。家にいるよりもマシなはずの宮城の家が恨めしく感じられて、足が重かった。


 なんで私がこんな気持ちにならなきゃいけないんだ。


 お菓子の入った袋をぶんっと振る。

 頭の中に居座ろうとする宮城を追い出して、駆け出す。


 大体、五分。

 息が切れない程度に走ると、予想通りの時間でマンションに着く。インターホンで宮城を呼び出して、中に入れてもらう。エレベーターに乗ってもう一度インターホンを押すと、玄関の扉が開いた。


「はい」


 靴を脱ぐと、必要最低限の言葉とともに五千円が手渡される。

 久しぶりに会ったにも関わらず、宮城は素っ気ない。


「ありがと」


 私は事務的に渡された紙切れを財布にしまってから、彼女の部屋に入る。

 コンビニの袋を置くと、宮城が部屋から出て行く。


 本棚の前に立って、並んだ漫画の背表紙に目をやると本がかなり増えていた。

 私は見たことのない漫画を一冊手に取って、ベッドに座る。

 ゆっくりとページをめくっていると、麦茶とサイダーを持った宮城が戻ってくる。


「新しい本、買ったの?」

「休み中、暇だったから」


 宮城が、買った、とは言わずに買った理由を述べて黙り込む。


 連休前と部屋の中はそう変わっていない。

 宮城の態度も愛想が悪くなったまま変わっていなかった。

 私は漫画を閉じて、コンビニの白い袋を指さす。


「それ、買ってきた。開けていいよ」

「自分で開けたら」


 宮城が“それ”を見もせずに言って、本棚に向かう。


 反抗的というか、何か言うと不満そうな言葉を返してくるところも変わらない。普段ならあまり気にならないが、今日はそういう宮城に苛々する。


「志緒理」


 宮城の下の名前を口にする。


「……え?」


 一瞬、間を置いてから振り返った宮城は、露骨に嫌そうな顔をしていて、私はもう一度彼女の名前を口にした。


「志緒理って呼んでもいい?」


 私が知っている限り、宮城の友だちはみんな下の名前で呼んでいる。

 だったら、私が呼んだって良いはずだ。


 私たちは友だちではないけれど、友だちがしないようなことをしている。誰にも言えない秘密を共有しているのだから、もう少し親密な呼び方をしてもいい。

 だが、宮城はそうは思わないようだった。


「だめ」


 冷たい声で言って、本を片手に向かい側に座る。


「ケチ」


 私はベッドから下りて、床に腰を下ろす。

 白い袋からポテトチップスとチョコレートを取り出して、ポテトチップスの方を開ける。そして、可哀想なくらい薄くなったじゃがいもを口に運んだ。


 一枚、二枚、三枚。

 ポテトチップスを咀嚼して、胃の中に落としていく。


 休み前、友だちという関係を否定していた宮城は、友だちみたいに私のことを知りたがった。

 告白してきた男子のことを聞きたがって、怒って。

 あんなの嫉妬しているようにしかみえない。


 そのくせ、名前で呼ぶことも許さない。

 理不尽だ。

 私は宮城を見る。

 彼女は漫画を読んでいて、視線を上げようとしない。

 ポテトチップスを食べてもいなかった。


「ねえ、宮城。食べさせてあげようか?」


 私は、袋の中からポテトチップスを取り出す。


「いい。いらない」

「遠慮しなくていいって」


 ぺらりとしたじゃがいもを宮城の口元に運ぶ。だが、彼女は私の手からポテトチップスを食べずに、袋の中から新しい一枚を取りだした。


「自分で食べる」


 そう言うと大きな口を開け、一口でポテトチップスを食べきる。


「これは?」


 私は、行き場を失ったじゃがいもを宮城に見せる。


「いらない」


 宮城がはっきりと言って、袋の中からもう一枚ポテトチップスを取り出して口に運ぶ。

 私は行き場を失ったじゃがいもを自分の胃に収めてから、宮城の手を掴んだ。


「なに?」


 怪訝そうな声が聞こえてくるが、無視する。

 私は、命令されて何度か舐めた彼女の指を自分から咥える。

 指に強く舌を押しつけると、塩の味が口に広がっていく。


「仙台さん、やめてよ」


 宮城の手が私の前髪を引っ張る。

 けれど、宮城の言葉に従うつもりはない。

 ゆるゆると指に舌を這わせ、軽く噛む。

 骨が歯に当たってもう少し力を加えると、指が無理矢理引き抜かれた。


「嫌だってばっ」


 乱暴に言葉を投げつけて、宮城が眉間に皺を寄せた。

 あからさまに不満そうな顔をする彼女に、心音が速くなる。


『そういう顔してて』


 いつだったか、不機嫌になった私に宮城がそう言ったことがある。


 宮城は、嫌がる私を見ると楽しそうな顔をする。

 そういう彼女を理解できずにいたが、今ならわかる。

 私に感情をぶつけてくる宮城を見ていると、ぞくぞくする。


「宮城、塩味だね」


 にこりと笑って言うと、宮城が顔を顰めた。


「それ、ポテトチップスの味じゃん」

「そうとも言う」

「今日、何なの。変なことしないでよ」

「これ以上変なことされたくないなら、何か命令しなよ」


 宮城といると、知らない自分がどこかから現れる。

 少し前の私なら、命令をされてもいないのに宮城の指を舐めたりしない。

 深く関わるつもりはなかったのに、上手くいかない。


「まだ考えてない」


 ぼそりと宮城が言う。


「宿題やろうか?」

「仙台さん、うるさい。自分で考えるから黙ってて」


 今日は宿題を命じる気分じゃないらしい。

 宮城が漫画をテーブルの上に置いて、サイダーを飲む。


 命令するのは好きだけれど、されるのは好きじゃない。

 しばらく何かを考えた後、そんなことが見て取れる顔をしながら宮城が鞄の中を漁り始める。


 私は手持ち無沙汰になって、ポテトチップスの袋に手を伸ばす。

 けれど、すぐに引っ込めて自分の指先を舐めると、宮城と同じ味がした。


「仙台さん」


 落ち着いたらしく、いつもと変わらない宮城の声が聞こえてくる。


「命令。これ、隠して」

「消しゴム?」


 私は、目の前に置かれたものを見る。


「そう」

「隠すのって、どこでもいいの?」

「どこでも良くない。仙台さんの制服に隠して。後から、私が探すから」

「……宮城って、変なことばっかり考えるよね」


 部屋のどこかに消しゴムを隠すゲームなら、楽しかったかもしれない。けれど、制服に隠すゲームだと言われると、ゲームの意味合いが変わってくる。


「変なことじゃない」

「絶対、変なことしようと思ってるでしょ」

「変なことって。仙台さんは、どんなことされると思ってるの?」

「宮城が変なところ触る」

「そういうこと考える方が変だから。仙台さんのヘンタイ」

「ヘンタイは宮城の方でしょ」

「別に私がヘンタイでも良いけど、早く隠して」


 五千円を受け取ってしまっているし、拒否権はない。

 触られるとしても服の上からだろうし、大したことじゃない。

 私は、テーブルの上から消しゴムを取る。


「じゃあ、後ろ向いてて」


 そう言うと、宮城が素直に後ろを向いた。

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