第234話

「仙台さんの嘘つき」


 街灯の下、隣に向かって文句を言う。


「ごめん」

「ごめんじゃない。能登さん、来たじゃん」

「澪は止めることができたんだけどさ。先輩はお客さんだから、さすがに無理矢理止めるのはちょっとね。でも、宮城が帰らないでいてくれて嬉しい。ありがと」


 優しい声が聞こえてきて、仙台さんの腕を押す。

 バイトが終わった彼女は機嫌がいい。


 むかつく。

 こんなはずじゃなかった。

 澪さんか能登さんのどちらかが来たら、仙台さんを置いて一人で家へ帰るはずだったのに、現実は違う。


「帰りたくても帰れなかったの。仙台さんのバイトが終わるまで暇つぶしに付き合うとか言って、能登さんが帰らせてくれなかったんだもん。……仙台さんを待ってるわけじゃないって言っても、話すのやめてくれないし。あの人、喋りすぎ」


 約束はピアスに誓われたわけじゃなかった。

 だから、能登さんが私の席にやってきた。

 私はマフラーの端をぎゅっと握る。


 冬は夜が早くやってくる。

 太陽が沈んだ空は闇色に塗られていて、家を出たときよりも寒い。吐く息が凍ってパリパリと地面に落ちそうな気がして肩が震える。


「喋ってくれてる方がいいじゃん。黙ってられると、気に入らないことでもあったのかって不安になるし」

「そういう問題じゃない」


 能登さんは怖そうな見た目と違ってくだけた人ではあったけれど、楽しそうにしてくる質問が答えにくいものばかりだったから、気まずくても黙っていてくれた方がマシだったと思う。

 そもそも、あのカフェで仙台さんの先輩に話しかけられることは想定していなかった。


 想定外といえば、澪さんもだけれど。


 カフェへ行けば仙台さんの友だちに話しかけられることがあるかもしれないと思ってはいたが、あんなに明るくて、あんなに距離感がおかしい人が友だちだとは思っていなかった。いかにもスクールカースト上位という雰囲気だった茨木さんみたいな人が出てくると思っていたから、予想が外れた。


「ごめんね。二人ともうるさくしちゃって」

「もうカフェには行かない」


 ぼそりと言って、仙台さんの一歩先へ行く。

 でも、彼女を置いていくことはできない。

 すぐに私の隣にやってきて、柔らかな優しい声を出す。


「そんなこと言わないでまた来てよ。今日、来てくれて嬉しかったし」

「もう行かない。今日はケーキ食べたかっただけだから」

「それでも嬉しいし、またケーキ食べに来て」

「仙台さん、約束破ったこと少しも反省してないでしょ」


 私は、はあ、と息を吐く。

 今日は良い日じゃない。

 知りたくないことばかり知ってしまった。


 これ以上、仙台さんのことを知りたくないと思う。でも、知りたくないことをもっと知りたいと思う私がいて、隣を歩く彼女の顔を見ずに歩く。


 この季節は星が綺麗に見えると言うけれど、星を見る余裕なんてない。空を見上げる暇があったら、もっと早く歩いて家へ帰りたいと思う。


「反省してる。約束守れなくてごめん」


 真面目な声が聞こえてきて、私はマフラーの端から手を離して彼女の肩を押す。でも、仙台さんは私の手を肩で押し返してきて、私たちの距離が近づく。


「宮城。……能登先輩となに話してたの?」


 仙台さんが私のコートを掴む。

 軽く引っ張られて、歩く速度が落ちる。


「仙台さんのこと。……お金がほしいなら、カフェでバイトするより家庭教師の方が時給がいいし、家庭教師のバイト増やせばいいのにって言ってた」


 能登さんから聞いたことを喋っているだけなのに、胸の奥がちくちくと痛くて苦しい。


「……仙台さん、バイト増やすの?」

「うーん、まあ。それはまたゆっくり話そうよ」

「話したくない」


 バイトを増やしたかったら勝手に増やせばいい。

 冬休みにカフェでバイトをすると言った仙台さんにそう告げてあるのだし、家庭教師のバイトも好きにすればいいと思う。


 バイトはほとんどのことを受け入れてくれる彼女が譲ってくれないもので、意見を変えてくれないものなのだから、話し合いは無駄でしかない。私のものなのにいうことをきいてくれない彼女に苛立つだけだ。


 早く帰れば良かったと思う。

 そうすれば、彼女にこんなことを聞かずに済んだ。


 仙台さんがするバイトは私にとって酷く面白くないものだけれど、それは彼女には関係ない。

 そんなことはよくわかっているのに、何度も同じことを繰り返して聞いてしまう。


「じゃあ、今はもっと楽しい話しよっか。志緒理ちゃん」


 仙台さんがふざけた調子で言って、コートを引っ張ってくる。

 彼女の声はやけに明るく、話を変えたがっていることがわかる。


 バイトの話を続けても、私にも仙台さんにも良いことは起こらない。私は彼女の手をコートから剥がして、方向転換する話についていく。


「その呼び方気持ち悪いし、やめてよ」

「じゃあ、志緒理」

「それもやだ」


 志緒理という呼び方はクリスマスの夜を思い出す。

 あの夜、仙台さんは何度も志緒理と囁いて、私の思考を乱し、私の理性を溶かした。


 忘れたいわけではないけれど、積極的に思い出したいわけでもない。クリスマスの夜を反芻し続けていると、私の名前とあの日がしっかりと結ばれて解けなくなってしまう。仙台さんが私を志緒理と呼ぶたびに自分がされたことを思い出して、意識して、彼女に触れたくなるなんて最悪だ。できることなら、あの日の記憶は心の奥底に沈めておきたい。


「志緒理って呼びたい」


 珍しくねだるような声が聞こえてきて、私は彼女の腕を押す。


「やだ。そんなことより、仙台さんのせいで大晦日なのにつまんなくなった。どうにかしてよ」

「私のせいなの?」

「絶対に仙台さんのせいだから」

「じゃあ、宮城はどうしたら楽しい気分になってくれる?」


 これからする質問に全部答えて、と言いかけて飲み込む。


 仙台さんは高校でもモテていたのかと澪さんに聞かれたけれど、大学でもモテていて告白されたことがあるのか。

 能登さんが私たちのことを同棲しているのかと聞いてきたけれど、どういうことなのか。


 そんなことを聞いても、私をもっとつまらなくする答えしか返ってこない。そして、私が仙台さんのことを酷く意識しているように聞こえそうだ。


「……わかんないし、楽しい気分にならなくていい」


 大晦日なんて一年のうちのたった一日だ。

 特別な日ではないし、今までだってたいして楽しい日ではなかったのだから、つまらないくらいで丁度良い。余計なことを言って余計に落ち込むようなことになるよりは、すべてを闇色の空に溶かして見えなくしてしまった方がいいはずだ。


「せっかくだし、楽しい気分になろうよ。たとえば、二人でカウントダウンするとかさ。大晦日っぽくて良くない?」


 ずぶずぶと夜に飲み込まれていく私を引き上げるように、仙台さんが明るい声で言う。


「カウントダウンって、なにが楽しいのかわかんない」

「んー、それなら朝まで起きてて、初日の出見るっていうのは?」

「眠くなりそうだからやだ」

「眠たかったら寝てもいいしさ、コンビニでおやつ買って、起きていられるまで起きてたらいいじゃん。宮城、することないんでしょ?」


 決めつけるように言うと、仙台さんが私の腕を掴んで歩くスピードを上げる。それは早く家へ帰りたいという私の願いを叶える速度だけれど、引きずられながら歩くことを望んでいたわけじゃない。


 本当にむかつく。


 することがないのは事実だけれど、これからの予定を勝手に決めないでほしいし、歩く速度くらい私に決めさせてほしい。


「宮城。他にしたいことがあるならリクエスト聞くけどある?」

「……ない」

「じゃあ、決まり。私の部屋で年越しね」


 仙台さんの明るい声が夜空に響いて、少し暖かくなったような気がした。

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