第91話
最近ずっと見ていなかった夢を見た。
気分が良くない。
夢を見た理由はわかっている。
昨日、宮城の声を聞いてから眠ったせいだ。
夢は夏休み最後の日に起因するもので、二学期が始まってから何度か見たものと同じだ。
具体的に言えば、夏休み最後の日に起こったことをそのまま夢に見た。現実にはなかった“続き”を見たこともあったけれど、今日はそういうことはなかった。どちらにせよ寝覚めが良いとは言えない夢で、あまり見たくない夢に分類される。
そりゃ、そうだ。
元クラスメイトにキスをして、Tシャツをめくって、直接肌に触れた。向こうからも触れられて、下着の上からだけれど胸を触って――。
そんな夢を見て、にこやかに学校へ行けるわけがない。
私はため息を一つつく。
抱きしめたときと同じで宮城の感触だけが薄れてきていて、感覚の消失とともに見なくなっていた夢を今さら見るとは思わなかった。
あの日をもう一度やり直して、続きがしたいと思っているみたいで憂鬱になる。たとえそんなことを思ったとしても宮城は絶対に許さないだろうし、私の理性がガラスよりも脆くてももうあんなことはできない。――たぶん、できないと思う。だから、憂鬱になることしかできない。
私は、目覚まし代わりのスマホを手に取って時間を見る。そこにはそろそろ準備をしなければ遅刻してしまいそうな時間が表示されていたが、体を動かそうとは思えなかった。
学校、行きたくないな。
サボってどこかへ行こうかと考えて、思い直す。
学校から家に連絡が来たら面倒なことになりそうだ。
エアコンのスイッチを入れて、ベッドから這い出る。
「寒い」
私は落ち着かない髪をくしゃくしゃとかき上げて、学校へ行くための準備を始める。
歯を磨いて、制服を着て。
身なりを整え、朝食はとらずに家を出る。
できれば、学校で宮城に会いたくないと思う。でも、こういう日に限って会ってしまいそうで、足が重くなる。けれど、歩けば嫌でも学校が近くなり、私は校門を抜けて校内へ入る。
教室へ向かう途中に宮城とすれ違うかもしれないと思ったが、そんなことはなかった。何事もなく自分の席に辿り着く。こんな日は、宮城とクラスが違って良かったと心の底から思う。
いつものように羽美奈の元へ行き、雑誌に載っていた洋服が欲しいだとか、イケメン俳優が出ているドラマが期待外れだったとか内容があるようなないような話をする。
学校にいるときは、宮城といるときの三倍以上喋っていると思う。ドラマの話に興味はないが、洋服やアクセサリーの話はそこそこ楽しい。羽美奈と服の趣味は合わないけれど、新しいショップができたとかそういう情報のやり取りは嫌いじゃない。
今日は、あまり気が乗らないけれど。
結局、テンションが上がらないまま授業を二つ受けて、体操服を取り出す。
寒がりではないけれど、冬の体育は受けたくない授業に属する。
更衣室に移動するだけで寒いし、体育館やグラウンドはもっと寒い。それでもサボるわけにはいかないから、私よりももっと気が進まないことが見て取れる羽美奈たちと教室を出る。
暖かさの欠片もない廊下を歩いて、更衣室に入る。ロッカーに荷物を置いて、ブレザーを脱ぐ。
隣では、羽美奈が体育に対する文句をいくつも並べている。私は適当に相づちを打ちながら、ブラウスのボタンを外す。
「葉月。それ、もらったの?」
全部ボタンを外してブラウスを脱ぎかけたところで、羽美奈から声をかけられる。
それ、が何を指しているのかはすぐにわかった。もらった、なんて羽美奈から言われそうなものはペンダント以外にない。
「それって?」
気がつかない振りをして言う。
宮城の『絶対に私以外に見せないようにして』という命令を律儀に守るつもりはなかった。でも、見つかったら面倒なことになりそうで、羽美奈の目を避けてはいた。
隣に視線をやると、羽美奈が面白いおもちゃを見つけた子どものような顔をしている。
確実に面倒なヤツだ。
今日は寝不足というわけでも疲れていたわけでもないけれど、夢のことが頭にあって油断した。
「これ」
羽美奈がペンダントに手を伸ばしてくる。
私は思わずその手を払い除けようとして、思いとどまる。
ここで手を払い除けたりなんかしたらおかしい。
余計、面倒なことになる。
「もしかしなくても彼氏からもらったでしょ」
ぴたっと指先がチェーンに触れる。
人の手なんて誰の手でもそうかわりがなくて、温度も感触も、昨日、自分でチェーンを触ったときと変わらない。でも、驚くくらい指先が馴染まなかった。今まで羽美奈の手に対してなにかを思うことはなかったが、触られたくない。
「だから彼氏はいないって」
軽く言って、ふざけたように羽美奈の手を軽く叩く。えー、と大げさに驚いたような声を出した羽美奈の手が離れ、私は急いでブラウスを脱いで体操服を着る。
「葉月って、今まで学校でそういうのつけたりしなかったじゃん。彼氏からもらったんじゃないの?」
「いたらもらえるかもしれないけどさ。いない彼氏からはもらえないでしょ」
「じゃあ、それ誰からのプレゼントなわけ?」
「もらってないから。麻理子、なんとか言ってよ」
私は、羽美奈の隣で着替えている麻理子に助けを求める。
「いや、もらったでしょ。今までつけてこなかった物をつけてきたってことは、そういうことに決まってる」
そういうことってなんなんだ、という突っ込みを入れる前に羽美奈が勢いよく言う。
「やっぱり麻理子もそう思うでしょ。大体、葉月の趣味じゃないじゃん」
「そうそう。確か、チェーン長いの好きじゃないでしょ」
麻理子に声をかけたのは失敗だった。形勢が不利になりすぎて、逆転が難しそうな状況に追い込まれている。彼女たちの言葉はどれもほぼ事実で、言い訳をすればするほど状況が悪くなる。
私は学校ではアクセサリーをつけないし、チェーンは長いよりも短い方が好きだ。今つけているペンダントは、宮城からもらったものじゃなかったらつけたりしないタイプのもので間違いはない。
「教えなよ。相手、誰? 同じ学校?」
羽美奈が私の体操服を引っ張ってくる。
「あーもう。これ、願掛けだから」
彼女たちを納得させることができる言葉が思い浮かばず、大雑把に理由をでっち上げる。
「願掛け?」
麻理子が疑いの目を向けてくる。
「そう。受験生らしく合格しますようにって。チェーン短いと学校で目立つしさ、ちょっと長めのにしたの」
「で、誰からもらったの?」
羽美奈がにっこりと不自然なほどの笑顔とともに問いかけてくる。
「ほんとだから」
「今日の葉月、言い訳が雑すぎるでしょ」
麻理子が言って、「言えば楽になるのに」と羽美奈が続ける。
「そんなことより、そろそろ行かないと遅刻するよ」
面倒になって、私は言い訳という言葉を否定せずに更衣室を後にする。すると、後ろから「逃げた」と楽しそうな羽美奈の声が聞こえてきた。
二人のことは嫌いではないけれど、すべてを彼氏に結びつけようとするところは苦手だ。
私は、体操服の上からペンダントに触れる。
宮城は、どうしてこのペンダントを選んだんだろう。
二つ外したブラウスのボタンを一つ留めたら見えない程度の長さが彼女にとって丁度良かっただけなのか、それとも少しは私に似合うと思ってくれたのか気になる。
「体育館、さむっ。やっぱりサボれば良かった」
先生が聞いたら怒りそうな羽美奈の台詞が聞こえて、ペンダントの上に置いた手を離す。
私たちの関係は綻びかけている。
学校で痕跡が見つかり始め、お互いに去年はしなかったことをしている。それでも、卒業式までに私たちの関係が誰かに知られることはないだろうと思う。けれど、卒業式までに私たちがどうなるかはわからない。
今日は宮城に会いたくない。
夢を見た日に宮城に会うのは悪いことをしたみたいで何だか少し気が引けるし、羽美奈たちのせいで気持ちが上がらない。
でも、宮城はこんな日に限って連絡してくる。
だから、体育の授業を終えて見たスマホに、宮城からのいつものメッセージが届いていたことに驚きはなかった。
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