第231話
遅くなる。
その言葉通りにバイトが終わり、夕食には遅い時間に家へ着く。
当然、共用スペースに宮城がいたりはしない。
電気とエアコンをつけて、家を出る前にも叩いたドアを二回叩いて声をかける。
「宮城、ただいま。ご飯作るから待ってて」
どうせ宮城は出てこない。
私は返事を待たずに部屋へ戻ってコートと鞄を置いてくる。冷蔵庫を開けると、お昼に作ったチャーハンがなくなっていてほっとする。一日食事を抜いたくらいで倒れたりはしないだろうけれど、食べないよりは食べた方がいい。
炊飯器を確認すると、予想通りお米が炊けていない。
鍋に水を入れて火にかけてからパスタを用意し、サラダを作るための野菜を冷蔵庫から出す。ソースはレトルトですませることにして、キャベツを刻んでトマトを切って、沸騰したお湯に塩を入れる。鍋にパスタを入れ、タイマーをかけたところで視線を感じて振り返る。
いつ部屋から出てきたのかわからないが、宮城と目が合う。
「まだできてないし、部屋にいていいよ。できたら声かけるから」
部屋の前に立っている宮城に声をかけると、視線をそらされる。
「ここで待ってるからいい」
「待ってるなら、座ってなよ」
なにを考えているのかわからないが、宮城は返事をしない。でも、立っていても座っていても宮城が同じ空間にいてくれた方がいいから、私は彼女に背を向けてミートソースを温める。
しばらくするとガタゴトと椅子が動く音が聞こえてきて、やっぱり宮城は野良猫に似ていると思う。近づきすぎると逃げてしまうくせに、気まぐれに近づいてきたりもする。
きっと、私と宮城には適正な距離というものがないのだと思う。
どの距離も正しくて正しくない。
だから、バイトに行く前は私から隠れるように布団の塊になっていた宮城が今、背中に視線を感じて痛くなるくらい私を見ている。気まぐれすぎると思うけれど、気まぐれじゃない宮城は宮城ではない。
私はお皿にキャベツとトマトを盛り付けてから、振り向く。
「宮城、なにしてるの?」
「別に」
素っ気ない声とともに、宮城の視線がテーブルに落ちる。
やっぱり気まぐれだと思う。
私を見なくなった彼女にもう一言なにか言うべきか迷っていると、タイマーが鳴る。急かすように鳴り続ける電子音を止め、パスタをざるにあけてお皿に盛り付け、ミートソースをかける。
「お待たせ」
パスタとサラダをテーブルに置いて、フォークを渡す。
「ありがと。いただきます」
宮城が平坦な声で言って、くるくるとパスタをフォークに巻く。そして、一口、二口と無言で食べていく。
昼間、布団の塊でしかなかった宮城が大人しく椅子に座ってパスタを食べているところを見ていると、餌付けに成功したなんて言葉が浮かんで彼女がますます野良猫に見えてくる。
会話のない共用スペースに、フォークとお皿が立てるカチャカチャという乾いた音だけが響く。
多めに作ったパスタがどんどんと減っていき、半分があっという間になくなる。
それにしても、宮城はパスタの食べ方が下手だと思う。
フォークに巻くパスタの量が多かったり、少なかったりする。大きな塊をむぐむぐ食べていたり、少なすぎるパスタを物足りないといった顔で食べているから、見ていて飽きない。
そういう宮城が可愛いと本人に言えば怒るだろうし、率直に食べ方が下手だと言っても怒るはずだ。でも、どっちにしても怒るのだから可愛いと言ってもいいのかもしれないと思うけれど、今日は怒らせると部屋に戻ってしまいそうで喉まで出かかった言葉を飲み込む。可愛いと口にするチャンスはこの先にもあるのだから、今は余計なことは言わずにいた方がいい。
「美味しい?」
私は当たり障りがなくて、返事がもらえそうな言葉を投げかける。
「美味しい」
宮城が私を見ずに答える。
「私が帰ってこなかったら、ご飯どうするつもりだったの?」
今度は答えが返ってくるかわからない質問をすると、パスタをくるくると巻いていた宮城の手が止まった。
フォークとお皿が立てていた音が消え、共用スペースが急に静かになる。ほんの少しの間があって、宮城が見ようとしなかった私の顔を見た。
「……帰ってくるって言ったじゃん」
宮城が不機嫌な声を出す。
「飢え死にされても困るしね。パスタ、それで足りる?」
「足りる」
そう言うと、宮城が止まっていた手を動かしてフォークに巻いたパスタをぱくりと食べる。でも、一口が多すぎたのかむぐむぐしている。
「またカフェに遊びにきなよ」
宮城がごくんとパスタを飲み込んだところで、私は言うつもりがなかったことを言う。
「一人で行ったってつまんない」
「友だちが宮城に会ってみたいって」
「……友だちって?」
少し低い声が聞こえてくる。
「大学の友だちでバイト紹介してくれた子。今、一緒にバイトしてる」
宮城の写真を見てから私のルームメイトに必要以上に興味を持ち、会いたがっていた澪は、今日、というよりも、今日になる前から宮城をカフェに連れてきてほしいと言ってきている。
二人を会わせたら面倒くさいことになりそうで、宮城には黙っておこうと思っていたけれど無理だった。バイトをしていても宮城に会いたくなるし、宮城の顔を見たら遊びに来てと言わずにはいられない。
「そうなんだ」
宮城が興味があるのかないのかわからない口調で言う。
「いつでもいいしさ、気が向いたら来てよ。あ、でも、元旦は休みだから。そうだ、一緒に初詣行く?」
私はお皿から消えていくパスタを見ながら、なんでもないことのように聞きたかったことを聞いてみる。
「クリスマスにも言ったけど、行かない」
初詣に行きたくないと言われたことはよく覚えている。
ただ、正確にはクリスマスではなく、クリスマスイブに宇都宮の家で言われた。
「いいじゃん、行こうよ」
「初詣ってなにしに行くの? 寒いだけじゃん」
「なにしにって。お参りでしょ。おみくじ引きたいなら、引いてもいいし」
「お参りって、仙台さんはなにかお祈りしたいことあるの?」
問いかけられて、過去の初詣で祈ってきた願いごとを思い出す。
お姉ちゃんみたいになりたいなんて子供じみた願いから、テストや受験、友だち付き合いまで。
たくさんのことを神様にお願いしてきたけれど、大事なことほど叶わなかったように思う。でも、叶っていたら私は宮城のルームメイトとしてここにいたりはしないから、叶わなくて良かったのかもしれない。
「宮城はないの?」
「別にないし、初詣行く習慣もない」
「じゃあ、二人でゆっくりしようか」
「仙台さんは初詣行けばいいじゃん」
「一人で行っても仕方がないし」
初詣に思い入れがあるわけではないし、宮城と出かける口実にならないのなら初詣にこだわる意味はない。一月一日の過ごし方は、宮城が私の近くにいてくれればなんだっていい。
「好きにすれば」
宮城が素っ気なく言って、残り少なくなったパスタをフォークに巻いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます