第40話

 意地悪だという宮城の言葉を否定するつもりはない。

 私はわざとそうしている。

 宮城が狼狽する姿を見て楽しんでいる。


 でも、私がするのはいいが、宮城がするのはむかつく。


 簡単に言えば、そういうことになる。

 困らせるように問いかけるのは私の専売特許で、答えに窮するのは宮城であるべきだ。だから、宮城の問いは聞かなかったことにして問い返す。


「宮城こそ、私に何がしたいの」

「……そんなの言う必要ない」


 答えるつもりはないが、何かしたいことはあるらしい。

 それはわかったけれど、それ以上はわからなかった。知りたくはあるが、問い詰めるようなことではないし、深入りするような話題でもない。


 そっか、と返事のようで何の意味もない言葉を返して宮城を見る。そして、自力でなんとかできないかともぞもぞと腕を動かすが、ネクタイが食い込んで腕が痛いだけだった。


 絶対に跡つけないでという言葉に腕を縛る力が緩められたけれど、それは心持ち緩く程度のものだったから、腕に跡がついていても不思議がないくらいの勢いでネクタイが手首に巻き付いてる。


「立って」


 宮城がぶっきらぼうに言う。


「え?」

「ネクタイほどいて欲しいんでしょ」

「縛られたまま立つの、結構大変なんだけど」


 腕というのはバランスを取る役割もあるらしく、縛られていると立ったり座ったりという単純な動きも難しく感じる。今も立てないことはないが、よろけて転んでもおかしくなさそうで少し怖い。


「じゃあ、そのまま動かないで」


 そう言うと、とん、と宮城がベッドから降りてきて、すぐに私の後ろへ回る。ほどなくして手首を圧迫していた布が取り払われ、私は自由を取り戻す。


 それでも、思ったように腕が動かなくてぶんぶんと振る。少しだけ血の巡りが良くなったような気がして、立ち上がる。ベッドへ腰掛けると、宮城が隣に座って私の腕を掴んだ。


「見せて」


 いいと言う前に、証拠を探す探偵にでもなったかのようにじっと手首を見てくる。


「跡、ついてない」


 宮城がぼそりと呟く。そして、ネクタイが巻き付いていた部分を指先で撫でた。柔らかく血管の上を辿りながら、まるで跡がついているみたいに触れてくる。


 指先はゆっくりと手のひらへと向かい、それに反応するように腕の感覚が戻ってくる。徐々に宮城の指先が与えてくる刺激がはっきりとしてきて、私は彼女の手を振り払った。


「やっぱり、跡つけるつもりで縛ったんだ」

「つかなくて良かったって言ってるんだけど」


 そうは聞こえない。

 触れてきた手も、口調も、跡がついていれば良かったと思わせるものだ。


「それとも、跡つけて欲しかった?」

「つけて欲しいわけないじゃん。手首に縛られた跡なんて残ってたら、学校でどうすんの」

「だから、つけなかったじゃん」


 投げやりに言って、宮城が私の足を蹴る。言い足りない言葉でもあるように何度か足をぶつけてから、思い出したように置きっぱなしになっていた漫画に手を伸ばす。


 私はその漫画を先に奪って、話しかけた。


「一つ聞きたいんだけど」

「なに?」


 私の手にある漫画を恨みがましい目で見ながら、宮城が答える。


「もし、私が今みたいな命令したら宮城は従うわけ?」

「従うわけないじゃん」

「だよね」


 知ってた。

 宮城があんなこと、絶対にしないってことは知っていて聞いた。


 私がお金を出して命令したって、人の足を舐めたりしないだろう。自分がしないことを私にさせることに意味を見出していることは、なんとなくわかる。それは私にとって面白くないことだけれど、言うことをきくという約束なのだから仕方がない。


「私、仙台さんみたいにヘンタイじゃないし」

「いや、宮城の方がヘンタイでしょ。人にあんな命令して喜んでるんだから」

「別に喜んでない」


 でも、面白がってはいた。

 文句を言いながらも従う私を見て、楽しそうな声を出していた。


 やらしく舐めたつもりはないが、そういう風に舐められたのだってそれなりに面白い出来事だったに違いない。


「そうだ。夕飯、食べていくよね?」


 宮城が私から漫画を取り上げ、話をねじ曲げて話題を変える。


「食べるけど」


 どちらが変態か決めるなんて不毛な会話を続けるより夕飯について語る方が有意義だとは思うが、勝手に話が打ち切られたことに何となく納得がいかない。だが、宮城は何事もなかったかのように立ち上がって漫画を本棚へ戻すと、すたすたと部屋から出て行く。


 一言もなしか。

 まあ、いいけど。


 私は立ち上がり、宮城の後を追いかける。リビングに入ると、いつもならキッチンでレトルトであったり、お惣菜であったりを引っ張り出している宮城が席に着いていた。


「仙台さん、何か作ってよ」


 耳を疑うような言葉が聞こえてくる。

 前に一度、唐揚げを作ったことがある。

 あれから何度も夕飯を一緒に食べたが、作ろうかという言葉を拒否されたことはあってもこういう言葉を聞いたことはなかった。


「冷蔵庫に何か入ってる?」


 言いたいことは他にあったけれど、余計なことを言葉にしたら宮城は簡単に口にした言葉を引っ込めてしまうに違いない。だから、いらないことは言わずにキッチンへ向かう。


「卵ならある」


 冷蔵庫を開けると、宮城が言ったとおり卵が入っている。

 他にめぼしいものはなにもない。


 目玉焼き、卵焼き、オムレツ。


 料理はするが、料理人を目指しているわけでもない私が卵を見て浮かぶレシピはこれくらいだ。


 どうしようかな。


 冷蔵庫から卵を取り出しながら考える。

 私は甘い卵焼きを作ることにして、ボウルに卵を割り入れる。宮城はしょっぱい方が好みかもしれないが、聞くつもりはない。


 見たところ卵焼き器はないから、丸いフライパンを火にかけて黄色い液体を流し入れる。ここまで来れば、それほど時間がかからずに卵焼きができあがる。丸いフライパンで作ったせいで形がいびつになって少し焦げたけれど、美味しそうだ。


「できた」


 宮城の前に卵焼きとご飯を置く。

 テーブルに並べると夕飯と言うには貧相だが、ないものは仕方がない。


「いただきます」


 宮城が律儀に手を合わせてから、箸を持つ。

 部屋であったことがなかったみたいに夕飯を食べるのはいつものことで、そこそこ酷いことをされた今日もそれは変わらない。私も隣に並んで卵焼きに箸をつける。


 結局のところ、宮城は私に何をしたって許されると思っているのかもしれない。あんな最低で馬鹿みたいな命令に従って、それでも一緒に夕飯を食べている私も大概だけれど。


 隣を見れば、人を縛って、足蹴にした宮城は黙って卵焼きを食べている。


「美味しいかどうかくらい言いなよ」

「また作ってくれてもいいよ」


 唐揚げのときは、美味しいって言ったじゃん。


 今日は素直じゃない。

 いや、また作ってもいいなんて言うくらいだから素直なのかもしれない。


「気が向いたらね」


 私はなるべく素っ気なく言ってから、甘い卵焼きを口の中に放り込んだ。

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