第158話

 二度寝に誘われて目を閉じてみたものの、眠れない。

 仙台さんはすぐに寝てしまった。

 私は天井を見上げて、ため息をつく。


 今、睡魔はどこかに行ってしまっている。一度起きてしまったし、仙台さんが近すぎて気になるし、眠るような気分じゃない。

 私は腹立たしいくらいよく眠っている仙台さんの足を蹴る。


「起きてよ」

「もう三十分経った?」


 目を閉じたまま仙台さんが眠そうな声で言う。


「わかんない」


 目を閉じる前に時計を見ていなかったから、三十分後がいつなのかわからない。わかるのは、もうすぐ十一時になるということだけだ。


「……わかんないなら、もう少し寝る」

「なんでそんなに眠いの?」

「昨日、なかなか眠れなかったから」


 仙台さんがゆっくりと目を開いて私を見る。


「さっきまでぐっすり寝てたじゃん」

「寝るのが遅くなったからぐっすり寝ることになっただけ」

「なんで眠れなかったの?」

「さあ? ベッドが狭かったからじゃない?」


 適当に考えたとしか思えない口調で答えが返ってくる。


「お腹空いたし、起きる。仙台さんは寝てれば」


 本当は今すぐなにかを食べたいほどお腹は空いていない。でも、眠れないままこの狭いベッドにいるというのも落ち着かなくて起き上がる。


「宮城、なにか食べるの?」

「食べる」

「なら、私も食べようかな」


 ふあ、と欠伸をしてから、仙台さんが体を起こす。そして、私よりも先にベッドから下りると、大きく伸びをして時計を見た。


「中途半端な時間だけど、朝ごはんとお昼ごはんどっちにする?」


 さっきまでベッドと一体化していた仙台さんから問いかけられる。

 朝ご飯と言うには遅いし、お昼ご飯と言うには早い。どちらにしても中途半端な時間だけれど、選ぶなら食事を用意する手間が一回省ける方にしたい。


「お昼」


 短く答えて、ベッドから下りる。


「用意しとくから、宮城はのんびりしてなよ」

「手伝う」

「じゃあ、着替えてから一緒に作ろうか」


 私は仙台さんの提案に頷いて、洗面所へ向かう。歯を磨いて顔を洗って部屋へ戻る。着替えてから共用スペースへ行くと、ロングスカートをはいた仙台さんが食事の準備を始めていた。

 Tシャツとパンツの私とは対照的だ。

 彼女によく似合っていると思う。


「なに作るの?」


 仙台さんの隣へ行って尋ねる。


「ウインナーと卵焼く。宮城はパン担当ね」


 言われたとおりにパンをトースターにセットする。食器を出してジャムやバターを用意しているうちに卵とウインナーが焼けて、私たちはオレンジジュースが入ったグラスとお皿をテーブルに並べて席に着く。


「いただきます」


 声が重なる。

 トーストにバターとジャムを塗っていると、ウインナーを囓っていた仙台さんが私を見た。


「今日、これからどうするの?」

「どうもしない」

「それなら、昨日の映画の続き観ようよ」

「そんなに面白くなかったし、観なくてもいい」


 予定があるわけではないし、仙台さんと日曜日を過ごしてもいいとは思う。でも、映画の続きを観たいとは思えない。かといって、他に提案したいようなこともなく、私はトーストを一口食べてオレンジジュースを飲む。


「予定ないならいいじゃん。面白くなくても暇つぶしにはなるでしょ」

「そうかもしれないけど」

「じゃあ、決まり。食べたら映画の続きね」


 日曜日の予定が当然のように仙台さんで埋められる。強引すぎる彼女に文句がないわけではないけれど、今までのように日曜日を二人で過ごすならこれくらいの強引さは必要だと思う。


 気まずさが残ったままではルームメイトとして生活しにくいし、今日みたいな仙台さんの方が一緒にいやすい。気を遣われすぎると、それが気になって疲れてしまう。


「宮城、途中で寝てたみたいだけどどこまで観たか覚えてる?」

「寝てない。うとうとしてただけ」

「それ、内容覚えてるの?」

「なんとなく覚えてる」


 私たちはそれほど面白くなかった映画の話をしながら、お皿もグラスも空にする。そして、二人で食器を片付けて、仙台さんの部屋へ行く。


「ここからでいい?」


 隣でタブレットを操作していた仙台さんに問いかけられて「うん」と答えると、画面に昨日観ていた映画の続きが映し出された。終わりに近かった映画をエンドロールまで観る。


「どうだった?」


 仙台さんに尋ねられて、私は正直に答える。


「……やっぱり、あんまり面白くない」

「もともと宮城が観たいって言ったんじゃん」

「そうだけどつまんない」


 ベッドに寄りかかると、仙台さんがタブレットを操作し始める。


「他になにか観る?」

「もういい」

「じゃあ、なにする?」

「なにもしなくていいじゃん」

「なにもしなかったら暇でしょ」


 そう言いながらも仙台さんはタブレットの操作をやめて、ベッドに寄りかかった。


「宮城が出かけたいなら、雨の中出かけてもいいけど」

「絶対に行かない」

「なら、宮城がなにか暇つぶしになるようなこと考えてよ」

「ゲームは?」

「ゲーム苦手」


 仙台さんが嫌そうな声を出す。

 高校の頃、一緒にゲームをしたとき彼女はあまり上手くなかった。ゲームを積極的にするタイプにも見えないし、暇つぶしでもやりたくないだろうとは思う。


「じゃあ、することないじゃん」

「ないこともないけど」


 仙台さんが含みのある言い方をする。


「……それってなに?」

「こっち向いて」


 私の問いかけに対する答えは返ってこない。

 あまりいい予感はしないけれど、彼女の方へ体を向けると手を掴まれた。神経が指先までぴんっと通った気がして握られた手を見ると、宮城、と呼ばれる。顔を上げると、唇を塞がれた。

 でも、すぐ離れる。


 この部屋でするキスに思うことがないわけではないけれど、これくらいなら許してもいい。過去に何度もしてきたことで、大げさに嫌がるとかえって意識しているみたいに見えそうだ。だから、別に、これくらいはいい。


 すぐにまた仙台さんが近づいてきて唇を舐められる。

 反射的に体を引くが、舌が口の中に入り込んでくる。断りもなく私の陣地へ侵入してきた仙台さんを追い返そうとするけれど、私のものだったスペースは簡単に奪われてしまう。


 こういうキスはあの日からしていなかった。


 呼び出していないのに日曜日の記憶が鮮明に広がりかけて、それを頭の中から追い出していると、温かくて柔らかなものが深く入り込んできて舌を絡め取られる。唇よりも生々しいものが動くことで私のものだった体温が奪われ、仙台さんの体温が与えられる。混じり合う体温に、頭の中が白く塗り潰されていく。


 仙台さんの服を掴む。

 自分の方へ引き寄せかけて、私は傷を作るほどではないけれどそれなりの力で彼女の舌を噛んだ。


 仙台さんが少しだけ私から離れて、また近づいてくる。そして、仕返しをするように私の唇を噛んだ。

 強引な仙台さんの方が彼女らしくはあるけれど、今ここでこういう強引さは発揮しなくていい。


「することがこういうことなら、しなくていい」


 私は掴んでいた服を離して、彼女の体を押す。


「キス、嫌い?」


 予想していなかった質問が飛んでくる。


「嫌いって言うか、今することじゃないじゃん」

「それ、嫌いじゃないってことだよね?」

「仙台さん、なんなの。変なことしないって言ったじゃん」

「昨日の約束なら部屋を出るまででしょ。さっき部屋から出たし、約束の効力切れてるから」


 そういう約束だったことは覚えている。

 期限が切れた約束を持ち出したのは、切れていても約束を守ってくれるかもしれないと思ったからだ。駄目なら駄目でいい。約束の効力が切れているなら新しい約束をすればいいだけだ。


「じゃあ、もう一度約束して」


 なにかある度に仙台さんがピアスに誓ってくれればそれでいい。


「いいよ」


 そう言うと、仙台さんがキスをしたときと同じくらい私に近づいてきて耳元で囁いた。


「変なことしないけど、約束はもう少しあとからね」

「あとからって、なに」


 返事をせずに仙台さんがピアスにキスをして、首筋に唇をつけた。

 触れている部分が酷く熱いような気がする。


 肩を押されて、体重をかけられる。

 仙台さんの体を押し返す前に、私の背中が床にくっつく。Tシャツの裾がめくられて、手がするりと中へ入り込んでくる。


「仙台さんっ」


 強く彼女を呼ぶ。

 聞こえているはずなのに、手が脇腹に押し当てられる。そのまま肋骨の下まで撫でられ、私は布の上から彼女の手を押さえた。


「この手、なに?」

「私に触られるの、いや?」


 質問に質問が返ってくる。


「いやって言ったら?」

「もう触らない」


 まただ、と思う。

 こういうとき、仙台さんはいつも私に選ばせようとする。質問を投げかけて、彼女の中で決まっている答えを私に言わせようとする。


「……今は触られたくないから、どいて。そろそろ約束守ってよ」


 仙台さんの体を押す。

 でも、彼女の体は動かない。

 私は、仙台さんの肩を掴んで跡が残るくらい強く爪を立てた。


「宮城、じゃんけん」

「え?」


 私を押し倒している人間から出てくるとは思えない言葉が出てきて、肩を掴んでいた手から力が抜ける。


「じゃん、けん」

「ちょっと待って」

「ぽんっ」


 心の準備をする前に仙台さんがパーを出して、私は後出しでチョキを出す。


「宮城が勝ったし、どいてあげる」


 そう言うと、仙台さんがあっさりと私の上からどいた。私はめくれたTシャツの裾を下ろしてから、体を起こす。


「あと、約束も守るから」


 仙台さんがにこりと笑う。


「……私が負けてたらどうするつもりだったの?」

「どうするつもりだったんだろうね」


 彼女の言葉からは、負けていたらどうなったのかわからない。

 でも、じゃんけんに負けても最後は約束を守ってくれたとは思う。そんな気がした。

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