私と宮城に残された時間

第114話

 受験が終わるまで会わない。


 妥当で真っ当な提案をした宮城は今、全てを終えてゴロゴロしている。私も彼女も必要な試験は全部受けた。結果はまだわからないがやるべきことはやったのだから、開放的な気分になってもいいはずだ。でも、会ってすぐに試験の出来を聞いてしまったせいで、宮城の機嫌が悪い。


 彼女が聞かれたくないと思っていることは、会ってすぐにわかった。だが、聞かずにはいられなかった。


 やっぱり、持ってくるんじゃなかった。


 私は定位置から、チョコレートが入っている鞄を見る。

 宮城に呼び出されて直前まで持ってこようか迷ったそれは、完全に渡すタイミングを失って鞄の中から出せずにいる。


 ベッドの上で寝転がっている宮城は、チョコレートを渡したくなるような機嫌ではない。しかも受験が終わるまで会わないという約束を守った結果、バレンタインデーを飛ばして会っているから余計にチョコレートを渡しにくい。その上、試験が上手くいったのかどうかもわからないままだ。


 なにも考えずにチョコレートを渡せた去年が懐かしく思えるほど、今年は去年と違う。


 自由登校になって学校へ行っていないことが、チョコレートに不必要な重みを加えている。去年は、羽美奈たちに渡すチョコレートを作るついでに宮城の分も作った。でも、今年は宮城のために作ったようになってしまっている。


 季節の行事は参加する。


 そういうモットーがあるわけではないが、友だちといれば参加することになる。だから、バレンタインデーにはチョコレートを交換する。


 今日もそうだ。

 去年、宮城は友だちとチョコレートを交換したりしないと言っていたが、私は渡す。――そうするつもりだったが、友だちに渡す“ついで”という口実がないと渡しにくい。


 私は立ち上がって、本棚の前へ行く。

 漫画の前に置かれた黒猫を撫でてから新しい本が増えていないか確認していると、後ろから声が聞こえる。


「仙台さん、これ」


 振り返って宮城を見ると、彼女はいつの間にかベッドからおりていた。そして、リボンがついた赤い箱を持って立っている。大きくはないその箱は、厚みがそれほどない。


「それって」


 漫画を持たずにテーブルの前に戻ると、宮城が赤い箱を押しつけるようにして渡してくる。


「買い物に行ったら目についたから」


 私は、手元にやってきた箱を見ながら座る。


 それはどこからどう見てもバレンタイン用のラッピングが施されていて、ブランド名まで書いてある。中身はどう考えてもチョコレートだ。でも、宮城が私にチョコレートを渡してくるなんてあり得ない。


「……煮干しの日じゃなかったの?」


 宮城は去年、バレンタインデーのことをそう言った。

 よく覚えている。

 それを考えると、箱の中身が煮干しでもおかしくはない。


 私は、隣に座った宮城を見る。

 彼女は、いつものように少し不機嫌な顔をしている。


「去年、モテない男子みたいなこと言うなって仙台さんが言ったんじゃん。いらないなら、それ返して」


 宮城の言葉から、箱の中身はチョコレートだと確信する。


「もらう。ありがとう。あと、私もあるから」


 慌てて鞄を開けて、中からチョコレートが入った箱を引っ張り出す。渡すタイミングは今しかない。


「はい、遅くなったけど宮城の分。手作りだから」


 私は、薄いピンク色のラッピングペーパーで包んだ箱を渡す。スマートとはほど遠い渡し方だが、格好をつける余裕はない。


「学校行ってないのに、わざわざ茨木さんたちにも作って渡したんだ?」


 他の人の分もあるような言い方をしたせいか、宮城が現実になかった事実を作り出して私を見る。


「ん、まあね。それ、開けていいよ。私も開けていい?」


 思わず、つかなくていい嘘をつく。

 なんとなく、ついでではなく作ったとは言いにくい。


「好きにすれば」


 素っ気なく宮城が言って、私が渡した箱のラッピングペーパーを剥がし始める。私も破かないようにラッピングペーパーを剥がす。そして、箱を開けると中にはチョコレートが六つ収められていた。


 去年、私が渡したチョコレートと同じ数。

 宮城がそれを覚えていて数を揃えたとは思わない。


 偶然そうなっただけだろうけれど、ホワイトデーにお返しをしてきたりしない宮城から、去年渡したチョコレートと同じ数のチョコレートが返ってくるというのは嬉しいことではある。


 できればもう少し機嫌良く渡してもらいたかったが、そんなことがあったら明日、世界が滅亡するに違いない。


「そうだ。去年みたいに食べさせてあげようか?」


 宮城が持っているチョコレートを指さす。

 私が渡したチョコレートは去年と同じトリュフで、数も同じだ。違うものを作ることも考えたが、凝ったものを作って渡すのも仰々しい感じがしてやめた。


「いい、自分で食べる」


 宮城が粉砂糖をまぶした白いチョコレートを摘まむ。そして、食べやすいように小さめに作ってあるそれを一口で食べる。


 彼女の表情は変わらない。

 感想も言わないから、美味しいのかどうかわからない。


 宮城の指先がもう一個取ろうか迷うように動いてから、ワニの背中からティッシュを一枚引き抜く。


「美味しい?」


 指先を拭いている宮城に尋ねると、「うん」と小さな声が返ってくる。


「……ありがと」


 去年もお礼は言われたけれど、ほっとする。美味しくないと言われるよりは美味しいと言われたいし、お礼だって言われたら嬉しい。正確には「美味しい」ではなく「うん」だけれど、宮城から直接的な言葉をもらえるとは思っていない。


「仙台さんは食べないの?」

「食べる」

「じゃあ、それ貸して」


 宮城が私の前にあるチョコレートを指さす。


「命令?」

「命令」

「返せってことじゃないよね?」


 さすがに違うとは思うが、一応尋ねる。


「そんなこと言ってない」


 否定してくれたことに安堵して、大人しく箱ごとチョコレートを渡す。


「口開けて」


 宮城が四角いチョコレートを一つ摘まんで言う。


「……なにかあるわけ?」


 私は思わず体を引く。

 たぶん、宮城はチョコレートを食べさせてくれようとしている。

 でも、それ自体がおかしい。


 普通に食べさせてくれるわけがない。


 宮城が私になにかを食べさせる。

 そういうことは過去にもあったが、ろくでもないことになった記憶しかない。私のためにチョコレートを用意してくれていたこと自体があり得ないことなのに、そのチョコレートを普通に食べさせてくれるなんてあるわけがないと思う。


 命令してまで食べさせようとしているのだから、なにかあるに決まっている。変なことをしない宮城なんて宮城ではない。


「別に自分で食べるならいい」


 宮城が乱暴に言って、摘まんだチョコレートを箱に戻そうとする。私は慌ててその手を掴んだ。


「ごめん。食べさせてよ」


 食べさせるという行為にどんなオプションがついてくるかは気になるが、命令によって起こることがどんなに不愉快なものでも最終的に受け入れることになるのだから気にしても仕方がない。


「じゃあ、口」


 開けて、は省かれてしまったが、素直に口を開くと四角いチョコレートが近づいてくる。すぐに口の中に、チョコレートが指ごと押し込まれる。舌に宮城の指が当たる。体温でチョコレートが溶けたのか、指先が甘い。チョコレートと一緒に指を噛むと、宮城が手を引いた。


 口の中にはチョコレートだけが残る。

 それは甘すぎず、苦くもなかった。


 私は宮城を見る。

 なにかおかしなことをしそうな気配も、チョコレートをもう一つ摘まむ様子もない。命令は命令通りのもので、オプションはないらしい。


「美味しい?」


 宮城がさっき私が言った言葉と同じ言葉を口にして、ティッシュで指を拭く。


「味見する?」


 チョコレートは美味しかった。

 でも、言葉で説明したいとは思わない。


「仙台さんにあげたものだし、いらない」

「気にしなくていいから」


 私は宮城の腕を掴む。

 軽く引っ張ると、宮城の眉間に皺が寄る。でも、なにも言わない。だから、私はそのまま宮城を引き寄せて唇を重ねた。


 最後にキスをしたのは、おまじないをした日だ。

 あれから、一週間以上会っていない。

 すんなりとキスをさせてくれたのは、時間が空いたからかもしれない。


 私は、ぴたりと閉じられた唇を舌でこじ開ける。

 宮城が私の腕を掴む。けれど、抵抗はしなかった。積極的とは言えないが、彼女の口内に侵入することが許される。


 いつもならこんなのは味見じゃないと怒るはずだけれど、今日の宮城は随分と優しい。少し不安になるくらいで、でも、唇を離したいとも思えず宮城の舌に触れる。


 舌先をつついても、反応はしない。押しつけるようにして絡めると、腕を強く掴まれた。ぬるりとした舌から宮城の体温が伝わってくる。


 手よりも熱くて、鼓動が早くなる。

 チョコレートの味はわからない。

 でも、甘い、と思う。


 宮城にもっと深く触れたくて、噛みつくようにキスをする。


 熱くて、甘くて、苦しい。

 息が上手くできなくて唇を離す。


 どちらかと言えば私が宮城を味見したみたいで、さすがに怒られそうな気がする。


「味なんてよくわかんないじゃん」


 宮城が私の肩を押して、距離を取る。


「じゃあ、わかるまですればいい」

「自分で食べた方が早い」


 怒ってはいないようだけれど低い声で言って、私のものになったはずの箱に手を伸ばす。私はチョコレートが摘ままれる前に宮城の手首を掴んで、引っ張る。


「仙台さんっ」


 不機嫌そうな声だけれど、やめて、とは言わなかった。だから、私は遠慮無くもう一度キスをする。今度は唇が薄く開いていて、すんなりと舌を入れることができる。でも、やっぱり味はわからない。ただただ甘くて、もっとほしくて宮城の中へ深く舌を差し入れる。


 宮城の手が私の肩を掴む。

 指先が食い込んで痛い。


 いつもなら私を押し離そうとする宮城がそうしないことが気になって、体を離す。


「今日は怒らないんだ?」


 問いかけると、宮城がまた眉間に皺を寄せた。


「怒られるってわかってるなら、しないでよ」


 不満をぶつけられる。

 でも、宮城が怒ることはなかった。

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