第312話
宮城のスカートが揺れる。
あまりじっと見ているとまた“変態”と言われることになるとわかっているけれど、視線は勝手に下へと向かう。
似合っている。
可愛い。
高校生ではなくなった宮城はスカートをあまり穿いてくれないから、こういう姿をずっと見ていたいと思う。もっと言えば、スカートから伸びる足を永遠に見ていたい。
彼女の足には私の思い出が詰まっている。
だから、見ていたくなる。
スカートが選ばれた経緯は気になるが、宮城と二人で水族館にいる今それは些細な問題だ。宇都宮が選んだのかもしれないとか、どうして私に選ばせてくれなかったのかとか、そういうことはそれほど気にしていない。
別にそんなものは小さな小さなことで、宮城が私と出かける日にスカートを穿いているという事実のほうが大事だ。
「仙台さん、前見てよ」
不機嫌な声が聞こえてきて、「宮城が見てて」と返す。
これから見るものは“耳介”で、それの持ち主はアシカだ。そして、アシカはペンギンがいた場所からそう遠くない場所にいる。
一度ここに来たことがあるからなのか、宮城もそれがわかっているようで、彼女の足は耳介が見られる場所へと向かっているから私が前を見ていなくても問題はない。
「危ないじゃん。こっち見てないでちゃんと前見て案内してよ」
そう言うと、案内なんていらなそうな宮城が横から私の腕を押す。よろけるほどではないけれど、結構な力が入っていたせいで歩くスピードが私だけ一瞬遅くなる。宮城が二歩ほど遠くなって、慌てて彼女の隣へ行く。
「ちょっと宮城、先に行くのなし」
スカートを見るという行為に特化するならば、少し後ろを歩いたほうがいい。でも、私は宮城の隣を歩きたい。
「よそ見してる仙台さんが悪い」
「よそ見してたわけじゃなくて、スカート見てただけなんだけど」
「それ、もっと悪いから。こっち見ないで反省して」
「はいはい」
穏やかな海みたいな青空の下、スカートに向かう視線を前へと向ける。
スカートを穿いた可愛い宮城は鞄にしまったスマホの中にもいるし、写真はもっともっと撮ることができる。
優先順位はスカートを見ることではなく、宮城を案内することのほうが高い。たとえ案内なしで辿り着ける場所だとしても、宮城が案内してほしいと言えば私は何度でも案内をする。
「そうだ、宮城。コツメカワウソのところ素通りしてきちゃったけど、あとから見る?」
宮城はこの前、コツメカワウソの前から動かなかった。
動物園に行ったときはカワウソの写真を撮っていた。
彼女が見たいと思うものはすべて見たいから、興味が少しでもありそうなものは知っておきたい。
「見る」
予想通りの答えが返って来る。
「じゃあ、アシカ見たら行こう」
にこりと笑って隣を見ると、宮城がやけに難しそうな顔をした。
「……コツメカワウソに耳ってあるのかな」
「耳がないことはないんじゃない? ちゃんと見たことないからわからないけど。戻って確かめる?」
「いい。あとからで」
「宮城って動物の耳、好きなの?」
「別に好きなわけじゃない。仙台さんが耳見たいって言うから気になっただけ」
「そっか」
テニスボールが弾むように心が弾む。
私が見たいものが気になる。
たいしたことではないと思うけれど、私の言動に宮城が影響されたとわかる言葉を聞けたことが嬉しい。それがほんの一ミリであっても、私が宮城の気持ちを動かしたということは大きなことだ。
本当はスキップでもしたい気分だけれど、私は宮城の隣を速くもなく遅くもない速度で歩く。宮城もペンギンに向かって急いで歩いていたのが嘘みたいに私の隣にいてくれる。
アシカのいる場所が十キロ先でも二十キロ先でもかまわないくらい宮城と一緒に歩いていたいけれど、目的地はそう遠くはないからすぐに着いてしまう。
「到着」
宮城に告げて、ゴロゴロしているアシカが見える場所で足を止める。
「耳、見える」
宮城がアシカをじっと見ながら言い、「アシカってぬめっとしてそう」と付け加える。
「そう? つるつるしてそうじゃない?」
「毛が生えてるし、あんまりつるつるしてないと思う」
「アシカって毛が生えてるんだ……」
「生えてるよ。アシカの赤ちゃんもぽわぽわの毛が生えてるじゃん」
「あ、そっか」
確かにテレビで見たアシカの赤ちゃんには毛が生えていた。それを考えると、大人のアシカに毛があってもおかしくはない。
私はアシカをじっと見ている宮城をじっと見る。
彼女は普段あまり喋らないけれど、動物がいる場所では饒舌だ。
スマホを鞄から取り出して、宮城に向ける。
カシャリと写真を撮る。
宮城は怒らない。
アシカをじっと見ている。
「宮城」
「なに?」
「――アシカとアザラシどっちが好き?」
アシカとアザラシと私。
なんて馬鹿なことを言いたくなったけれど、傷つくような結果は聞きたくないからよくある質問をぶつける。
「考えたことない」
あっさりとそう言うと、宮城がスマホを取り出してアシカの写真を一枚撮った。
私は宮城がなにも言わないことをいいことに、彼女の横顔をまたスマホに閉じ込める。
画面に映った宮城は楽しそうに見える。
わかりやすく言うなら、宇都宮と一緒にいるときにしていそうな顔をしている。できれば、水族館ではなくても、宇都宮がいなくても、今みたいな顔をしていてほしいと思う。
「仙台さん、アシカ見てる?」
宮城がぼそりと言う。
「見てる。あのアザラシ、クレーンゲームだったら取れそう」
アシカを見ずに答えると、宮城が私を見た。
「仙台さん絶対に取れないから」
「なんで?」
「クレーンゲーム下手だったじゃん」
「まあ、そうだけど」
彼女の言葉に間違いはないけれど、クレーンゲームが下手だったおかげで宮城が私のためにペンギンのぬいぐるみを取ってくれたからそう悪いことではない。
本当は私が取って宮城にあげたかったペンギンは、私たち二人のものとなり、宮城が知らない私のことも、私が知らない宮城のことも知るぬいぐるみになっている。
私たちの居場所にそういうものが増えていくことは、あの家が私たち二人のものになっていくようで好ましいことだ。
私は宮城にスマホを向ける。
彼女の眉間に皺が寄り、すぐに消える。
「仙台さん、アシカの写真撮って」
命令というわけではないけれど、強制力がある声が聞こえて私はスマホをアシカに向けた。
動物園でも似たようなことを言われたことを思い出す。
ペンギンもアシカも可愛い。
これから見るコツメカワウソも可愛いと思う。
でも、宮城ほど興味が持てない。
「どうしてもアシカ撮らなきゃ駄目?」
「駄目。撮ってあとから見せて」
面白くなさそうな声が返ってくる。
でも、私も面白くない。
私がスマホを向けたいのも、私の気持ちが向かうのも宮城だけだ。好きな動物を見つけてたくさん写真を撮ったら宮城が喜びそうだと思うけれど、そんなものを見つけるよりも宮城だけを見ていたい。
宮城に言ったら機嫌が悪くなりそうだから言わないけれど。
私が気になるのはどんなときも宮城で、宮城以外はどうでもいい。それは、宮城が“ルームメイト”から“大事なものに住んでる人”になっても変わらない。
「宮城が見たいアシカってどんなアシカ?」
視線の先、ゴロゴロとしているそれは毛が生えているかどうかはっきりとしない。
「どんなアシカでもいいから、ちゃんと見て撮って」
先生のように宮城が言う。
彼女の望みは全部叶えたいと思っている。
でも、変えようと思っても変えられないものがある。
宮城は私に嫌なことと好きなことを作ってと言ったけれど、彼女が納得する答えを出すなんてことはできないと思っていた。たぶん、曖昧にして宙ぶらりんにしたままの答えはこの先も見つからない。
水族館でも動物園でも私の興味は宮城に向かう。
宮城にしか興味がないのだから、嫌なことも好きなことも宮城と繋がっている。切り離して私だけの好きや嫌いを作ることは不可能に近い。
宮城。
漢字にすればたった二文字でしかなく、平仮名でも三文字でしかない名前は、ありふれたもので、誰でも書けるものだけれど、私にとってはどんな言葉よりも文字よりも意味がある。
私のことを求めてくれる宮城は、なによりも大切で、私を意味のあるものにしてくれる。
私はアシカをスマホに収めて、宮城に見せる。
「撮ったよ」
「可愛く撮れてないじゃん。真面目に撮ってよ」
宮城が言うなら可愛く見えるアシカを真面目に撮ってもいいけれど、もう少しスマホの容量を宮城に使いたい。
「いいけど、その前に宮城と一緒に写真撮ってもいい?」
にこりと笑って尋ねると、宮城の眉間に皺が深く刻まれた。
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