宮城は欲張りだ

第221話

 宮城が喋らない。

 部屋に来て、と私を呼んだくせに黙っている。


 こういうときはなにかがあるときで、でも、それがなにかはわからない。


「用があるから、呼んだんじゃないの?」


 隣に座っている宮城に問いかけるが、返事がない。


 彼女はずっとティッシュカバーのワニと手を繋いだままで、私に興味がありそうに見えない。そもそも宮城は今日、家に帰ってきてからずっと黙っている。夕ご飯を食べているときも、どこか具合でも悪いのかと心配になるほど静かだった。彼女はもともと喋る方ではないけれど、あまりに不自然だ。


「宮城、なにもないなら部屋に戻って予習するけど」


 私は背もたれにしていたベッドから背中を離す。

 明日はバイトがあるから、桔梗ちゃんに教える範囲を確認しておきたい。でも、急いではいない。この部屋で宮城と話をしてから予習をしても遅くはないから、私を引き止めてくれればいいのにと思う。


「いつも用事なくてもここにいるじゃん」


 宮城が私の腕を掴む。

 反対側はワニと手を繋いだままだけれど、私に触れている部分があることにほっとする。


「そうだけど。今日はわざわざ来てって言うから、なにかあるのかと思って」


 用事はあってもなくてもいいが、ないならないと言ってほしい。言われないと、良いことがあるかもしれないと思う私と、良くないことがあるかもしれないと思う私が混ざり合って落ち着かない。


 どちらかというと良くないことかな。


 宮城の機嫌は悪いというほどではないが、ほとんど喋らないから悪いことが起こると考える方がしっくりくる。


 私は隣でワニと手を繋いでいる宮城を見る。

 視線は合わせてくれない。

 私の腕を掴んでいた手が離れる。

 宮城が迷うようにプルメリアのピアスに触れ、指先で小さな花を撫でた。


 たとえば。

 もしかしたら。


 宮城の様子から可能性を考える。

 いくつも、いくつも考えて、一つの結論に辿り着く。


「……ピアス選んでくれた?」


 問いかけると、宮城が視線を床へ落とした。

 私を見ない彼女がなにを考えているのかわからない。


 ピアスを撫でていた手が私の腕を掴み、引っ張る。そのまま腕が引き寄せられ、ニットの袖が肘の少し下までまくり上げられる。宮城の手が私の腕を撫で、手首と肘の真ん中辺りを押す。弱くもなく、強すぎることもなく押してくる指が腕を緩やかに圧迫する。


 宮城は口を開かない。


 黙ったまま指を離すと、押していたところに唇をつけ、強く吸ってくる。私を管理するはずの宮城は、まだピアスを用意していないらしい。


 体に増えるキスマークは宮城を感じるものではあるけれど、今、私が欲しいものは宇都宮に見える印だ。早くしないと、あと一週間と少しでクリスマスが来てしまう。穏やかにクリスマスイブを迎えるために、宮城が選んだピアスがほしい。


 私は腕に跡を残している宮城の髪を軽く引っ張る。

 腕に押しつけられた唇は離れない。

 強く強く私の肌を吸っている。


 クリスマスプレゼントとしてピアスをくれるというなら妥協してもいいけれど、世の中が浮かれがちなイベントに興味があまりなさそうな宮城がそういうことをするはずがない。


「宮城」


 小さく呼ぶと唇が離れ、腕についた赤い印が見える。私の体につけられた印は宮城の体につける印の目印でもあって、私は宮城の腕を掴む。でも、当然の権利は拒絶され、腕が逃げていく。


「腕貸しなよ」


 まくられた袖を下ろしてからもう一度逃げた腕を掴もうとすると、宮城の不機嫌な声が聞こえてくる。


「あるから、ピアス」

「え?」

「ちょっと待ってて」


 そう言うと宮城が立ち上がり、クローゼットの中から小さな袋を持ってきて隣に座った。


「仙台さんのピアス買ってきた」


 いつもそうだ。

 宮城という人間は、私の理解を超えた場所にいる。

 今だって彼女の言葉は理解できるが、行動は理解できない。


「……宮城、これはなに?」


 私は彼女が跡をつけた腕を見せる。


「印」

「だよね。ピアスあるならなんでつけたの?」

「ピアスを買ってきたら印をつけちゃいけないっていう約束はしてないし」

「そうだけど」

「納得したなら、今つけてるピアス外してよ」

「ピアス、見せてくれないの?」

「つけてあげるから、あとから見れば」


 横暴な宮城が早くしろと催促するように私の耳を引っ張る。

 どうやら彼女は、本当に袋の中身を見せるつもりがないらしい。


「……まあ、いいけど」


 宮城は強情だ。

 そして、私はそんな彼女に弱い。


 この二つから導き出される答えは、遅かれ早かれ私が折れるというもので、ピアスを見せてと言い続けることは無駄でしかない。見せて、見せないの応酬を続けている暇があったら、さっさとピアスを外して新しいものをつけてもらった方がいいはずだ。せっかく宮城がピアスをつけてあげるなんて珍しいことを言っているのだから、大人しく従った方がいい。この機会を逃したら、自分でつければと冷たく言われて終わりだ。


 私は小さな宝物を外してテーブルに置く。


「これでいい?」

「いいよ」


 宮城は小さく答えると、消毒液とコットンを用意して私の耳を丁寧に拭う。

 耳たぶが冷たくて、耳に穴が開いた日を思い出す。


 あのときもこうやって消毒液で湿らせたコットンで耳を拭われた。


 記憶は今日と重なるけれど、今日はあの日とは違う。宮城の誕生日に耳をあげた私は、耳だけでは足りない彼女に私を全部あげて、私が宮城のものだという証をもらう。


 冷たいコットンが耳から離れ、宮城の指がピアスホールを撫でる。耳の裏を指が這い、またピアスホールを撫でる。くすぐったいけれど、手を払いのけたいとは思わない。もっと私に触れてほしいと思う。


「宮城」


 囁くように呼ぶと、宮城の唇が耳たぶに触れる。

 舌先がぴたりと耳にくっつき、消毒液よりも温かいもので湿る。ゆっくりと舌が這い、耳に神経が集まり、必要以上に感覚が鋭敏になる。


 吹きかかる息に、呼吸が止まりそうになる。

 押しつけられる舌先に、体の中が熱くなる。

 宮城を抱き寄せて、耳以外にも触れてほしくなる。


 本当に宮城は酷いと思う。


 こういうことをされた私がどう思うのかわかっているくせに、中途半端に触れるだけで決して望むことはしてくれない。


「もしかして、約束を前倒しにしてほしい?」


 宮城の頬を撫でて問いかけると、跳ねるように体が離れる。


 クリスマスまで待つつもりの約束。


 それを早めるつもりはないけれど、宮城があまりにもわかりやすい反応をするから拒絶されているような気持ちになる。


「嫌なら、遊んでないでピアスつけて」


 大丈夫。

 宮城は嫌がっているわけではない。

 約束に過剰なまでに反応するのは、わけがわからなくなることを怖がっているだけだ。私に触れられたくないわけではない。

 私は自分に言い聞かせて、宮城を見る。


「遊んでるわけじゃない」


 宮城がまた私の耳を消毒液で湿らせたコットンで拭う。耳元で「目、閉じてて」と言われ、私は素直に目を閉じた。


 暗闇の中、ガサゴソとなにかを開ける音が聞こえてくる。

 右耳に小さなものが触れる。

 ピアスホールになにかが通る感覚があって、パチリと音がする。左耳も同じように小さなものを通され、パチリと音がして、「目、開けていいよ」と聞こえて目を開けた。


「ピアス、ありがと。見てみたいし、鏡貸して」


 つけられたばかりのピアスの形を指先で確かめながら、部屋の主に耳を見るために必要なアイテムをリクエストする。


「やだ」

「ピアス見たいんだけど」

「自分の部屋に戻ってから見てよ」


 宮城が素っ気なく言って、私をじっと見る。

 彼女の視線の先には私の耳がある。


 宮城の目を覗き込んだら、ピアスが見えればいいのに。


 そんなことを思いながら部屋へ戻るか迷っていると、宮城が静かに言った。


「今つけたピアスは仙台さんが私のものだって印だよね?」

「そうだよ」

「……これだけじゃ足りない」


 小さな声が聞こえて、宮城の唇が私の首筋に触れる。そして、すぐに強く押しつけられ、私は彼女の体を押した。


「見える印があるのに足りないって言われても困るんだけど。なにが不満なの?」

「……わかんない」

「額に宮城のものって貼っておいてあげようか?」

「そういうことじゃない」


 宮城が少し低い声で言って、いつものように力任せではなく柔らかく耳を噛んでくる。くすぐったくて、宮城を困らせるであろう気持ちに囚われそうになるけれど、首筋に跡をつけられるよりはマシで彼女のしたいようにさせる。


 さっきのように舌が這ってきたりはしない。

 頼りないくらい優しく歯が耳たぶを何度か挟み、唇が一度くっついてから離れる。


「気がすんだ?」


 満足しなかったのか、宮城はうんともすんとも言わない。

 それでもまた同じことをされるのは困る。


「じゃあ、写真撮るから協力して」


 宮城がなにかしてくる前に、テーブルの上に置いてあったスマホを取る。


「え、やだ」

「宮城の写真撮るわけじゃないから。私の写真撮って」


 カメラを起動してスマホを宮城に渡すと、自分が撮られるわけではないとわかって安心したらしく大人しく受け取る。宮城がスマホを構え、黙って画面を操作する。


 カシャリ。


 電子音が鳴って、スマホが返される。画面を見ると、私の耳には丸い小さな青い石がついていた。


「これ、なんて石?」

「仙台さん、ずるい」


 宮城が不満そうな声を出す。


「ずるいって?」

「ピアス見るために写真撮れって言ったでしょ」

「そういうわけじゃないから。そんなことより、石の名前教えてよ」

「知らない」


 低い声が返ってくるが、買った本人が知らないわけがない。

 私はこれまでに見た青い石の記憶を辿る。


 サファイア、アクアマリン、ラピスラズリ。


 ぱっと思い浮かぶのはこの三つくらいだ。

 スマホの画面をよく見て、記憶と比べる。

 私の耳についている青い石は、アクアマリンほど色が薄くない。ラピスラズリほど濃くもないし、斑点もないように見える。


 たぶん、サファイアかな。


 私はスマホでサファイアを検索する。でも、宮城が私からスマホを取り上げようと邪魔をしてきて検索の結果を見ることができない。


「ちょっと宮城、大人しくしてなよ。調べられないじゃん」

「調べる必要ないし、スマホしまってよ」

「じゃあ、宮城と一緒に写真撮りたい」

「なにが、じゃあ、なの。絶対やだ」

「一枚くらいいじゃん。ピアスをつけた写真撮っておけば、私が宮城のものだって忘れないでしょ」

「もう撮った」

「管理者も一緒に写ってることに意味があるの」


 私は宮城に肩を寄せ、彼女が逃げ出す前にカシャリと一枚写真を撮った。

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