もっと宮城を見ていたい

第176話

 びっくりした。

 宮城が予想外過ぎる。

 今さら好きな人の話を持ち出してくるとは思わなかった。


 私は止まりかけた心臓を落ち着かせようと、ゆっくりと息を吸って吐いて歩く。


 嘘はつきたくなくて、いるよ、と答えたのは失敗だったかもしれない。いつもと変わらない私を演じられたと思ったけれど、宮城は私の答えに納得しなかったようで、背中に痛いほど視線を感じる。振り返ったらなにか言われそうで、私はとりあえず少し先を指差す。


「宮城、クラゲのコーナーだって」


 好きな人の話を広げられても困るから、今は私よりも水槽の中身に興味を持ってほしい。


 薄暗い中、光って見えるクラゲが漂う水槽の前へ行く。


 クラゲは思ったよりもたくさんいて、ふわふわゆらゆらしている。私たちがいる青い空間と水槽の中が混じり合ってしまいそうな幻想的な雰囲気で、体が浮いているような気すらする。


「クラゲって刺されたら痛いけど、こうやって見ると綺麗だね。癒やされる」


 クラゲを見ながら宮城に話しかけると、彼女は私の隣にやってきて小さな声で言った。


「うん。ずっと見てられそう」


 水槽から隣に視線を移すと、宮城が漂うクラゲをじっと見ていた。


 さっき。

 好きな人はミケちゃんだなんて言わずに「宮城だよ」と言っていたら。

 今からでも「あれは宮城のことだよ」と言ったら。


 現状を手放したくない私に言えるわけがないけれど、想像せずにはいられない。


 好きだと伝えれば、宮城も好きだと返してくれるのだろうか。


 彼女から嫌われていないことはわかるし、好意を持ってくれているだろうとも思えるけれど、その感情がどこに分類されるものなのかまではわからない。


 同じ気持ちでいてくれたらいいのにと思う。


 私たちは、付き合っていると言ってもおかしくないこともしている。普段はそれだけで満足しているけれど、ときどき宮城の心もほしくなる。でも、その心を手に入れるために、今持っているものを全部なくしてしまうかもしれない言葉を口にする勇気はない。


 何度考えても結論は同じだ。

 この先変わるかもしれないけれど、今は楽しい気持ちのまま彼女を見ていたい。


「宮城。上にアザラシいるけど、まだクラゲ見てる?」


 私は、気持ちを切り替えるように明るい声をだす。


「上へ行く」


 隣から弾んだ声が聞こえてきて、水族館に来て良かったと思う。


 宮城は動物が好きそうだから動物園に行こうかと思ったけれど、暑さに弱い私には動物園を選ぶことはできなかった。ティッシュカバーからカモノハシとワニを見に行くことも考えたが、そもそもカモノハシは日本にはいないらしいし、ワニはわざわざ見たいものでもなさそうな気がした。結局、水のあるところに住んでいる生き物繋がりで水族館を選んだけれど、たぶん正解だった。


 ……デートに誘うみたいで言いだしにくくはあったけれど。


「なんかジャングルっぽい。ここにアザラシいるの?」


 階段を上って、宮城がぼそりと言う。

 ここは熱帯を模したエリアらしく、アザラシがいるようには見えない。私は鞄の中からパンフレットを出して、アザラシがいる場所を確認する。


「もう少し奥の方にいるみたい。先にアザラシ見に行く?」

「いい。順番に見ながら行く」


 私たちはのんびりと歩いて、大きな魚や小さな魚を見る。カメやイグアナもいて面白い。ゆっくり進んでお目当てのアザラシの前まで来ると、宮城の顔が明るくなった。きゃーきゃーと騒ぐことはないけれど、アザラシがこちらにくると頭をぶつけそうな勢いで水槽に近づいているから魚類よりも哺乳類の方が好きらしい。


 楽しそうにしている宮城を見ることがほとんどないから、私の視線はアザラシよりも宮城に向いてしまう。


 屋上にはアシカやコツメカワウソがいる。

 もしかしたらもっと楽しそうな宮城が見られるかもしれない。

 そう思うと、気持ちが弾む。


 私は、本人に気がつかれないようにアザラシを見る宮城を見る。二人きりだったらいいのにと思うけれど、夏休みの水族館は混んでいる。

 今度はもっと空いているときにまた二人で遊びにきたい。

 そんなことを考えていると、宮城が私を見た。


「仙台さん、お腹空かない?」

「……空いた」


 言われるまで気がつかなかったけれど、どうやら私は空腹らしい。スマホを見るとお昼を食べるような時間はもう過ぎていて、名残惜しいけれどアザラシとはお別れして食欲を満たすことにする。


「屋上にカフェあるし、そこでなにか食べよっか」


 そう言うと、隣から「うん」と返ってくる。私たちはイソギンチャクに隠れるクマノミや川魚を見ながら進んで、屋上へ出る。アシカやコツメカワウソは後回しにしてカフェへ入り、ホットドッグとアイスティーを一つずつ、ついでにパンケーキも一つ頼んで半分こにして食べることにする。


 声を合わせて「いただきます」と言って、ホットドッグに齧りつく。お腹が空いていたから、私の前にあったホットドッグも宮城の前にあったホットドッグも、あっという間に胃の中に消える。宮城がアイスティーをごくりと飲んで、ここでしか食べられないというパンケーキをじっと見る。


「これ、可愛いね」


 機嫌が良くて、饒舌とまではいかないけれど普段よりもよく喋る宮城が柔らかな声で言う。

 言いたくなるのはわかる。

 パンケーキにはカワウソの顔が描かれていて可愛い。でも、食べるためにはカワウソには犠牲になってもらわなければならない。


「切り分けるけど、いい?」


 宮城に尋ねると「いいよ」と返ってくる。私はカワウソの顔にナイフを入れて、真っ二つにする。宮城の「あっ」という声が聞こえてきたけれど、気にせずにさらにナイフを入れて一口大に切っていく。


「仙台さん、血も涙もない切り方する」


 宮城が、はあ、とため息を一つついてから、私が切り分けたパンケーキを一口食べた。


「情けをかけても食べられる運命だしね。可哀想なら、宮城はもう食べない?」

「……食べる」

「良かった。せっかくだし、食べさせてあげようか?」

「自分で食べる」

「残念」


 私たちはパンケーキも平らげて、カフェを出る。


 館内と違って、屋上は暑い。

 それでも宮城は元気いっぱいだ。

 足取り軽く私の少し前を歩いていく。


 私はアシカを見て、宮城を見て、コツメカワウソを見て、宮城を見る。

 彼女ははしゃいだりはしないけれど、アザラシを見ていたときのように楽しそうにしている。


 そういう宮城を見ていると、私も楽しくなる。


 でも、もし、宇都宮と水族館に来ていたら、こっちにアザラシが来たとか、アシカがごろごろしていて可愛いとか、私といるときよりももっとたくさん喋って、あっちへ行こう、こっちへ行こうと動き回ったりするのだろうかなんてことも考えてしまう。


 私は小さく息を吐いて、こめかみをぐっと押す。

 他人を羨んでも落ち込むだけだ。

 わかっているから、私は宇都宮を頭の中から速やかに追い出す。


 宮城はアザラシやアシカよりもコツメカワウソの方が好きなのか、コツメカワウソの前から動かない。


「コツメカワウソってカモノハシとちょっとだけ似てない?」


 私は寄り添って眠っているコツメカワウソを見ながら、宮城に問いかける。


「全然似てない」

「そう?」

「コツメカワウソとカモノハシが似て見えるなら、眼科に行った方がいいよ」


 宮城が失礼なことを言って歩き出す。二人で順路通りに進んでいくと、いつもよりも大きな声が隣から聞こえてきた。


「仙台さん、ペンギンいっぱいいる!」


 草原をイメージしたらしい水槽を宮城が指差す。

 確かにそこにはペンギンが何羽もいる。


「もう少し先に行くと、下からペンギン見られるらしいよ」


 私はここに来る前に調べてきたことを告げる。


「下から?」

「そう。頭の上をペンギンが泳いでいくんだって」

「見たい。どこ?」


 パンフレットを確認して、あっち、と指差すと、宮城が「行こう」と私の腕を引っ張った。


 手は繋がないけれど、私は腕を引っ張られたまま歩く。

 宮城がスカートを翻して前を進む。

 すぐに空を泳ぐペンギンが見えてくる。


 もちろん、本当に空を泳いでいるわけではない。ひさしのようになった水槽があって、その張り出している水槽の下へ入ると水の中を泳ぐペンギンを見上げることができるようになっている。


「すごい。ペンギンが空を飛んでるみたい」


 宮城が掴んでいた私の腕を離して、水槽を見上げながら言う。

 場所が屋上ということもあって、ペンギンは空を飛んでいるようにも見える。


 でも、私は宮城から目が離せない。

 それは、空を飛ぶペンギンよりも数百倍レアなものが目の前にあるからだ。


 笑っている。

 宮城が。

 とても楽しそうに。


 宮城は高校生だった頃も学校では笑ってはいたし、宇都宮が遊びに来たときにも笑ってはいた。でも、私と二人でいるときは笑わない。それどころか不機嫌な顔をしていることが多い。


 そんな宮城が私の前で笑っている。

 ペンギンなんか目に入らない。

 ずっと宮城だけを見ていたい。


 笑顔が私に向けられたものではないことは残念だけれど、二人でいるときに笑った宮城を見られたことは嬉しい。


「ペンギン好きなの?」


 水槽を見上げる宮城に尋ねる。


「好きってわけじゃないけど、可愛い」


 ペンギンが好きだとしか思えない弾んだ声が返ってくる。

 彼女は自分が笑っていることに気がついていないのか、にこにこと空を飛ぶペンギンを見続けている。


「宮城」

「なに?」

「すごく可愛いね」

「ペンギン?」


 宮城が水槽を見上げたまま聞いてくる。


「うん」


 ペンギンは可愛い。

 でも、宮城の方がもっと可愛い。

 そう言いたいけれど、言ってしまったら宮城から笑顔が消えてしまいそうだから口にはださない。


 青い空の下、ペンギンの白いお腹が何度も通り過ぎる。

 私はペンギンを見る振りをして宮城を見る。

 家では見せてくれない笑顔の彼女はキラキラしている。


 外はさっきよりも暑い。

 でも、ずっとこのまま宮城を見ていたいと思った。

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