宮城だけを見ていたい

第263話

 はいて、と頼んではいない。

 頼んではいないけれど、ノックされたドアを開けると、私が選んだ青いスカートをはいた宮城がいた。


「仙台さん、澪さんのこと――」


 聞こえてきた言葉が途中で途切れる。

 どうしたのかと思って宮城の顔を見ると、眉間に皺を寄せていた。


「なに?」


 不機嫌そうな顔をされるほどまじまじと彼女を見たつもりはないが、低い声が聞こえてくる。


「え、あ、別になにも。それより澪がどうかした?」


 スカート似合ってる。

 可愛い。

 メイクさせてよ。


 そんな簡単な言葉が出てこない。

 宮城から“嫉妬”という言葉を聞いてから、私は彼女にどう接したら良いのかわからなくなっている。いつも通りの私でいたいのに、不自然な行動ばかりしてしまう。


 宮城が想像以上に私のことを想ってくれているだとか、もしかしたらルームメイトではない関係になろうとしてくれているのかもしれないだとか。


 そういうことがぐるぐると頭の中を駆け回って、いつもなら簡単に出てくる言葉が出てこなかったり、自然に笑うことができなかったりしている。


「澪さんのこと何時に迎えに行くの?」


 宮城が口にした“澪さん”という言葉がこつんと頭に当たる。普通にしていなければ宮城を警戒させるだけだとわかっているけれど、普通にできない今の私にとって、それはあまり良い言葉ではない。


 私は出そうになるため息を飲み込む。


 呼び捨てではないから別にいい。

 気分は良くないけれど“さん”が付けられているから許してきた今までと同じように、“澪さん”という呼び方を許すべきだ。いつまでも普通ではない私でいるわけにはいかない。


「澪、自分でここまで来るから迎えには行かないよ」

「一人でここまで来るの?」

「そうだけど。今日、澪以外に来る人いないし、一人じゃなかったら驚く」


 私は宮城を見る。

 今日の彼女は、私が選んだ青いスカートをはいてくれている。

 それだけで満足だ。


「そういうことじゃなくて。迎えに行った方が良くない?」

「大丈夫でしょ」


 澪には、この家までのルートを書いた地図を送ってある。

 彼女は方向音痴ではないし、迷うようなことがあったとしても辺りにいる人を捕まえて道を聞くタイプだから心配はいらない。


「時間通りに来ないかもしれないじゃん」

「迷子になるような場所じゃないし、大丈夫だって」

「迷子は心配してない」

「じゃあ、なんの心配?」

「澪さんって、二時に行くって言いながら勝手に一時とか三時に来そうだから。一時間くらい誤差とか言いそうじゃん」


 澪との約束の時間は二時だ。

 まだ一時間以上あるからのんびり待とうよ、と言いたいところだが、宮城の言葉は間違っていない。


「確かにそういうタイプだし、一応、早すぎても遅すぎても困るって言っておく。とりあえず中に入れば」


 私は宮城を部屋に招き入れて、スマホを手に取る。

 お昼は早めに済ませているから予定より早く来られても問題はないし、今日は来ないけれど時間にルーズなのは能登先輩で慣れている。でも、宮城は気になるだろうから、澪にメッセージを送っておく。


「座れば?」


 落ち着かないのか部屋の中をうろうろしている宮城に声をかけてから、私はベッドを背もたれにして座った。


「仙台さん。私、澪さんと話すことないんだけど、なにしてればいいわけ?」


 宮城がぼそりと言って、私の隣にちょこんと座る。


「澪が勝手に喋るから、それ聞いてればいいんじゃない」

「ほんとに聞いてるだけでいいの?」

「本当に聞いてるだけだと困るから、質問されたらそれに答えるくらいはして」

「それくらいわかってる」


 背中にティッシュを生やしたカモノハシを宮城が引き寄せ、私たちの間に置く。そして、頭をぽむぽむと叩いた。私は宮城の手を握る代わりに、カモノハシの手を握る。


「澪さんって何時までいるの?」


 宮城が不機嫌な声で言う。


「さあ、何時だろ」

「澪さん今日、お腹痛くなったり、頭痛くなったりしてないの?」

「朝は元気そうだったけど」

「元気じゃないときってあるの?」

「あんまりないかな」


 隣から、はあ、と小さなため息が聞こえてくる。


 気持ちはわかる。


 宮城の周りにいないタイプであろう澪と会うということ自体が、彼女のストレスになっているはずだ。本当なら逃げ出したいくらいだろうから、具合が悪くなっていたらと思いたくなっても仕方がない。


 まあ、私も気が乗らないけれど。


 この家に宇都宮が来ることを素直に喜べなかった私は、澪も家に入れたくないと思っている。たとえ友だちであっても、宮城に“澪さん”と呼ばれ、宮城を“志緒理ちゃん”と呼ぶ彼女をこの家で見たくない。


 家へ来ることに文句の一つどころか百くらい言いたいけれど、遊びに来るだけのことにそんなにたくさんの文句を言ったら、突っ込まれたくない部分に澪が突撃してきそうだからここへ来ることを許すしかない。


「……宮城。今日だけでも私のこと葉月って呼ばない?」

「呼ばない」


 宮城が私を見ずに答える。


「だよね。……じゃあ、私が志緒理って呼ぶのは?」


 せめて、どちらかが叶えば。

 そんなことを思うけれど、それが叶わないことは知っている。


「呼ばなくていい」


 やっぱりね。


 嫉妬した、なんて私に言うのなら、私のことを名前で呼ぶべきだし、私に名前を呼ばれるべきなのに、本当に宮城は思い通りにならない。


「澪さん来るまで自分の部屋にいる」


 宮城がぼそりと言って立ち上がろうとする。

 私はカモノハシの手を離して、宮城の腕を掴む。


「ここで待ってなよ」


 思っていた以上に宮城の気持ちが私に傾いていた。


 なんて思わせるような言葉を吐いておきながら、私を適当に扱うのは酷い。名前を呼ぶ気も呼ばせる気もないなら、側にいることくらいは許してほしいと思う。


「なんで?」

「なんでって、どこで待ってても一緒でしょ」

「違うもん」


 宮城が珍しく拗ねたように言う。


「……機嫌悪い?」


 腕を掴んだ手に力を入れると、宮城が低い声を出した。


「悪い。手、離して」

「ごめんね」


 なにに対しての謝罪なのかわからないまま謝って、掴んだままの腕を放す。それでもやっぱり彼女に触れていたくて手を伸ばすと、カモノハシを押しつけられる。私はふかふかしたティッシュカバーを受け取って、ベッドの上にいるペンちゃんの隣に置く。


 小さく息を吐いて、宮城を見る。

 彼女にもう一度手を伸ばすか迷う。

 どうしていいのかわからなくて「宮城」と呼ぶと、ブラウスを掴まれた。


「……印つける」


 宮城が小さな声で言って、私に少し近づく。


「いいけど、澪に見られる場所は困る」

「ボタン、外して」


 聞こえているはずの私の言葉には答えが返ってこない。こういうときに同じ言葉を繰り返しても宮城には届かないから、「何個?」と尋ねる。


「全部」

「宮城のすけべ」

「うるさい。黙っていうこときいて」

「はいはい」


 逆らうつもりはないし、スカートも脱いでと言われても従うつもりだけれど、仕方がないというように答える。そして、躊躇うことなく一つ、二つ、三つ、と上からボタンをすべて外す。


 宮城の手が伸びてきて、ブラウスの前を当然のように大きく開く。

 キャミソールの上、遠慮のない視線が胸元に刺さる。


 彼女はなにも言わずに、印をつけるだけなら触る必要がない胸の上に手を置く。そして、私が抵抗するか確かめるように、ゆっくりと胸の形をなぞるように手を動かした。


 直接触れられているわけではない。

 手と私の胸の間にはキャミソールとブラがある。

 彼女の手は遠い。

 それでも心臓がどくんと鳴る。


 今日、澪が来なければいいのにと思う。


 道に迷って、スマホの充電も切れて、道を聞く人もいなくて、澪が永遠にこの家に辿り着かなければ、私と宮城を隔てるものをなくして、彼女に触れてもらうことができる。それを宮城が嫌だと言うなら、私が彼女を押し倒してもいい。


 私は胸の上を這う宮城の手を掴む。

 彼女が顔を上げる。

 手は私から逃げたりしない。


 宮城の顔が近づいてきて、鎖骨の少し下に唇が押しつけられる。彼女の体温が皮膚を温め、血液に溶けると、強く吸われる。私と同じ匂いの髪に指を通して梳く。唇が離れて、またくっついて吸われる。


 見えなくてもわかる。

 皮膚の上に、私が宮城のものだということを表す印がはっきりとついている。


 キャミソールの上から脇腹を掴まれる。

 ぎゅっと力を入れられて、それに応えるように宮城を抱きしめると、腕の中から声が聞こえた。


「今、何時?」

「何時だっていいじゃん」

「良くない」


 宮城が私の体を押して、「何時?」とまた言う。

 私は抱きしめたばかりの体を離し、テーブルの上からスマホを取って画面を見る。


「一時十七分」


 目に映ったものを口にすると、スマホが着信音を鳴らして澪からのメッセージを表示した。


「澪、近くまで来てるって」

「やっぱり適当な時間に来るじゃん」

「ごめん。続きは澪が帰ってからでいい?」


 ブラウスのボタンを閉めながら尋ねる。


「続きなんてないから」


 宮城がさっきよりも不機嫌な声で言った。

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