第116話

 エンドロールまで約二時間。

 最後まで観てから、宮城と席を立つ。


 私はスカートを直して、歩き出す。


 これが羽美奈や麻理子だったら、エンドロールはおまけだとばかりに本編が終わったらすぐに席を立っている。彼女たちと映画に行ったら私もそれに合わせることになるから、一緒に映画に行きたいとはあまり思わない。


 けれど、宮城は場内が明るくなるまで座っていてくれる。夏休みに映画を観に行ったときも、最後まで座っていた。性格も趣味もまったく違うが、こういうところは合う。


 羽美奈や麻理子とだって、合わない部分はある。でも、宮城よりは一致する部分が多い。私と宮城は似ている部分を探すことが難しいくらいなのに、宮城といる方が楽しいと感じるのだから不思議だ。


「面白かった?」


 映画館を出たところで問いかけられる。


「宮城は?」

「面白かった」

「私も。それほどアクション映画って観ないけど、こういうのもいいね」


 観たい映画があると言い出したのは宮城だが、結局、今日になっても彼女はそれがどの映画なのか言わなかった。だから、なんとなく話題になっているアクション映画を観ることになった。


 ホラー映画を観るという選択肢もあったけれど、宮城が苦手だからと候補から省いた私を褒めてほしいと思う。


「なにか食べて行く?」


 歩調を宮城に合わせて、隣に声をかける。

 今日の目的は映画で、他は決めていない。


 でも、私は宮城に話がある。食べたいものがあるわけではないが、どこか座って話せる場所に入りたい。でも、話があると言ったら逃げられそうな気がする。


「帰る」

「え? もう?」


 私は宮城を見る。

 今日の彼女は、映画を観てそのまま帰るような格好には見えない。


 わかりやすく言えば、珍しくおしゃれをしている。メイクはしていないが、可愛い柄のスカートを履いて見たことのないコートを羽織っている。


 夏に映画を観たときのカジュアルな格好とは違う。


 だから、映画を観た後にどこかに寄るくらいのことはしてくれるのだと思っていた。話が違うと思うのは私の勝手な気持ちだけれど、このまま帰ってもらっては困る。


「他に行きたいところないし。仙台さんはまだ時間ある?」

「ある」

「じゃあ、うちに来て」


 そう言うと、宮城が私の手を掴んで歩き出す。それは明らかにいつもと違う掴み方で、力が弱い。強引ではなく柔らかな触れ方で、簡単に言えば手を繋いで歩いているということになる。


 今までの宮城からは考えられないことだ。

 そう、絶対にあり得ない。


 あまりにも自然に繋いできた手はあまりにも不自然で、私は宮城の顔をじっと見ることになる。


「なに?」


 隣から平坦な声が聞こえてくる。


 すれ違う人は、私たちが手を繋いでいても気にしていない。私だって、知らない誰かが手を繋いで歩いていても目に入らないからそんなものだと思う。だから、他人の目は気にならないけれど、宮城がなにを考えているのかは気になる。


「この手は?」


 私は、繋がれた手を軽く握る。


「離した方がいい?」

「このままでいいけど、なんなの?」

「どうせもうすぐ卒業式だし、誰かに見られても関係ないから」


 宮城が絶対に言いそうにないことを言う。


 確かに卒業式が近い。

 部屋を決めて帰ってきたら数日後には卒業式だし、卒業してしまったら二人で会うのは放課後だけだとか、学校以外では話しかけないだとか、そういうルールは関係がなくなる。フライングでルールを破っても大したことはないと思う。


 夏に映画を観たとき、羽美奈に二人でいるところを見られているにもかかわらずこの場所を選んだ理由にもなっているが、今の台詞は宮城らしくない。


「そういうのって、私の台詞じゃない? 宮城、普段はそういうこと言わないじゃん」

「じゃあ、離す」

「え、ちょっと」


 宮城が手を離そうとして、私はその手を逃がさないように強く掴む。いつもならそれでも強引に逃げ出す手は、すぐに大人しくなった。


「行き先、うちでいいんだよね?」


 嫌だ。


 なんて言っても、今日の宮城は聞いてくれそうにない。そして、私は話ができれば場所は問わない。だったら答えは一つで、「いいよ」と答える。


 宮城は手を離さない。

 私たちは、ぽつりぽつりと会話にならない会話をしながら歩く。改札を通り過ぎて、夏と同じように二人で電車に乗る。何駅か通り過ぎて、電車を降りる。


 二月の街はまだ寒いけれど、のんびりと歩く。


 春を待つショーウィンドウは華やかになりつつあって、空も明るい。宮城と手も繋いだままだ。でも、それほど心は弾まない。こういう日が冬になる前にあったら良かったと思う。そうしたら、楽しい気分になれたような気がする。


 マンションに近づいて、宮城が手を離す。

 歩くスピードが上がって、宮城が私よりも少し前を歩く。


 制服ではないスカートが目に入る。

 何度も舌を這わせた足がよく見える。


 そう言えば最近、足を舐めろという命令をされていない。


 最後にそういうことをした日がいつだったか思い出せない。足を舐めたいわけではないけれど、そういう命令をする宮城に戻ればいいと思う。


 エントランスを抜けて、エレベーターに乗って六階で降りる。

 玄関まで一緒に歩いて、宮城が鍵を開ける。


 ドアを開けて中へ入る。

 宮城が先に靴を脱ぐ。

 私も靴を脱いで宮城を追いかけると、部屋の前で鞄を取り上げられた。


「仙台さん」


 宮城が当たり前のように鞄を廊下に落とす。

 壊れるようなものは入っていないけれど、あまり気分は良くない。私は、落ちた鞄を拾おうとする。けれど、鞄に手が触れるより先に宮城に腕を掴まれてしまう。


「ちょっと」


 顔を上げて宮城を見ると、腕を引っ張られる。

 文句を言う前に宮城の顔が近づいてきて、唇が触れた。


 キスは何度もしている。

 でも、宮城からしてくることはほとんどなかった。


 夏休みを除けば。


 二人で映画を観に行った後、私とは友だちになれないと結論付けた宮城は自分からキスをしてくるようになった。それは短い期間のことで、私たちの間から五千円がなくなることはなかったけれど、あのときほんの少し関係がかわったと思う。


 今も宮城からキスをされることが嫌なわけではない。


 唇は柔らかくて気持ちがいい。

 ただ、夏休みが終わって、冬休みも終わってしまった今、こんな風に宮城からキスをされると、私と宮城が入れ替わったみたいで落ち着かない。


 私は宮城の体を引き寄せる。距離がさっきよりも近くなる。けれど、すぐに宮城は私から体を離した。


「ここ、廊下」


 宮城らしくない宮城になんと言っていいかわからなくて、つまらないことを口にする。


「誰もいないし」


 宮城がぼそりと言う。


 この家で宮城以外の人を見たことがない。

 いないことが当たり前で、誰もいないと言われなくてもいるとは思っていなかったからそこは心配していない。部屋ではないこんな場所で、宮城が夏休みが終わってからほとんどしてこなかったことをしてきたことが気になっている。


 宮城の手が頬にふわりと触れる。

 指先が唇を撫でて、もう一度キスをされる。


 触れ合った柔らかな唇に、悪いニュースが浮かぶ。


 世界が滅亡する。

 いや、世界は終わらないけれど、私たちの関係は終わるかもしれない。


 このキスは、宮城が望んだキスではないと思う。


 キスをしたいのも触りたいのもいつだって私で、宮城ではない。今日の宮城は、私がこれまで望んできたことをしているだけだ。

 私は、自分から顔を離す。


「今日の命令、まだきいてない」


 早くいつもの宮城に戻さなければと思う。

 手を繋ぐことも、キスをしてくることも、終わりのための儀式だとしか考えられない。こんなことをしてくる宮城とは一緒にいたくない。


「今、大人しくしててくれたらそれでいい」


 やっぱり宮城は、足を舐めろとは言わない。


 当然のように顔を寄せてくる。そして、自然に、でも、不自然としか感じられないキスをしてくる。


 唇は、私からキスをしたときと変わらない柔らかさと熱を持っている。体温が混じり合う感覚はいつだって心地が良い。できることなら、このままずっとキスをしていたいと思う。


 でも、キスをしてはいけないとも思う。


 今日、会ってすぐに五千円をもらっているし、宮城には命令する権利がある。大人しくしているという命令も簡単に従えるものだ。

 けれど、今は命令をききたくない。


 私は、宮城の肩を押す。


「あのさ、最近なんなの。おかしくない?」


 落ちたままの鞄を拾って宮城を見る。


「いつもキスしたがるじゃん」

「そうだけど」

「したくない?」

「したい。したいけど……。これって、夏休みの続き?」


 今日の宮城は夏休みの宮城とは違うけれど、夏休みを辿るようなことをしている。


「続きって?」

「友だちごっこの続きしたいわけ?」


 夏休み、二人で映画を観に行ったのは友だちになれるか試すためだったのだと思う。あの日、宮城は友だちにならないことを選び、私もそれを受け入れた。


「違う。仙台さんとは友だちにならない」


 今日も宮城は友だちであることを否定する。


「じゃあ、なに?」


 問いかけには返事がない。

 宮城は、なにを考えているのか黙り込んでいる。

 そして、観察するように私をじっと見つめてくる。


「答えたくないならいい。でも、今から聞くことにはちゃんと答えて」


 私は、今日話そうと決めてきたことを聞くことにする。だが、電話で聞けなかったその話を口にする前に、宮城が先回りするように喋り出した。


「大学。舞香と同じところに行くから」


 素っ気ない声は、私が聞きたかったことの答えで望んでいた答えを告げる。


「じゃあ――」


 言いかけた言葉は、宮城に奪われる。

 はっきりと言えば、口を塞ぐようにキスをされた。


 宮城が私の腕を強く掴んできて、拾ったばかりの鞄が落ちる。


 卒業式を区切りにした約束はどうなるのか。

 口にするはずだった言葉は宮城に飲み込まれてしまう。


 唇に、柔らかいけれどある程度の硬さを持ったものが触れる。軽く押しつけられて唇を開くと、珍しく宮城の方から舌を入れてきた。舌先が触れて、私の腕を掴む宮城の手に力が入る。


 私から舌を絡ませると、手にさらに力が入った。


 ひねくれた態度ばかり取る宮城ではなく、こういう宮城だったらいいのに、と考えたことはある。でも、考えただけだ。大学に行っても会いたい宮城はこの宮城ではない。

 私は、ぴたりとくっついている宮城の体を押す。


「無理にしなくていいから」


 いつもの宮城がいい。

 卒業式から先の話をする宮城も、いつもの宮城ではなければ意味が無い。


「無理なんてしてない」


 宮城が私の首に触れる。

 指先が緩やかに首筋を撫でて、ペンダントのチェーンを掴む。そして、そのままずるずるとペンダントを引っ張り出した。


「卒業式が終わったら話があるから、これ、忘れずに持ってここに来て」


 そう言うと、宮城がぐいっとペンダントトップを引っ張った。


 痛い。

 さっきまで掴まれていた腕も、チェーンが食い込む首も酷く痛む。


「今日はもう帰って」


 そう言うと、落としっぱなしになっている私の鞄を宮城が拾う。


「これ」


 ぐいっと鞄を押しつけるように渡される。


「宮城、次はいつ私を呼ぶの?」

「次は卒業式のあと。それより前には呼ばない。だから、絶対に忘れないで来てよ」


 宮城が念を押すように言って、私の腕を引っ張る。腕は手加減をせずに引っ張られ、私はそのまま玄関から追い出される。


 バタンと扉が閉まる。


 いつもは下まで送ってくれる宮城が送ってくれない。


 こういうときは、あまり良いことが起こらない。

 私は小さくため息をついた。

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