夏休みの宮城
第182話
家へ向かう電車に揺られながら、ため息を一つつく。
宮城は今日、友だちと約束があると言って私がバイトに行く前に出かけてしまった。
別に家にいなくてもいいし、友だちと約束があってもいい。
私だって今日はバイトで家にいないし、友だちから誘われたら出かけることだってある。でも、宮城が家にいないと面白くないし、友だちが誰なのか気になる。
本当に誰なんだ。
宇都宮は地元に帰っていて、まだ戻ってきていない。
宮城に宇都宮以外の友だちがいることは知っているけれど、夏休みに一緒に出かけるほど仲が良い友だちの話は聞いたことがない。
今日は私の誕生日なのに。
私は窓の外を見る。
真夜中に『おたおめ』なんていうメッセージが届いて自分の誕生日が今日だと気がつくくらい誕生日なんてどうでもいいもので、生まれた日に特別な思いがあるわけではない。宮城が私の誕生日を祝ってくれるとも思っていない。そもそも私の誕生日なんて覚えていないだろうけれど、今日という日に宮城が私の知らない友だちと出かけていると思うと気持ちが際限なく沈んでいく。
誕生日なんていいものじゃないな。
はあ、と大きく息を吐いて電車から降りる。
私は街灯に照らされながら家へと向かう。
宮城は、夕飯は一緒に食べると言って出て行ったからもう家に帰っているはずだ。だから、もうすぐ会えるけれど「友だちってどんな人?」なんてつまらないことを聞いてしまいそうで楽しい気分にはならない。よりにもよって今日を友だちとの約束の日にした宮城にむかつく。八つ当たりだとわかっていても、文句を百個くらい言いたい気分になる。
こういう日はミケちゃんを撫でられたら気持ちが落ち着きそうだけれど、こういう日に限ってミケちゃんは出てこない。いや、よく考えればこの時間にミケちゃんが歩いていることはあまりない。
階段を上って三階、玄関のドアを開けると宮城の靴が目に入る。
どうやらちゃんと家へ帰ってきているらしい。
靴を脱いで共用スペースへ向かうと、宮城が落ち着かない様子でダイニングキッチンをうろうろしていた。
「ただいま。なにやってるの?」
私は冷蔵庫の前で立ち止まった宮城に声をかける。
「おかえり。なにもしてない」
「なにもしてないのにこんなところにいるから聞いてるんだけど」
宮城は用がなければ共用スペースにはいない。料理をしているわけでもなく、冷蔵庫からものを取り出すわけでもなく共用スペースにいる宮城というのはそれだけで珍しい。
「別になんでもないから、仙台さんは部屋――」
宮城の言葉を遮るようにチャイムが鳴って、私は反射的にインターホンのモニターを見る。
「誰かきた」
「私が出るから、仙台さんは部屋で待ってて」
「いいよ、私がでる」
「いい。私がでるから、仙台さんは部屋にいて」
慌てて宮城が近づいてきて私の肩を押す。そして、自分の部屋のドアを開けると、私を中に押し込んだ。
「え? あ、ちょっと」
心の準備ができていない。
部屋にいての“部屋”は私の部屋だろうと思っていたから、宮城の部屋に押し込まれるなんて予想外過ぎる。
「座って待ってて」
「座ってって、宮城!」
部屋の主に声をかけたけれど、宮城はドアを勢いよく閉めて部屋から出て行ってしまう。
「……雑過ぎない?」
ここに引っ越してきてから初めて宮城の部屋に入るのに、あまりにも適当だ。特別な演出がほしかったわけではないが、こんな風に勢いだけで部屋に放り込まれるのはなにか違う。初めて部屋に入るのだから、気持ちを整理する時間くらいはほしかった。雑過ぎて、感動よりも驚きが強い。
まあ、私たちらしいのかもしれない。
改まって部屋にどうぞなんて言われるよりは、こうしてなんとなく部屋に入る方が私たちには合っている。
私は部屋の中をぐるりと歩いて、本棚の前で足を止める。
高校の頃と雰囲気がそう変わらない部屋の中、あの頃よりもサイズの小さな本棚に黒猫のぬいぐるみが置かれている。水族館から帰る途中に宮城から黒猫も一緒に引っ越してきたと聞いたけれど、自分の目でその話が本当だったと確かめることができて思わずにやけそうになる。
私は黒猫を手に取って、頭を撫でる。
随分と久しぶりに触ったから手触りが前と同じかはわからないが、撫で心地がいい。
「良かったね」
黒猫とどことなく似ている宮城に可愛がられているであろうぬいぐるみに声をかけて、鼻先にキスをする。もう一度頭を撫でてからあるべき場所に黒猫を戻すと、ドアが開く音が聞こえた。
「なんで立ってるの。座っててって言ったじゃん」
「ごめん。黒猫見てた」
「ここに座って」
宮城がベッドの向かい側を指さしてから、テーブルにオレンジジュースが入ったグラスを二つ置く。
「ジュース? ご飯どうするの?」
私は言われた場所に座って、宮城に尋ねる。
「今日はここで食べるから、今から持ってくる」
「ここで?」
おかしい。
今まで開かずの間だった部屋に私を入れて、ここでご飯を食べると言いだす宮城は普通ではない。どこかに頭をぶつけたか、洗脳でもされたとしか思えない。
「悪い?」
不機嫌な声で言って、宮城が私をじっと見る。
「悪くないけど」
「悪くないなら、大人しく座ってて」
素っ気ない声で言われて、背中がむずむずする。
ありえないことばかりが起こって落ち着かなくて、私は部屋から出て行こうとする宮城を引き留める。
「そうだ、宮城。あとからクッキー食べる?」
「クッキー?」
「
花巻桔梗。
家庭教師の生徒で下の名前で呼ぶほど打ち解けた彼女は、手作りだというクッキーを誕生日プレゼントとして用意してくれていた。
「……食べない。仙台さんへのプレゼントなんだから自分で食べたら」
宮城が低い声で言って、部屋を出て行く。でも、すぐに戻ってくると小さなテーブルの上に大きなピザとチキンナゲットを置いて、私の向かい側に座った。
「……なんでピザ?」
私は頭の中からはみ出しかけた疑問を口に出す。
「さっき、自分で言ったじゃん」
「なに言ったっけ?」
「誕生日」
「誕生日?」
「仙台さんの誕生日でしょ、今日。だから、ピザ頼んだ」
「え。――えっ?」
宮城が予想もしていなかったことを言うから、言葉が出てこない。
「……誕生日おめでとう」
ぼそりと宮城が言って、私もぼんやりと言葉を返す。
「……ありがとう」
急に部屋が静かになって、私たちはどちらからともなく「いただきます」と呟いてピザに手を伸ばす。
いや、なに、なんで。
どうして宮城が私の誕生日にピザを用意して、おめでとうと言ってくれるんだろう。
わけがわからない。
誕生日は教えてあったのだからこういうことが起こっても不思議ではないのに、宮城がサプライズ的に私を祝うなんてことをしてくると、なにもかもが信じられなくなるから本当に困る。どんな顔をしていいかわからないし、嬉しいのに笑えない。
私はチーズがたっぷりのったピザを一口囓る。
美味しい。
――ような気がする。考えてもいなかったことが起こって、味がよくわからない。
「ケーキもあるから」
宮城がさらに私の頭になかったことを言う。
夏休みの宮城は寛容どころの騒ぎではない。
私に優しくする薬でも飲まされているのではないかと思う。
「買ってきたの?」
いろいろなことが一気に起こったせいで頭の中も感情も乱れていて、当たり前のことを聞いてしまう。
「誕生日だし」
「……もしかして、今日出かけてたのってケーキ買いに行ってた?」
「……そうだけど」
「そう言えばいいじゃん」
「言いたくなかった」
「なんで?」
「黙って行きたかっただけ。それなのに仙台さん、家からいなくならないし、バイトも夕方からだし」
宮城が責めるように言って、ピザを囓る。
「じゃあ、友だちと約束っていうのは?」
「なにかあった方が出かけやすいから友だちって言っただけ。一人で買いに行った」
誰かわからない友だちと出かけたわけじゃないとわかって、ほっとする。
「……口実作ってまで出かけたのって、私のためだよね?」
「……ルームメイトなら誕生日くらいお祝いするんじゃないの」
「そうだけど、意外だなって」
「ルームメイトだし、おかしくない」
「ルームメイトって強調しすぎじゃない?」
宮城にルームメイトという言葉が必要なことはわかっている。でも、強調されすぎるとルームメイトという関係から先へ進みたい私が顔を出しそうになる。
「そんなこと気にしてないで食べなよ」
宮城は平坦な声で言うと、新しいピザを手に取ってぱくりと食べた。表情は相変わらず不機嫌に近いもので、笑ったりはしない。
私はペンギンではないし、宮城にとってそう面白いものではないのかもしれないが、誕生日を祝ってくれるというならもう少し柔らかい表情を見たいと思う。
「食べるけど、できればもう少し楽しそうな顔をしてほしい」
ささやかな希望を伝えると、宮城が眉間に皺を寄せた。
「無理。言われてできるなら、もうしてる」
「まあ、確かに」
私は愛想の欠片もない宮城を見る。
こういうとき、にこにこと笑って私におめでとうなんて言う宮城は宮城とは思えないから、これくらいが丁度良いのかもしれない。宮城が私の誕生日を覚えていてくれて、わざわざピザを頼んでケーキまで買ってきて祝ってくれているのに、まだなにかを望むのは贅沢だ。
誕生日はこの先何度もやってくる。
後に取っておく楽しみがあってもいい。
私は笑わない宮城を見ながらピザを囓った。
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