今日の宮城がわからない
第318話
「志緒理ちゃんもようやくあたしの良さに気がついたか」
うん、うん、と頷きながら澪が言う。
友だちではあるけれど、できればこの家に呼びたくはなかった彼女は今日もテンションが高い。三月にこの家に来てからまた遊びに行きたいと何度も言っていた澪は、私の部屋で機嫌良く宮城の斜め前に座っている。
楽しい。
すごく楽しい。
すごくすごく楽しい。
テーブルにはお菓子と飲み物。
楽しくて楽しくて仕方がない午後のひととき。
私はそう思い込もうとしているけれど、気分が上がっていかない。それどころか下がっていく。宮城が澪を呼んでほしいと言い、それに従ったものの、水族館へ行ったときのようなうきうきとした気持ちにはなれない。
「苦節三ヶ月。……だっけ? なんかわかんないけど待ってて良かった」
澪が明るい声で言い、私はそんな彼女を見つめる。
本当に楽しそうで羨ましいくらいだと思う。
「今日は呼んでくれてありがとう! これからももっと呼んでね」
そう言うと、澪が前触れもなく宮城に抱きついた。
――は?
脳が現状を理解することを拒否する。
澪が、宮城に抱きついて。
宮城はそれを拒まない。
曖昧な笑顔で「澪さん、近い」なんて言っている。
同じことを私がしたら肩を叩いたり、押し返したりしてくるのに、宮城は嫌がらない。
私はスカートをぎゅっと掴んで、離す。
麦茶を飲む。
わかっている。
あれは外向きの顔で、澪を邪険に扱うわけにはいかないからだ。
でも、許せない。
今日の宮城は、私が選んだ服を着ている。文句は言っていたけれど、私にスカートとカットソーを選ばせてくれた。それだけで満足するべきだと思っていたが、やっぱり無理だ。
私は宮城だけのもので、宮城は私だけのものではないけれど、宮城に触れていいのは私だけで、宮城は私以外と接触してはいけない。避けられない事態であっても、避けなければいけない。不可能を可能にして、澪を拒んでほしい。
「志緒理、澪さんと仲いいね」
今日、澪とともにこの家に招かれた宇都宮がくすくすと笑う。
宮城の向かい側に座っている彼女はこの状況を楽しんでいるようで、澪と同じように機嫌が良さそうにしている。
たぶん、楽しくないのは私だけだ。
「違うから」
澪から逃れた宮城が力のない声で言い、サイダーをごくりと飲む。
「えー、志緒理ちゃん違うの?」
澪の大げさなくらい悲しそうな声が聞こえ、宮城の取り繕うような「え、あっ、そういうわけじゃ」という声が続く。私の斜め前にいる今日の宮城はどこまでいっても外面が良く、私を見ようとしない。
「宇都宮、ごめんね。澪が急に無理言って」
私はにこにことしている宇都宮に声をかける。
本来ならば、この家に来るのは澪だけのはずだった。けれど、その澪が「せっかくだし、志緒理ちゃんの友だちにも会いたい」と言いだし、宮城によって宇都宮が召喚された。
「ううん、暇だったから丁度良かった」
明るい笑顔が返ってくる。
澪だけが遊びに来るよりもマシではあるが、私には宇都宮が来ることにも消化できない思いがある。
宮城と仲の良い友だち。
それだけで私は宇都宮に対して、口には出さないほうがいい思いを持たずにはいられない。宮城との関係を無理矢理断ち切って、二度と結べないようにしたくなってくる。
もちろん宮城の大切な友人であり、私の友人でもある彼女に対して本当にそんなことをすることはないが、私の良くない部分を凝縮した泥水のような思いが心に溜まり続けている。
「葉月、今日静かすぎない?」
不思議そうな顔をして澪が私を見る。
「澪が元気良すぎて疲れた」
「もう? あたし、さっき来たところなんだけど」
「十時間くらいこの家にいるみたいな気がする」
「それだけこの部屋に馴染んだってことか」
脳天気としか言いようのない声で澪が言い、けらけらと笑う。
「そんなことは言ってない」
「ほんと葉月って冷たいよね」
澪が、はあ、と大げさにため息をつき、私は「澪には冷たいくらいが丁度いいから」と返す。すると、宇都宮が興味深そうに言った。
「仙台さん、高校の頃と違うね」
「そうかな? そんなに違う?」
「かなりイメージが違う。ね、志緒理?」
「うん、違う。茨木さんが見たら驚くと思う」
真面目な声で宮城が言って、宇都宮が頷く。
「まあ、羽美奈と一緒のときとは違うかもね」
高校生だった頃の私は、意図的に羽美奈に合わせていた。それが高校生活を楽しく過ごす方法で、少し不自由であったとしてもそうすることが最良だと思っていた。
今は、あの頃と同じような自分であろうとしていない。
「あー、あたしにわからない話で盛り上がってる。仲間に入れてよー」
澪が芝居がかった口調で拗ねたように言う。そして、思い出したように「ところで志緒理ちゃん。急にあたしに会いたくなったのってなんで?」と続けた。
「久しぶりに会いたいなって思ったから」
用意していたかのように宮城が言って、サイダーを飲む。
嘘だとしか思えない。
以前、澪がこの家に遊びに来たいと言っていると伝えたときは、露骨に嫌がっていた。そんな彼女が久しぶりに会いたいなんて思いを抱き、自分から澪をこの家に呼びたがるはずがない。
はっきり言って胡散臭い。だが、聞いても本当だとは思えないことしか言わないだろうから、問い詰めても無駄だと思う。
「あたしも志緒理ちゃんに会いたかった!」
そう言うと、澪がまた宮城に抱きつこうとするから私は澪の腕を引っ張った。
「澪、すぐに抱きつかないの」
「出た。過保護な葉月ママ」
くだらないことを言う澪に「ママじゃないから」と返して手を離す。
「そうだよね、ママなら子どもを言い訳の道具に使わないよね。キスマークつけたの志緒理ちゃんだなんてさ」
宮城に抱きつくことを諦めた澪がにやりと笑い、宇都宮が「キスマーク?」と反応する。
呼ぶんじゃなかった。
宮城にどれだけ言われても拒否すべきだった。こういうことになることはわかりきっていたことで、私は激しく後悔する。
「そう、キスマーク。葉月、大学にキスマークつけてきたんだよね。志緒理ちゃん、葉月にキスマークつけた相手知らない?」
今すぐ澪の口にガムテープを貼って、防音室に放り込みたい。
そして、鍵を閉めて、その鍵は澪が出られないように海に投げ捨てたい。
「仙台さん、彼氏いるの?」
問いかけられた宮城ではなく、宇都宮が私に聞いてくる。
「いない」
「葉月。いるでしょ、彼氏。舞香ちゃんも疑ってるじゃん」
当然のように宇都宮を“舞香ちゃん”と呼ぶ澪が、私を見た。
「いないって何度も言ってるでしょ」
「わかった。じゃあ、志緒理ちゃんに質問」
まったくわかっていない澪が宮城のほうを向く。
「葉月に聞いても志緒理ちゃんにつけられたなんて一秒でバレる嘘言うしさ、葉月に彼氏いるならこっそり教えてよ」
ひそひそと内緒話という体で、でも、それなりの大きさの声で澪が言うと、宮城が眉間に皺を寄せる。でも、それは一瞬で、眉間の皺をすぐに消した宮城が私を見た。
「……仙台さん、彼氏いるの?」
「いないって知ってるでしょ。あと、澪。彼氏できたら報告するから待ってて」
「ふむ。信じてあげよう。で、葉月。彼氏はどこの誰?」
くすくすと笑いながら澪が言う。
私はわざとらしく「はあ」とため息をついてから、「あれは油が飛んだだけだから」と告げる。
「やけどか。ま、そういうことにしておこうか」
満足そうに澪が言い、宇都宮が「志緒理、あとから詳しい話聞かせてよ」と悪戯っぽく笑う。
なんなんだ、これは。
最低で最悪だ。
宮城はなにを考えて澪を呼べなんて言ったのだろう。
まったくわからない。
宮城だって楽しそうというよりは困っている。
この先が思いやられる。
私は出そうになるため息を飲み込んだ。
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