第16話

 春休みはそう長くない。

 いつもあっという間に終わってしまう。

 それなのに、今年は酷く長く感じた。いつもと変わらない休みを過ごしたはずなのに、時計がなかなか進まなかった。


 遠かった四月がやってきて、新学期。

 今日は少し緊張している。

 学校へ向かう足が重い。


 校内で仙台さんと話すことはないけれど、彼女と会ったときにどういう顔をしていいかわからずにいる。四月につきもののクラス替えのせいで、彼女の顔を見ることができるかどうかもわからない。

 私は、気持ちを落ち着かせることができずにそわそわしていた。


 新しいクラスは、昇降口の入り口に貼ってある名簿でわかる。

 校門を通って少し歩くと、人だかりの向こうにそれほど大きくない白い紙が見える。


 すう、はあ。


 目立たないように深呼吸をしてから名簿を確認すると、知っている名前と知らない名前に混じって自分の名前を見つけることができた。けれど、そこには仙台さんの名前はなかった。


 期待していたわけじゃない。

 がっかりなんかしていない。


 心の中で呟いて、今までは少し偉そうな先輩たちがいた校舎に向かう。新しいクラスの扉を開けると、春休み中に何度も会った舞香がいた。


「志緒理、こっち!」


 私の名前を呼ぶ舞香に手を挙げて応え、彼女が座る席へと歩く。


「おはよ」

「おはよ。志緒理と違うクラスになったらどうしようかと思った」

「私も」

「見た? 今年は亜美も一緒」


 一年生のときは同じクラスだったものの、二年でクラスがわかれた白川亜美の名前も名簿に並んでいた。私はまた同じクラスになれた喜びを分かち合うべく、彼女の姿を探すが見つからない。


「見たよ。亜美はまだなんだ?」

「まだみたい」

「そっか」


 亜美がいないのなら、教室の中に探さなければならない人はもういない。それなのに、私の目は仙台さんの姿を見つけようとしていた。でも、見つかるはずなんてない。名簿に名前がなかったのだから、いるほうがおかしいのだ。


「お、誰か同じクラスになりたい人いた?」


 きょろきょろと教室の中を見回していた私を真似するように、舞香が周りの席を見る。


「いないよ」

「えー、今誰か探してたじゃん。もしかして好きな人と同じクラスになったとか?」


 冷やかすように舞香が言う。


「そういうのじゃないし、そういう人いないもん。どんな人がいるのかなーって見てただけ」

「あやしいなー」

「あやしくない」


 疑いの眼差しを向ける舞香に「何でもないからね」と念を押して、小さく息を吐く。


 違うクラスになったら、仙台さんとはこれっきり。

 春休みに思いついた“小さな賭け”に従うのも悪くないのかもしれないと思う。


 仙台さんが私の家に来るようになったのは運命なんかじゃなくて、ただの偶然に気まぐれが乗った結果だ。偶然も気まぐれも長く続くようなものではないから、クラス替えが区切りになるのかもしれなかった。それに、自分のしたことを考えると仙台さんには会いにくい。


 少し憂鬱な気分になるのは、この間まで当たり前にあった顔が教室にないからだけで深い意味はないはずだ。これは嫌なことじゃないし、仙台さんを呼び出す理由にはならない。


 新しい教室に亜美が来て、それからしばらくして先生が来る。眠くなるような話を聞いて始業式をすませたら、新学期の始まりの日はすぐに終わってしまう。


 舞香と亜美に寄り道をしようと誘われたけれど、それを断ってまっすぐに家へ帰る。

 私は制服のままベッドに寝転んで、スマホを見る。


 小さな入れ物に入った仙台さんの連絡先を消すほどのことは起こっていない。でも、もう用のないものだ。

 彼女もきっとクラスがわかれた私のことなんて、すぐに忘れる。


 だから、仙台さんには連絡しなくていい。


 一学期が始まって三日もすれば嫌なことの一つや二つあるもので、思わずスマホに手が伸びた。けれど、五日もすればスマホを見ずにすむようになった。


 違うクラスになったら疎遠になったなんて、よくある話だ。


 仙台さんに連絡をしないと決めてから一週間が経って、初めてこの部屋に来た彼女に読ませた漫画を手に取る。


 あの日、漫画をすらすらと読み上げるのかと思ったら、恐ろしく棒読みだったことを思い出す。本棚の前でぺらぺらとページをめくっていくと、この台詞の声が小さかったとか、言いにくそうだったとかそんな記憶も蘇る。


 私は、ため息をついてベッドに座り込む。

 漫画を閉じて枕元に置くと、インターホンが鳴った。


 宅急便が来る予定はない。

 誰かが尋ねてくる予定もない。

 ということは、エントランスにいるのはセールスか何かだ。わざわざ出るほどのものではないから放っておくことにして、テレビを付ける。けれど、インターホンが何度も鳴る。


 しつこいな。


 粘り強いセールスにテレビのボリュームを上げると、今度はスマホが鳴った。

 それはメッセージの着信音で、私はテーブルの上からスマホを取る。画面を見ると、そこには仙台さんの名前とメッセージが表示されていた。


『インターホン出て。いるんでしょ』


 メッセージの内容から、インターホンを鳴らしている人物が仙台さんだとわかる。


 私からメッセージを送って、仙台さんがそれに返す。


 そう決めたわけではないけれど、それがルールのようなものになっていた。だから、今まで私が送る前に彼女からメッセージを送ってきたことはなかったし、勝手に訪ねてきたこともなかった。


『用事があるからインターホンに出てってば』


 呆然とスマホの画面を見ていると、新たなメッセージが届く。そして、インターホンがまた鳴る。小学生の悪戯のように何度もチャイムが鳴り響き、私はテレビを消して立ち上がる。リビングへ行ってインターホンのモニターを見ると、予想通り仙台さんの姿が映っていた。ただ、呼んでもいない彼女がエントランスにいる理由はわからない。


「なにしにきたの?」


 インターホンを通して話しかける。


「スマホ見たでしょ。ここのドア、開けて欲しいんだけど」


 久々に聞く仙台さんの声に、どくん、と心臓が鳴る。

 けれど、彼女のためにドアを開けるつもりはない。


「やだ」

「返したいものあるから、開けてよ」

「返したいもの?」

「そう。だから、ドア開けて」


 苛々とした声で仙台さんが言う。

 それでも、表情はかわっていない。

 外にいるせいか、学校にいる仙台さんのままだ。


「返したいものってなに?」

「この前借りた服。洗濯してあるから」


 借りた服という言葉を聞いて、思い出す。

 サイダーで彼女のブラウスを濡らした日、かわりに着て帰るものとして服をあげた。そう、貸したのではなくあげた。仙台さんにも、間違いなくあげると言ったはずだ。


 まあ、彼女はもらうつもりがなかったようで、「ちゃんと返す」と宣言をしていたけれど。


 無駄に律儀な仙台さんは、少し面倒な人だ。私はあげると言ったものを返してもらうつもりはないし、前言を撤回するつもりもない。


「返さなくていいって言ったじゃん。それに、今日呼んでないんだけど」

「呼ばれないから来たの」

「なんで」

「借りっぱなしとかやだから」


 仙台さんがきっぱりと言い切る。

 彼女の友だちの茨木さんだったら、あげると言ったら素直にもらうに違いないだろうけれど、仙台さんはそういうタイプではないらしい。本屋で彼女に五千円を渡したときも、あげる、返すで言い争いになった。


「この前も言ったけど、あげる。返さなくていい」


 たぶん、仙台さんはこのくらいで引き下がったりしない。


 面倒だ。


 このまま話し合いを続けても交わる部分を見つけられることはないだろうから、私はインターホンを切ってしまうことにする。けれど、通話を切ってしまう前に仙台さんが予想もしないことを言った。


「じゃあ、命令しなよ」

「……え?」

「命令すればいいでしょって言ってるの」

「意味がわからないんだけど」

「理由もないのに、服なんてもらえないから。だから、あげるっていうならもらえって命令すればいいし、それが嫌ならいつもみたいにかわりに何か命令すれば」


 何でもないことのように仙台さんが言う。

 確かに、五千円の対価として彼女に命令をしていた。それを考えれば、服と命令を引き換えにするというのはそれほどおかしな話ではない。でも、命令しろと言われて命令するのも癪に障る。


「なんでたかが服一枚で命令しなきゃいけないの。あげるって言ってるんだから、素直にもらえばいいじゃん。それで、帰って」

「帰ったら、もう来ないけど良いの?」


 私が仙台さんを引き留める。

 インターホンから聞こえてきたのは、そういう自信がある声じゃなかった。どちらかと言えば、苛々を通り越して怒ったような声だった。

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