夏休みの仙台さん
第179話
週三回で五千円。
去年の夏休みは、突然そんなことを言いだした仙台さんに勉強を教えてもらっていた。
月曜、水曜、金曜日。
あのときほぼ一日置きに家に来ていた仙台さんは今年、毎日私の隣にいる。五千円がなくても、勉強を教えるという理由がなくても、家にいておはようとおやすみを言ってくれる。家族ではないし、友だちでもないけれど、私が毎日見るものの一つになっていて、今日も視界の範囲内にいる。
「宮城、ちょっと休憩しない?」
二人で海外のドラマシリーズを見始めてから三時間ちょっと。
隣から少し疲れた声、と言うより画面を見ることに飽きてきたような声が聞こえてくる。
「もう一話見てから」
三時間は長いけれど、まだシーズン1の途中だからドラマの先の方が長い。続きも気になるし、休憩するには早いと思う。
「じゃあ、宮城見てて」
二人で見ようと言って選んだドラマなのに、仙台さんが無責任なことを言ってベッドにごろりと横になる。
「見ててって。そんなことしたらストーリーわかんなくなるじゃん」
「大丈夫、大丈夫。あとから宮城に教えてもらうから」
仙台さんがベッドの上からだらしない格好で言う。
ここは仙台さんの部屋だから彼女がゴロゴロしていようが、バタバタしていようがかまわないけれど、一緒に見ると言ったドラマを一人で見てと言われると話が変わる。
「やだ、教えない。そんなところにいないで自分でちゃんと見てよ」
「もう疲れた」
「飽きただけでしょ」
「飽きてはいないけど、ずっと座ってるの疲れる。そうだ、気分転換に出かけない?」
「仙台さん、すぐ外に行きたがる。この前、水族館行ったし、もう出かけなくていいじゃん」
二人で出かけるという約束は、数日前に果たした。動物園ともう一度水族館へ行くという約束もしたけれど、動物園は秋に行くという話だし、水族館へ行く日はまだ決めていない。
「せっかくの夏休みなんだし、もっと夏っぽいこともしようよ。二人で出かけるの楽しいしさ」
「やだ。大体、夏っぽいことってなに」
どこへ行きたいのか知らないが、もう夕方だ。この時間からわざわざ行かなければならない場所があるとは思えない。そして、夏休みだから夏らしいことをしなければいけないわけでもない。
「プールに行くとか、花火見に行くとか?」
「プールに行くような時間じゃないし、今日、花火やってないじゃん。この前も温泉旅行行きたいとか、ほんと適当なことしか言わないよね。どこか行きたいなら真面目に考えてよ」
「じゃあ、アイス買いに行くのは?」
「それもこの前言ったし、行った」
「なら、ご飯でも食べに行く?」
夏らしいことをしなくても、この部屋にいるだけで十分だと思う。
一人でいることに慣れてはいても一人でいることが好きなわけじゃない私はずっと長い休みが嫌いだったけれど、仙台さんがいる今は長い休みも悪くないと思えるし、楽しいことがありそうだと思える。
でも、今から出かけたくはない。
「行かない。漫画読む。仙台さんはそこで休んでれば」
私は仙台さんの提案を却下して、流れ続けているドラマを止めてから自分のスマホを手に取って電子書籍を一冊選んで開く。ベッドを背もたれにしてページをめくっていると、後ろから髪を引っ張られる。
「宮城」
仙台さんの声が頭の上から降ってくる。
どうやら彼女はゴロゴロすることをやめて、起き上がったらしい。
「なに?」
私はスマホから目を離さずに答える。
「暇」
「暇ならドラマの続き見る?」
「見ない」
力ない答えとともに、また髪が引っ張られる。それも一度じゃない。仙台さんは私の髪を束にして何度かきゅっと引っ張り、静かに触り続ける。
「なにしてるの?」
ページをめくりながら尋ねると「三つ編み」と返ってきて、そこで私は彼女が三つ編みを作ってはほどくという生産性がまったくない作業を続けていることに初めて気がつく。
「面白い?」
「結構ね」
どの辺が面白いのかわからないけれど、本を読む邪魔にはならないし、仙台さんには楽しい作業らしいから放っておく。
何度か読んだ漫画はページをめくらなくても次の台詞が頭に浮かぶけれど、ページをめくる。
スマホの小さな画面の中、ストーリーが進んでいく。
仙台さんの手が髪だけではなく、ときどき耳や首筋に触れてくる。
私はページをめくり続ける。
めくったページの枚数に比例するように、仙台さんの手が耳や首筋に触れている時間が増えていく。毛先からは感じることができない体温が伝わってきて心地良い。目に映っていなくても、仙台さんを感じることができる。
「宮城もこっち来れば」
三つ編みに飽きたらしい仙台さんが静かに言って、私の頭のてっぺんにキスをする。
「行かない。仙台さん変なことしそうだし」
「宮城はしてほしくないの?」
「してほしくない」
私はスマホをテーブルの上に置いて、でも、仙台さんには背中を向けたまま答える。
「今日なら、わけわからなくなってもいいでしょ」
耳元で囁かれて、仙台さんの頭を押し離す。
この前のことを持ち出すのは反則だ。
私は逃げ出したくなる気持ちをぐっと抑える。
水族館が考えていた以上に楽しかったから、思ったことを少しだけでも伝えようと努力したけれど、努力しすぎたかもしれない。言わなくてもいいことまで言ってしまった気がする。
「いいわけないじゃん」
「じゃあ、いつまで待てばいい?」
仙台さんが柔らかな声で言う。
「ずっと待ってて」
「宮城は私がずっと待てると思う?」
「待てるように努力しなよ」
「宮城、するの嫌いなわけじゃないよね?」
仙台さんは努力するとは言わずに、新たな質問をぶつけてくる。
答えたくない。
嫌いじゃないと言えばしてもいいと言ったようになるだろうし、嫌いだと言えば仙台さんはきっともう私には触れてこないだろうからどちらも口にしたくない。
「宮城」
仙台さんの手が私の髪を梳く。
そして、耳の裏に指を這わせ、首筋を撫でてくる。
「仙台さん、鬱陶しい」
緩やかに触れ続ける手をぺしんと叩くと抵抗することなく手が離れて、後ろからぽすんっという音が聞こえてくる。ベッドの方に体を向けると、仙台さんが横になっていた。
「待ってるから大丈夫」
そう言うと、仙台さんが私を安心させるようににこりと笑う。でも、言葉と行動は伴っていない。引っ込めたばかりの手は伸ばされ、私の顎に触れる。指先は首筋を滑り落ち、鎖骨で止まる。
「大丈夫じゃないじゃん」
私は、放っておけばTシャツの中に入り込んできそうな手を捕まえる。
仙台さんは「待ってる」と言っているけれど、こんなのは「今したい」と言っているのと同じだ。
「宮城の体、触りたいだけだから。この先は、許してくれるまでしない」
仙台さんは羞恥心がないのかもしれない。
こういうことを恥ずかしげもなく言ってくる。
この前もどれくらい気持ちがいいか聞いた私に、自分でしているとわかることを口にしたり、どうかしている。
普通はあんなこと、言ったりしない。
おかげで私は、彼女があれからしたのかなんてことが気になることがある。もちろん、口に出しにくい話題だから聞いたことはないが、聞いたら答えてくれるのか知りたいとも思う。
「触らないでよ、本読むから」
私は鎖骨の上にある手をべりべりと剥がす。
「触ってないと寒いし」
仙台さんが適当なことを言って剥がしたばかりの手を伸ばそうとしてくるから、その手を捕まえて私の手でベッドの上に封印しておく。
「寒くないじゃん。仙台さん、暑いでしょ」
ベッドの上、重ねた手が彼女の体温で熱い。
私にとって寒いくらいの部屋が好きなくせに、最近ずっとこの部屋は私に合わせた温度に保たれている。今日も私が過ごしやすい温度になっているから、仙台さんが寒いはずがない。
「そうだね。暑いし、リモコン取って。寒くする」
「寒くじゃなくて涼しくするんじゃないの、普通」
「宮城が私にくっつきたくなるくらいの温度にしようかなって」
「仙台さん、馬鹿みたいなこと言ってないで黙っててよ」
私は仙台さんの手を解放して、彼女の唇に指先で触れて軽く押す。口を塞いだわけではないけれど、仙台さんが静かになる。
彼女の唇が薄く開く。
中へ指を押し込むと、舌がまとわりついてくる。
指が濡れて、仙台さんの熱をはっきりと感じる。
第一関節と第二関節の間。
歯が立てられる。
甘噛みだから痛くはない。
緩く力が入って、抜けてを繰り返す。
押しつけられた舌の生暖かさと、断続的に感じる歯の硬さが気持ちいい。
指をゆっくりと引き抜いて、見る。
濡れた指は、あのときの記憶を蘇らせる。
仙台さんに私から触れた日。
この指は別のもので濡れていた。
「宮城」
仙台さんの声が聞こえる。
でも、返事をせずにいると、彼女はベッドから下りて私の隣に座った。
「指、拭いてあげる」
そう言うと、仙台さんがカモノハシの背中からティッシュを取って私の指を拭ってしまう。
「宮城、今エロいこと考えてたでしょ」
「考えてない」
「ほんとに?」
「ほんとに。エロいのは仙台さんじゃん」
私はカモノハシを手に取って、仙台さんの太ももをべしんと叩いた。
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