第366話

 考えて、考えて、考えて。

 考え続けて、今日までに用意するべきものを用意した。


 でも、脳内で続いていた会議には、どうしても結論が出なかったものが一つある。


 ――私は今日、なにを着ればいいのだろう。


 誕生日に「綺麗な格好して」と宮城に言われてから考えているけれど、彼女からそんなことを言われたことがなかったから当日になっても“綺麗な格好”がどんなものかまったくわからない。


 彼女が好みそうな服を着たいが、それもわからないからベッドの上に洋服を並べて頭を抱えることになっている。


 今日は私の好みを考慮していない。

 考えているのは宮城の好みだけだ。

 だから、ずっと悩み続けている。


 露出度が高い服を着ればいい、という単純な問題ではないことはわかる。宮城は、私の体が見たければ服を脱げと命じる。


 今回は服を脱いだ状態で“綺麗な格好”という言葉が出てきたのだから、望まれているのは体を覆う布が少ない服というわけではないだろうし、私自身もそういった服を着たいとは思わない。


 となると、宮城の言う“綺麗な格好”というものがまったくわからなくなる。そもそも今までこんなことを頼まれたことがないし、命じられたこともない。


「……いつもとは違う服がいいかな」


 私はベッドの上に置いたワンピースに視線をやる。


 普段着ているような服を着てほしいなら、もっと具体的に言ってきそうな気がする。だったら、ルームシェアをしてからほとんど着たことのないワンピースを着たら喜んでくれるかもしれないと思う。


 問題は、この季節に着ることができるワンピースがベッドの上の二着だけだということだ。しかも家で着るには“よそ行き”過ぎる気がする。


 どうしよう。


 私はこめかみを人差し指でぐりぐりと押して、宮城からもらったピアスよりも薄い青色が使われたワンピースを体に当ててみる。


 鏡に自分を映してみるが、あまり着ない服のせいかこれで良いとは思えない。正確に言えば自信がないということになるが、ほかの服にしたところでそれが良いとも思えないだろうからこの服に決める。


 お酒は昨日、用意した。

 ケーキは、お昼を食べたあとに買ってきた。

 これから夕食の用意をする。


 着替えるにはまだ早いから、ワンピースを一度しまって部屋を出る。

 今日は休みで時間がたくさんあるけれど、無限ではない。


 宮城の部屋の前へ行き、ドアを二回ノックする。すぐに彼女が顔を出して「料理?」と聞いてくる。


「そ、料理。今から作るし、手伝って」

「仙台さん、ほんとにポテトサラダ作るの?」

「作るよ。あと帆立貝のカルパッチョ」

「どっちも買ってきたほうが楽じゃん」

「そうだけど、作るって約束でしょ」

「約束したけど……」


 不満そうな声が聞こえてくるが、予定を変更するつもりはない。もう一つのメニューである唐揚げは買ってきたもので妥協したし、デザートのゼリーも買ってきたもので妥協した。かなり譲歩して作るものを減らしているのだから、宮城も譲歩すべきだと思う。


「面倒でも作り始めたら楽しくなるから」

「……なにすればいいの?」


 仕方がなさそうに宮城が部屋から出てきて私を見る。


「じゃがいもの皮、剥いて」


 笑顔を作って答えると、酷く面倒くさそうな顔をされる。

 でも、どんな顔をされても未来を変えるつもりはない。


 私たちはキッチンに二人で立つ。


 宮城にピーラーとじゃがいもを渡し、皮を剥いてもらう。

 私は包丁を持ち、皮が剥かれたじゃがいもを適当な大きさに切って鍋に放り込む。


 じゃがいもは水から茹でて、木べらで潰す。

 きゅうりとハムを切っている間に、宮城にゆで卵を作ってもらう。


「ポテトサラダって食べるの一瞬だけど、作るの面倒くさい」


 卵の監視に飽きたのか、宮城が私の手元を見ながら言う。


「どんなものでもそうでしょ」

「そうだけど、メインの食べ物じゃないのに作るのものすごく面倒くさいじゃん。ポテトサラダって」

「それ、メインの食べ物だったら、どんなに作るのが面倒でも文句言わないってこと?」

「……そうじゃない」


 どうやら宮城は、メインの食べ物でも面倒なら文句は言いたいらしい。


 けれど、私は知っている。

 宮城は手間がかからない食べ物でも作るのは面倒だと思う人間で、文句を言うことを忘れない。


「ゆで卵、できた」


 低い声で宮城が言い、私は卵を流水で冷やす。


「あのさ、宮城。今日、可愛い格好したくない?」


 じゃがいももゆで卵も関係のない話をする。


「しない」


 素っ気ない声が返ってきて、「そっか」と答える。


 今日の主役は宮城だから、彼女の意見を尊重すべきだ。

 宮城が今日を楽しく過ごせるように好きなものを着ればいいと思う。


 それでも、もしかしたら宮城が可愛い格好をしたいと思うかもなんて考えが消えず、聞いてしまったけれど。


「宮城。マヨネーズと粒マスタード用意して」

「もってくる」


 宮城が冷蔵庫の前へ行き、私は冷えたゆで卵の皮を剥いて包丁で粗く刻む。じゃがいもが入ったボウルにきゅうりとハム、ゆで卵を入れて、宮城が持ってきたマヨネーズと粒マスタードで和え、塩とコショウで味を調える。


 味見をすると、想像以上に美味しい。


「宮城も食べてみる?」


 スプーンでできたばかりのポテトサラダをすくって宮城の前に差し出すが、口は開かない。


「宮城」


 あーん、とは言わずに、唇にちょんっとスプーンをくっつけると、低い声が飛んでくる。


「自分で食べるから、スプーン貸して」

「いいじゃん、口開けなよ」

「やだ。自分で食べる」


 宮城が私からスプーンを奪い、ぱくりとポテトサラダを食べる。


「どう? 美味しい?」

「美味しい」


 ぼそり言って、宮城が私を見た。


「……仙台さんは今日、ずっとその格好なの?」


 大きくはないけれど、小さくもない声で宮城が言う。


「さあ、どうだろ」


 にこりと笑って答えると、宮城がなにか言いかけてやめる。


 彼女にまた「綺麗な格好して」と言ってほしかったけれど、言ってはくれないらしい。

 宮城がケチだということはよく知っているが、今日も彼女は期待を裏切らない。


 私は宮城の耳を飾るプルメリアのピアスに触れる。


「大丈夫。約束は守るから」

「最初からそう言えばいいじゃん。意地悪するのやめてよ」

「意地悪したつもりじゃなかったんだけど、ごめん」


 素直に謝って、ポテトサラダを冷蔵庫に入れる。


「じゃあ、宮城。帆立貝のカルパッチョ、作ろっか」

「面倒くさい」


 本当に宮城は期待を裏切らない。


「簡単だから」


 帆立貝のカルパッチョはそんなに面倒なものではないから、この言葉に嘘はない。

 宮城にお皿を用意してもらい、トマトとホタテを切る。それをお皿に並べ、冷蔵庫に入れる。


 カルパッチョは、塩とコショウを振って、レモン汁とオリーブオイルを回しかけてできあがるものだけれど、それはあとからやることにする。唐揚げを温めるのももう少しあとの話だ。


 何故なら今日は、まだすることがある。


「じゃあ、一度部屋に戻って、七時にここに集合ね」


 宮城に告げて、彼女のピアスにキスをする。


「七時に集合ってなに。結構時間あるじゃん。大体、部屋に戻る必要ないし、私ここにいるから、仙台さん早く着替えてきてよ」

「集合したほうがイベントっぽいでしょ」


 手っ取り早く進めるなら、宮城にここにいてもらって、着替えが終わり次第戻ってきたほうがいい。でも、誕生日という特別な日にそれは味気ない。


「……そうだけど」

「じゃあ、七時までお互い自分の部屋で待機ね」

「仙台さんって、変なことするよね」

「変なほうが記憶に残るでしょ。誕生日だし、いつもとは違ったことしたいじゃん」

「大げさにしなくていい」


 宮城が私の足を軽く踏み、小さな声で言った。

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