第243話
「宮城、寒くない?」
ミケちゃんを見かける場所を通り過ぎて、隣を見る。
「大丈夫」
鼻の頭を赤くした宮城が素っ気ない声で言う。
天気は良いし、気温も高い。
でも、それは冬の範疇での話だ。
空の青さも太陽の眩しさも夏に比べると頼りない。
どんなに暖かい格好をしていても、駅へ向かう私たちの頬を撫でる風は冷たく、弱々しい太陽の光では寒さを完全に打ち消すことはできない。もっと暖かいなにかが必要だと思う。
「コンビニで使い捨てカイロ買っていこうか?」
頭に浮かんだ暖かそうなものを口にすると、マフラーと手袋をしていても寒そうに見える宮城が呆れたように言った。
「仙台さん、そんなに寒いならポニーテールやめとけば良かったのに」
「私じゃなくて宮城が使いたいかと思って」
「大丈夫だって言ってるじゃん」
白い息を吐いて、宮城が歩くスピードを上げる。合わせてスピードを上げると、頭の後ろでポニーテールが揺れて首がすうすうする。冬向きのヘアスタイルではないし、少し寒いけれど、青いピアスが良く見えるこの髪型は気に入っている。
「仙台さんって、最後に動物園行ったのいつ?」
宮城が私を見ずに言う。
「小学生の頃。五年生か、六年生だったかな」
「前に家族で動物園に行ったって言ってたけど、それ?」
水族館の帰り道に私がした話を宮城は覚えていてくれたらしい。
「そう。宮城は?」
前を向いている彼女を見るけれど、耳は見えない。
私のように耳を出してくれたらピアスが見えるのにと思うけれど、そんなことをしたら風邪をひきそうだとも思う。
「小学校の遠足で行った」
「友だちとは行かなかったの?」
「動物園って友だちと行くの?」
「……あんまり行かないかも」
一般的な話はわからない。でも、友だちと動物園へ行ったこともなければ行こうと話したこともないから、私と宮城に限って言えば動物園という場所は友だちと行くところではない。
そう考えると、動物園は友だちではない私たちが出かける場所としてぴったりなのかもしれない。
家族ではない私たちが学校の行事としてではなく、動物園へ遊びに行く。
そういうことに特別な意味があるように思えてくる。
「そうだ、宮城。今日は写真撮ってもいいでしょ?」
「やだ」
間髪をいれずに否定の言葉が返ってくるが、私の中で宮城の写真を撮ることは決定事項だ。黙って写真を撮ったら消す消さないで言い争いになりそうだから承諾を得るという行為を挟んだだけで、嫌だという返事を私が受け入れることはない。
「動物の写真、撮らないの?」
私を見ずに真っ直ぐ前を向いて歩き続ける宮城に問いかける。
「さっきのって、動物の写真撮ってもいいって許可?」
「ハシビロコウの写真撮るのかと思ったけど、撮らないの?」
「……撮りたいけど」
「じゃあ、動物撮るおまけに人間も撮ろうよ」
「おまけ、いらないし。動物だけでいいじゃん」
「人間も動物だからいいでしょ」
「仙台さん、どうしてこういうときだけ大雑把なの」
宮城が眉間に皺を寄せて私を見る。
「いいじゃん」
今日という日をスマホに保存しておきたい。
いつでも好きなときに今日を振り返ることができるようにしておきたいと思う。
「……おまけならいい」
ぼそりと宮城が言って、さらに足を速める。
すたすたと先へ行こうとする彼女に歩調を合わせると、一人で歩くときよりも速く景色が流れる。青空の下、ミケちゃんは現れず、私たちは駅に着く。改札を通って、タイミング良くやってきた電車に乗る。
「最初になに見る?」
うるさくはないけれど静かでもない電車に揺られながら、宮城に尋ねる。
「なんでもいい」
「全部見る時間あるかわからないし、ゾウからトラへ行っていろいろ見ながら、ペンギンとハシビロコウがいるところに向かおうか」
頭に園内マップを浮かべながら、あらかじめ決めておいたルートを告げる。
「仙台さんにまかせる」
予想通りの言葉に「まかせて」と答える。そのままたわいもない話をしていると目的の駅に着く。電車を降りて五分ほど歩くと動物園の門が見えてきて、私たちは入園料を払って中へ入る。順路は頭に入っているけれど、園内マップ付きのパンフレットをもらってからゾウがいる場所へと向かう。
園内は冬だというのにそれなりに人がいて、混んでいる。冬休みが偉大なのか、動物好きが多いのかはわからないが賑やかで、楽しそうな雰囲気が漂っている。
隣を歩いている宮城も不機嫌な顔はしていない。
でも、彼女はゾウがそれほど好きではないようで、ゾウの前に辿り着いてすぐに近くにいたプレーリードッグの方へ向かって行った。あまり珍しい動物ではないはずだと思うけれど、ゾウよりも好きらしい。
私は鞄からスマホを取りだして、プレーリードッグを見ている宮城の写真を一枚撮る。
カシャリという音に反応して宮城が私を見たから、草を食べているプレーリードッグにカメラを向けて写真を撮る。そして、いつでも宮城を撮れるようにスマホをコートのポケットにしまう。
「向こうにカワウソいるよ」
にこりと笑って、宮城に告げる。
「行く」
そう言うと、宮城はキジは素通りしてカワウソの前で立ち止まり、スマホを鞄から取り出した。
私の写真は撮らないのにカワウソの写真を何枚か撮り、歩きだす。
ゾウとキジにはそれほど興味がなく、プレーリードッグはゾウとキジよりは好きそうだけれど写真を撮るほどではなくて、カワウソは写真を撮るほど好き。
宮城の好みがまったくわからない。
唯一はっきりしているのは、私は写真をわざわざ撮るほどの存在ではないということだ。
写真を撮ってもらいたいわけではないが、カワウソに負けているような気がして釈然としない。
「仙台さん、トラ」
隣を歩いていた宮城が足を止めて、少し先を指差す。
「結構広いところにいるね」
彼女の人差し指の先、草や木が生い茂った森のような場所をトラがのしのしと歩いている。私たちは人とトラを隔てるガラスに近寄って中を見る。
「こっちに来ないかな」
小さく呟いた宮城の視線の先、トラは歩いているけれど、池の周りを回っているだけでガラスの近くには来そうにない。
「来てくれたらいい写真が撮れそうだけどね」
私はポケットからスマホを取りだして、宮城の写真を撮る。
一枚、二枚と宮城をスマホに保存して、三枚目にトラを撮る。次にまた宮城にスマホを向けると、画面が彼女の手のひらでいっぱいになった。
「人間の写真は撮らなくていいから、トラ見てよ」
私のスマホを手で押して、宮城が不機嫌な声を出す。
「見てるよ」
「見てないじゃん。顔、あっち向けて」
トラを指差され、私は仕方なくガラスの向こうに視線をやる。でも、うろうろしているトラよりも、私の隣で動かない宮城の方が気になる。
「宮城はトラ見ないの?」
「見てる」
低い声が聞こえてくるけれど、はっきりと視線を感じる。
宮城はたぶん、見たい動物だと言ったトラではなく私を見ている。
「宮城って、トラ好きなんじゃないの?」
ポケットにスマホをしまってトラから宮城へ視線を移すと、失望したような顔が目に映った。
「……トラってネコ科の動物なんだけど」
「知ってるけど」
「もういい。次行く」
宮城がつまらなそうに言って、歩きだす。
「え、あ、ちょっと」
慌ててサックスブルーのマフラーを追いかけると、「仙台さん、早く」と素っ気ない声が聞こえてくる。私は、人を待つつもりが欠片もない宮城の腕を掴む。
「……もしかしてトラ見たいって言ったのって、私のため?」
私が過去に猫が好きだと言ったから、わざわざネコ科の動物であるトラを見たいと言ってくれた。
理解が追いつかないけれど、そういうことなのかもしれない。
「別に。私がトラ見たかっただけ」
「トラ、めちゃくちゃ可愛かった。猫っぽいし」
「好きじゃないなら、好きじゃないでいいじゃん」
明らかに不機嫌な声が聞こえてくる。
「好きだって」
「じゃあ、なんで見たい動物聞いたとき、トラって言わなかったの?」
宮城が私をじっと見る。
冬の空気ほどではないけれど、冷たい視線が突き刺さる。
私は小さく息を吐き、ポケットの中のスマホを握りしめる。
どうやら私は、宮城にカワウソよりも興味を持ってもらえているらしい。
「言い忘れてただけだから」
なるべく普段と同じ声で告げて、宮城の腕を掴んでいた手を離す。そして、腕の代わりに彼女の手を掴んだ。正確に言えば手を握ったのだけれど、振りほどかれることはなかった。
「次、どれ見るの?」
ぼそりと宮城が言う。
「あ、えっと。バクかな。その先にホッキョクグマとかいるから、そっち行ってもいいけど」
「バク見てから行く」
どちらからともなく歩きだし、私たちはバクの前に辿り着く。でも、宮城にとってバクはあまり面白いものではなかったらしく、すぐに次へ行こうと言いだしてホッキョクグマへ向かって歩く。
繋いだままの手は、いつもの滑らかな手と違うモコモコの手。
手袋がなければいいのに、なんて頭に浮かんだ。
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