第131話
天気が悪い。
世の中の大半の人が連休中に土砂降りなんてと文句を言っていそうだけれど、家で過ごしている私には関係がない。問題があるとすれば、タブレットが映し出している映画がつまらないことだと思う。
「面白い?」
隣で真剣に画面を見つめている宮城に問いかける。
「結構」
「どの辺が?」
「んー、いろいろ」
宮城が返事とは言えない返事を口にする。
タブレットでは、なんだかよくわからないキャラクターが動き回っている。そして、宮城はそれを見続けている。声をかけても私の方を向きもしない。
タブレットで映画を観る。
連休の過ごし方として宮城から提案されたそれは共通点の少ない私たちにとって妥当なものだったけれど、共通点が少ない私たちは観たい映画も重ならない。だから、宮城の観たい映画でいいよ、と適当に映画の選択権を渡してしまったが、もう少し真面目に選べば良かったと思う。
ゲームが原作らしい映画は最初は面白かったけれど、途中からよくわからない話になっている。それは私がゲームをしないからなのか、そこは関係がないのか判断がつかないが、あまり面白くない。
「宮城、面白いところってどこ」
肩が触れそうなくらい近くにいる宮城をつつく。
宮城はなにも言わないし、反応しない。
そういうところも面白くない。
はっきり言えば、この状態に飽きた。
退屈だ。
ここが私の部屋で良かったと思う。映画館だったら、つまらないからといって声をかけたりできない。
「ねえ、宮城」
もう一度つつくと、宮城がタブレットに手を伸ばして流れ続ける映像を止めた。
「仙台さん、さっきからうるさい。映画観なくてもいいけど、黙っててよ」
映画を止めた手で、私の肩を押してくる。
思いっきりではなく、軽く押されただけだから怒っているわけではないらしい。でも、声が少し低くて面倒くさそうな顔はしている。邪魔されることが嫌になるくらい映画が面白いことは良いことだけれど、宮城が面白ければ面白いほど私は面白くなくなるからバランスが悪い。彼女と共有する時間を楽しいものにするのは、いつだって難しいことに思える。
「なにか飲む? 持ってくるけど」
私は気分を変えるために立ち上がる。
「サイダー」
平坦な声が返ってくる。
「わかった。続き観てていいよ」
部屋を出て、食器棚を開ける。グラスを取り出して、息を吐く。
有無を言わせずホラー映画を選んで、宮城を怖がらせれば良かった。夜、一人で部屋にいられないようにすれば良かった。宮城が黙ってホラー映画を観てくれるとは思わないけれど、そうすれば良かった。
「……まあ、実際にそんなことしたら、噛まれるか、蹴られるかの二択だよね」
私は冷蔵庫からオレンジジュースとサイダーを出して、グラスに注ぐ。二つのグラスをそのまま持とうか迷ってから、トレイにのせて部屋に戻る。
タブレットの隣、透明な液体が入ったグラスと橙色の液体が入ったグラスを置く。
「ありがと」
宮城が画面から視線を外さずに言う。
私は隣に座って、画面ではなく宮城を見る。
厚手のパーカーにデニムパンツ。
天気が悪くて寒いのか、随分と暖かそうに見える格好をしている。寒がりな宮城らしい。カットソーにロングスカートという私とは対照的だと思う。
髪型はいつもと同じで変わらない。
だから、今日も耳は見えない。
せっかくピアスをしたのに、宮城は耳を出さない。ピアスを見えるようにしたらと言ってもいうことをきかない。恥ずかしいのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。理由はよくわからないけれど、隠されていると余計に見たくなる。
私は、タブレットだけしか見ていない宮城に手を伸ばす。
耳を隠している髪に触れる。
すぐに宮城が鬱陶しそうに私の手を払いのける。けれど、もう一度髪に触れて耳にかける。
ピアスが見えて、宮城が流れ続けていた映画をまた止める。
「邪魔しないでよ」
宮城の声には答えずに、首筋に触れる。
指先を滑らせると、宮城が顔を顰めた。
「仙台さん、もっと向こうにいって」
私の肩を思い切り押して、間にカモノハシを置く。
「映画終わるまで、ティッシュよりこっちに手を出さないで」
つまらないことを宮城が言う。
黙っていると、一時停止が解除されて画面が動きだす。
これ以上機嫌を損ねると面倒なことになりそうで、私はオレンジジュースに手を伸ばす。半分ほど飲んでからテーブルに戻す。
「ねえ、宮城」
返事がないとわかっていて呼びかける。
視線は画面に固定されたままで、私を見たりはしない。
「キスしたい」
変なことはしないと約束したから、実行には移さない。
私は変なことだとは思わないけれど、まあ、たぶん、宮城にとっては変なことに分類される。それでも口にするくらいなら許されるはずだ。
「宮城」
私を見ない宮城をもう一度呼ぶ。
「なんで仙台さんとキスしないといけないの」
画面を見たまま宮城が不機嫌な声で言う。
「前はしてた」
「今は前とは違う。ルームメイトじゃん」
宮城が私を見る。
彼女の言葉は面白いものではないが、間違ってはいない。
私はカモノハシをベッドの上に置いて、宮城に肩を寄せてもたれかかる。
「仙台さん、重い」
愛想のない声が聞こえてくるけれど、押し離されるようなことはない。
「宮城はキスしたくない?」
「したくない」
「言うと思った」
「だったら、聞かないでよ」
宮城の視線が画面に戻る。
タブレットから騒がしい声がいくつも聞こえてきてうるさい。
「宮城、命令しなよ。今ならなんでもいうこときくから」
「しないし、きかなくていいから」
宮城は私の言うことをなんでも否定する。でも、今日はそのことにほっとする。ピアスを開けても宮城は宮城のままだ。
変わってほしくもあるけれど、変わってしまうことに不安がある。踏み込みすぎて、宮城がこの家から出て行ってしまったらと思うと怖い。だから、今は私のしたいことを一つずつ否定してくれる宮城に安心する。否定されなければ、歯止めがきかない。どこまでも進みたくなる。
「仙台さん、映画観るつもりないでしょ」
宮城が私を押し離す。
またカモノハシが置けそうなくらいの距離になる。
「観たいけど、その映画つまらない」
私はタブレットの電源を切る。
「それ、まだ観てるんだけど」
「他の映画観ようよ。ホラーとか」
「絶対にやだ」
宮城が不満を隠さずに私を睨む。そして、手を出さないでと自分で言ったくせに私に手を伸ばした。カモノハシという境界線はないけれど、明らかにカモノハシがあった場所を越えてカットソーの胸元を掴んでくる。そのまま遠慮なく引っ張られて、私は宮城の手を押さえた。
「そんなに掴んだら、服が伸びる」
高いものではないが、伸ばされたくはない。けれど、宮城は聞こえているはずの声を無視して、さらに服を引っ張ってくる。服を伸ばされたくない私は宮城に傾く。
「離してってば」
カットソーを掴んだままの指を剥がそうとするが、剥がれない。宮城の顔が近くなって、首筋に息が吹きかかる。思わず肩がびくりと震える。顔がもっと近づいて、首筋に温かいものが触れる。
くっついたのは唇で、強く吸われる。
針が刺さったときほどではないけれど、鋭い痛みが走る。
舌先が当たって、生暖かい。
宮城は離れない。
近すぎると思う。
聞こえるはずのない自分の心臓の音が聞こえる。
さっき流れていた映画よりもうるさい。
唇がもっと押しつけられて、もっと強く吸われる。
皮膚を通り越して、体の奥にじんわりと痛みが広がっていく。
絶対に跡が残る。
これは良くないことだ。
わかっているけれど、背中に腕を回したくなる。どうしようかと手が迷って髪を撫でると、宮城があっさりと私から離れた。
もう痛みはない。
首がどうなっているかわからないが、なんとなく予想はできる。
「馬鹿でしょ、宮城。今の絶対に跡ついた」
「仙台さんが悪いんじゃん」
不機嫌に言って、宮城がじっと私の首を見る。
「だからって、していいことと悪いことがある」
突き刺さる視線に首がどうなっているかわかるが、手鏡を取って確かめる。
やっぱり。
喉の横、首にはっきりと赤い跡が残っている。
「あのさ、宮城。せめて見えないところにしなよ。どうするの、これ」
「見えないところにしたら、仙台さん反省しないでしょ」
「反省とかそういう問題じゃない。最低でしょ、目立つ場所に跡つけるとか」
「仙台さん、休み中どこにも行かないって言ったじゃん。だったら、どこに跡があっても関係ないでしょ」
「自分は宇都宮と出かけるのに?」
「私は出かけるけど、仙台さんはずっと家にいればいい」
そう言って、宮城が私の肩を押す。
「宮城も家にいなよ」
「やだ。もう舞香と約束したもん」
むかつく、むかつく、むかつく。
すごくむかつく。
鏡をもう一度見る。
赤い跡がはっきりと見える。
それも目立つ場所に。
連休中、友だちと遊びに行ってもいいかと思っていたけれど、これでは出かけられない。タートルネックで隠すこともできるが、季節的にあまり好ましい方法ではない。隠さずに首に赤い跡をつけて行けば、絶対になにか言われる。彼氏ができたと誤魔化せば、会わせろだとか、写真を見せろだとか言われるに決まっているから迂闊なことは言えない。
宮城は本当に極端だ。
キスはしたくないと言ったくせに、平気でこんなことをする。普通、ルームメイトにこんなことはしない。宮城がどういう関係を望んでいるのかわからなくなる。そして、私自身もどういう関係を望んでいるのかわからない。ずっとあやふやなままだ。
ただ一緒にいたいとは思う。
ふう、と息を吐いて、鏡を置く。
首に手をやって、跡がついてるところを撫でる。
「宮城」
「なに?」
宮城が悪いことをしたと思っていない顔をこちらに向ける。
こういう宮城をすぐに許してしまう自分に呆れる。
こめかみを押さえて、わかりやすくため息を一つつく。
「続き、観ようか」
私は自分で切ったタブレットの電源を入れ直した。
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