第187話
朝まで映画を観るつもりだった。
でも、仙台さんは持ってきたタブレットを活用しようとしない。お風呂に入って着替えてから集合と言った彼女は、私の隣で優雅に紅茶を飲んでいる。
「お泊まり会って、一緒に映画を観る会なんじゃないの?」
パジャマ代わりのTシャツを着た仙台さんに問いかけると、彼女はマグカップを置いて私を見た。
「映画は、宮城が徹夜するなら観たらって話」
「じゃあ、徹夜するから映画観る」
「宇都宮と映画観てきたんだから、後からにしなよ」
「先に観る」
私はテーブルの上に置かれているタブレットを取ろうとするが、手が届く前に仙台さんに奪われる。
「映画は話すことがなくなってから。くだらないことを話して親交を深めようって言ったでしょ」
仙台さんはにこりと笑うと、タブレットを背もたれにしているベッドの上へ置いた。
「話すことないし」
「あるでしょ、いっぱい。たとえば、明日の朝ご飯はなににするかとか」
「トーストにバターとジャム」
「じゃあ、高校生活で思い出に残ってること」
「答える必要ない。私の部屋だし、私がなにするか決める」
断言すると、仙台さんから「そっか」と返ってくるが、彼女は私のいうことをきくつもりはないらしく、やけに明るい声で「宮城」と言った。
「じゃんけんしよう」
「え?」
予想していなかった言葉に、まともな返事をすることができない。
「いくよ。じゃんけん、ぽんっ」
かけ声をかけられて、反射的にグーを出す。仙台さんの手を見るとパーが出ていて、楽しそうな声が聞こえてきた。
「私の勝ち。映画は後ね」
じゃんけんはこれからすることの選択権をかけたものだったようで、勝負に勝った仙台さんが当然のようにくだらないことを話し始める。
「宮城はバイトしないの?」
「しない」
バイトをしなければ誰もいないあの家に帰らなければいけないとなったらすることも考えるけれど、今のところそんなことはない。バイトをせずに大学生活を送れるだけのことを父親がしてくれている。
「あのさ、冬休みバイトを増やそうと思ってるって言ったけど、それ、宮城も一緒にしない?」
「仙台さん、一人でしなよ」
バイトをする仙台さんは受け入れられない。
私の知らない場所に行ってほしくないし、知らない人に会ってほしくないと思っているけれど、一緒にバイトをしたいわけじゃない。
「家に帰らないんだったら、冬休みも時間あるでしょ」
「時間があってもバイトはしない」
「なんで?」
「向いてないし」
そつなくなんでもこなす仙台さんと一緒にバイトなんてしたら、絶対に比べられる。私は彼女のようになんでもできるわけではないし、要領が良いわけでもない。同じ場所で働いたら、仙台さんに格好の悪いところを見せることになると思う。良いところを見せたいわけではないけれど、わざわざみっともないところを見せるようなことをする必要もない。
それに、他人がいる場所で仙台さんと一緒にいるとどういう顔をしていいかわからなくなる。
「大学卒業したら就職するんだし、その予行練習としてバイトくらいしておいたら」
「予行練習するとしても、仙台さんとはしない」
「……宇都宮とならするわけ?」
少し低い声が聞こえてくる。
今日の仙台さんはやっぱり機嫌が悪いらしい。
「舞香は関係ないじゃん」
「バイトするなら、私としなよ」
「仙台さんとはしないし、とりあえず冬休みはバイト自体しない」
そもそも仙台さんがバイトをしなければいいと思う。
私にバイトをしろと言うよりも、仙台さんが冬休みのバイトを諦めた方が早い。バイトを増やしたりせずに家庭教師のバイトも辞めてしまって、家でだらだら過ごすべきだ。でも、彼女はそうは思わないようで、不満そうに息を吐き出して体を私の方へ向けた。
「もう一度言うね。冬休み、一緒にバイトしよう。バイトは私が探すから」
「さっきも言ったけど、仙台さんとは一緒にバイトしない」
勝手にバイトを決められても困るから、もう一度はっきりと断る。何度言われてもバイトを一緒にするつもりはない。
「どうしても?」
「どうしても」
「……宮城」
仙台さんが静かな声で私を呼ぶ。
返事をせずにいると、肩に手が置かれた。
「宮城はもう少し私のことを考えた方がいいと思うよ」
「……プリン買ってきたじゃん」
「そういうことじゃない。――傷つくって言ってるの」
仙台さんが肩に置いた手にゆっくりと力を入れてくる。私は押し倒されそうになって、彼女の肩を押し返してほんの少し距離をとった。
「傷つくって、どうして?」
「わからないならいい」
そう言うと、仙台さんが当たり前のようにキスをしてくる。
唇が強く押し当てられ、背中に手が回される。
Tシャツの上、肩甲骨を撫でて彼女の手が下へと向かう。服の裾がまくられて仙台さんの体を押し離すけれど、また唇を合わせてくる。今度は深く彼女が入り込んできて、唇を割って入った舌を追い出すように軽く噛む。それでも彼女は私から離れない。私のものではない舌が私に交わろうとしてくる。
手は背骨を辿り、上へと向かっている。
いつからかやけに私に馴染むようになった舌に意識を奪われているうちに、ブラのホックを外される。私は仙台さんの体を強く強く押して、Tシャツの中に入り込んだ手も追い出す。
「こういうことする雰囲気じゃなかった」
キスはともかく、下着を外すような雰囲気ではなかったはずだ。そして、約束が違う。
「大体、私がいいって言うまで待つって言ったじゃん」
それは、私が強要した約束じゃない。
仙台さんから言いだしたことで、この部屋に来る前もピアスに誓ったことだ。
「こういうことするつもりでお泊まり会しようって言ったんじゃなかったんだけど……。宮城が悪い」
「私が悪かったとしても、約束したんだから守ってよ」
「約束は守るよ。でも、宮城がいいって言ってくれたら待つ必要ないよね?」
仙台さんが正しいとは思えないことをさも当然のように言って、また服の中に手を入れてこようとするから私は彼女の肩を押した。
順番がおかしい。
いいかどうか聞いてからするべきことだ。
「宮城、駄目なら駄目だって言いなよ。そしたら、やめるから」
「駄目」
「理由は?」
「前に言った」
「するのもされるのも、わけがわからなくなりそうだから?」
自分が言ったことだけれど仙台さんの声で聞くと、酷く恥ずかしいことを口にしたのだと自覚せずにはいられない。絶対に言わなくても良かったことだから、過去の自分を消したくなってくる。
「宮城」
黙っていると、仙台さんの手が私の頬を撫でてきて「そう」と小さく答えることになる。
「別にわけがわからなくなってもいいでしょ。明日も休みだし、安心してわけがわからなくなりなよ」
頬を撫でた手が首筋を這っていく。
鎖骨に仙台さんの指先が触れて、彼女の手を掴む。
「仙台さん、この前も似たようなこと言ってたけど私は良くない」
体にくっついている手を剥がして、仙台さんの方へ押しやる。
「じゃあ、わけがわからなくならない程度にするから」
声が耳元で聞こえて、首筋に唇が押し当てられる。軽く吸われて歯を立てられるが、甘噛みだから痛くはない。でも、くすぐったくて体から一瞬力が抜ける。
気がつけば、私の背中は床についていた。
「仙台さんっ」
強く彼女の名前を呼ぶと、唇を塞がれる。
Tシャツの中にするりと手が入り込んでくる。
お腹の上に手が置かれ、ゆっくりと上へと移動していく。ホックを外されたブラが躊躇うことなくずらされる。くっついている唇を噛むと逃げるように仙台さんが離れたけれど、手が胸を覆ってくる。
思わず息を呑む。
でも、仙台さんはそれ以上なにもしてこない。
胸の上の手は、動くことなくじっとしている。
今は彼女の温かさを感じるだけだから平常心を保つことができるけれど、このまま続けられたら――。
私は仙台さんの手をTシャツの上から掴む。
「いいって言ってない」
「駄目なんでしょ」
「わかってるなら、この手どけてよ」
「私、宮城の気持ちを尊重したいし、してきたと思ってるけど」
「……今はしてないじゃん」
「今もそうしたいって思ってる。だから、わけがわからなくなりそうだから、以外のしたくない理由作りなよ。そんな簡単に覆せそうな理由じゃなくて、もっと私がなにもできなくなるような理由を作って、それを教えて」
筋が通っているとは思えないのに、通っているとしか思えない口調で仙台さんが言う。
「じゃあ、私が答える前に仙台さんが答えてよ。仙台さんがしたい理由ってなに?」
問いかけると、じっと見つめられる。
掴んでいた手が自発的に下へと動いて、私はその手をお腹の上で固定する。
「……それ、答えていいの?」
聞こえてきた声は、さっきまでと違って随分と自信のなさそうなものだった。
仙台さんが迷うように目を伏せる。
視線がそらされて、空気が重くなる。
息苦しさを感じるような場面ではないはずなのに、心臓が締め付けられて息が苦しい。窓に叩きつけられる雨粒のように不規則に心臓が鳴る。
なにを言いたいのかわからないけれど、聞いてはいけないもののような気がする。
伏せられていた目が私を見る。
彼女が口を開きかけて、私は紡ぎ出されようとする言葉を遮る。
「答えなくていい」
「宮城が聞いてきたのに」
「そうだけど、答えなくていい」
「じゃあ、答えない。……でも、したくない理由はちゃんと教えて」
そう言うと、仙台さんがTシャツの中から手を出した。
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