第51話
水色というには青い感じがする薄いブルーの下着。
この前見た白い下着とは印象が違う。
繊細なレースで彩られたそれは可愛いと言ってもいい。仙台さんのイメージとは少し違っているけれど、よく似合っていた。
胸は大きいということはないが、私よりはある。少し下に視線をやると、お腹は程よく締まっていてくびれていた。
まじまじと見るつもりはない。
でも、目が離せなかった。
心臓の音が仙台さんに聞こえそうなほどうるさく感じるのは、気のせいだと思いたい。そうじゃなければおかしい。
「じゃあ、今度は宮城の番」
「え?」
唐突に名前を呼ばれて、仙台さんの顔を見る。
「宮城も脱ぎなよ。暑いでしょ」
耳に入ってきた言葉は仙台さんが発したものだとわかったけれど、理解ができない。どこか遠い世界の言葉のようで、意味のない音にしか聞こえなかった。
「宮城」
仙台さんが動けずにいる私を呼んで、距離を詰めてくる。
近い。
いつもなら服があって見えない部分がよく見えて、思わず仙台さんの肩を押す。けれど、仙台さんは近いままで、Tシャツの裾を掴まれる。彼女の指が脇腹に触れたところで頭の中でころころと転がっていた言葉が意味を持ち、私はやっと彼女が何を言ったのか理解した。
「私は暑くないし、脱ぐ必要ない」
強く言って、仙台さんの手を押し戻す。でも、彼女は諦めなかった。
「ある。ほら、早く」
そう言うと、無遠慮に手を伸ばして、もう一度Tシャツの裾を掴んでたくし上げようとする。
「ちょっ、ちょっと、仙台さんっ」
私は慌てて、仙台さんの手を引き剥がそうとする。けれど、手は離れないし、裾がめくれてお腹が半分くらい出ている。
こんなのは想定外だ。
私が仙台さんを脱がすことはあっても、脱がされることは考えていなかった。そんな想像もしたことがない。そもそも、命令は“脱いで”であって“脱がせて”ではない。
私は、ティッシュの箱でTシャツの裾を掴んだままの仙台さんの頭を叩く。すると、カバーのワニが揺れて「痛い」と大げさに言う声が聞こえた。
「脱ぐくらいたいしたことじゃないでしょ。学校でだって着替えるし」
仙台さんがTシャツの裾から手を離して、叩いたところを撫でてから髪をかき上げる。
「今のは着替えじゃなくて、脱がされるって言うと思うんだけど」
「宮城、細かい」
「細かくない。仙台さんが大雑把すぎる」
「細かすぎるとハゲるよ」
仙台さんが私の前髪を引っ張り、「こういうのは勢いだよ」と言ってまたTシャツの裾を掴んだ。
「やだってばっ」
私は、ぱしん、と裾を掴んでいる手の甲を叩く。
「脱がされるのが嫌なら、宮城が自分で脱ぎなよ」
「どうしてそういうことになるのか本気でわからない」
仙台さんは、ときどき予想もしないことをする。突然、家に来たり、教室に来たりして私を驚かせる。
夏休みに入ってからは、それが顕著になっていると思う。
私の気持ちなんておかまいなしに、わけのわからないことばかりしてくる。
「宮城を脱がせるために脱いだって言えばわかる?」
仙台さんがさらりと言って、私を見る。
「……冗談でしょ?」
「冗談だと思う?」
冗談であるべきだと思う。
私を脱がしたところで、仙台さんに特別良いことがあったりはしない。スタイルが良いわけでもないし、見ても面白くないはずだ。
でも、冗談を言っているようにも見えない。
「とにかく脱がないなら、私が脱がすから」
私が何か言う前に、裾を掴んだままの手がTシャツをたくし上げる。
「脱がされるくらいなら自分で脱ぐ」
宣言をして、仙台さんの手首を掴む。
どれだけ言っても、彼女の意思は変わりそうにない。脱がされるか、自分で脱ぐかのどちらかしか選択肢がないのなら、後者を選ぶしかなかった。
「わかった」
短い返事とともに、Tシャツから仙台さんの手が離れる。
私は視線を落として、小さく息を吐き出す。
ゆっくりと顔を上げると、当たり前だけれど上半身を覆うものが下着だけになった仙台さんがいて、私もTシャツを脱ごうとしている。
ありえないシチュエーションに頭がくらくらする。
こんなの、馬鹿馬鹿しい以外に言葉がない。
仙台さんのいうことなんて、きかなくてもいいはずだ。
今から立ち上がって、何か持ってくるからとキッチンへ向かってしまえば、こんなくだらないことに付き合う必要はなくなる。
「宮城、やっぱり私が脱がせてあげようか?」
にこりと笑って仙台さんが結構な力で私の腕を掴む。
「自分で脱ぐから、違うところ見ててよ」
逃がさないとは言わないけれど、逃げられないようにしている仙台さんに告げる。
「なんで? 宮城だって私のこと見てたでしょ」
「それは仙台さんが見ろって言ったから見てただけ」
「それでも見てたんだから、私にも見る権利があると思うけど」
「そんな権利ないから、別のところ見ててよ」
仙台さんの頬に手を当てて、ベッドの方を向かせる。けれど、すぐに私の方を向いて、からかうように言った。
「宮城、意識しすぎ」
視線から逃れようとすることに特別な意味があると決めつけるような言葉に、私は一気にTシャツを脱ぐ。
視線が痛い。
何が面白いのか、仙台さんがじっと私を見ているから落ち着かない。体を隠すとまたからかわれそうで、隠すこともできない。
どうせ見せるなら、もう少し可愛い下着が良かった。
今日つけているのはよくある白い下着で、当然だけれど人前で服を脱ぐ前提で選んだものじゃない。
「脱いだけど。……この後、どうするの?」
なるべく何でもないことのように言って仙台さんを見ると、一瞬困ったように眉根を寄せた。でも、すぐに口角を上げて笑顔を作り、私の脇腹をするりと撫でた。
「そういうことしないでよ」
隔てるものがない状態で触れる手がくすぐったくて腕を捕まえようとするけれど、捕まえる前に脇腹をつままれる。
「ちょっと、仙台さんっ」
私は仙台さんの手を払い除けて、脇腹を押さえる。
「柔らかくて気持ち良い」
「むかつく」
「いいじゃん。ちょっと触るくらい」
「良くない。触らないで」
「じゃあ、見てるだけならいいんだ」
何が“じゃあ”なのかわからないが、仙台さんが遠慮のない視線を向けてくる。
「それもやだ」
仙台さんを見るのは良いけれど、見られるのは違う。
こんなことを続けていたら、いつまでも仙台さんのペースのままだ。
「宮城。顔、少し赤い」
仙台さんの手がゆっくりと優しく私の頬に触れる。
そして、手のひらが熱を写し取るように押しつけられる。
たったそれだけのことで、心臓の音が大きくなって呼吸の仕方も忘れそうになり、私は彼女の手を引き剥がした。
「赤いのは恥ずかしいから。仙台さんみたいにスタイル良くないし」
「女の子は少しくらいお肉がある方が可愛いよ」
「仙台さんのそういうところ、本当に嫌い」
「じゃあ、好きなところもあるんだ?」
「ない」
即答して、横を向く。
そのまま膝を抱えると、仙台さんが私の腕をぺちんと叩いた。
「少しは考えなよ。傷つくじゃん」
声は言葉よりも軽くて、傷ついているようには思えない。
けれど、彼女のことを見ていなかった私には、仙台さんがどんな顔でその言葉を口にしたかはわからなかった。
「私は結構、宮城のこと気に入ってるのに」
わざとらしいくらい明るい声が隣から聞こえてくる。
「仙台さん、暑さで頭が死んでるでしょ」
「そうかも。宮城、介抱してよ」
「しないから。って、寄りかからないで」
いつの間に仙台さんと私の距離がゼロになっていて、断りもなしに肩をぶつけられたから文句を言う。
けれど、仙台さんは離れてくれない。
肩と肩が繋がるみたいにくっついたままで、長い髪が腕をくすぐる。
「頭が死んでるから、動けない」
「その冗談、面白くない」
「ウケなよ、少しは」
仙台さんがつまらなそうに言う。
「仙台さん、暑い。あと重い」
服を脱いだ他人がくっついた部分から体温が混じり合うほど近くにいたことはないから、他の人のことは知らない。
ただ、仙台さんの体は温かいを通り越して熱かった。
「重いって失礼じゃない?」
「失礼じゃない。服着るからどいてよ」
べたりとくっついた仙台さんの肩を押すと、腕が絡め取られてくっつく部分が増える。
「仙台さん、今の命令。いうこときいて」
「今日の命令、脱いでっていうので終わり」
「なんで勝手にルール作るの」
「夏休みだし、少しは自由にやろうよ。その方が楽しいでしょ」
「私、夏休み嫌いだし、楽しくない」
「いいじゃん。一日くらいこういうことがあったって」
「良くない」
腕と腕がからまって、逃げられない。
仙台さんの腕が脇腹に触れている。
普通ならくっつかないような部分がくっつくような状態は、絶対に良くないと思う。
舞香たちとだって、こんなことはしない。
でも、仙台さんと私の体温が一つになる感覚は悪くはなかった。
「そうだ。宮城、お盆の予定は?」
「ない」
お盆は一日だけお父さんがいて、他には舞香たちとの約束が一つある。仙台さんが来る日は舞香たちとの約束とかぶっているけれど、それは断るか、ずらしてもらえばいい。
「じゃあ、お盆も勉強ね」
そう言って、仙台さんが体重を全部預けるみたいに私に寄りかかってくる。
「仙台さん、暑いってば」
「大丈夫。私も暑いから」
「なにそれ」
私の言葉に、仙台さんが「夏だからかな」と答えにならないことを言う。
いつもよりうるさい心臓の音が聞こえてくるような気がするけれど、それが私の音なのか、仙台さんの音なのかよくわからなかった。
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