第19話
ブレザーを脱ぐ、という行為自体に抵抗はない。
過去にこの部屋で何度も脱いでいる。
だが、宮城に言われて脱いだことはない。
「先に何の実験するのか聞きたいんだけど」
ブレザーを脱げという命令の先に何があるのかは予想できる。そして、それが予想通りなら好ましいことではないし、私と宮城の関係に相応しいものでもないと思う。だからこそ、実験の内容を確かめておきたかった。
「ブレザー脱いだら教える」
やっぱり、そう言うよね。
私は小さくため息をつく。
素直に何をするかを教えるような人間なら、ブレザーを脱げという命令なんてしない。やましいことがあるから内容を伏せるのだ。けれど、この命令自体はルールに違反するようなものではないから、私は大人しくブレザーを脱いでベッドの上へ置く。すると、次の命令が飛んでくる。
「腕、まくって」
ブラウスのボタンを外せ。
実験台になる場所はそんな場所だと思ったが、どうやら違うらしい。
「だから、なんで?」
宮城が何をするつもりかは予想できるが、尋ねておく。
「キスマーク、レモンで消えるんでしょ? それ、本当かどうか仙台さんの腕で実験する」
宮城は時々、いや高確率で理解できないようなことを言う。
キスマークをつけて消す。
そういうことをやりたいんだということは予想していた。
だが、何故そんなことをしたいのかはまったくわからない。
「実験、失敗したら困るんだけど」
「腕なら跡消えなくてもブラウスで隠れるし、問題ないじゃん」
「あるよ、大ありでしょ」
体に跡を残す。
私と宮城の間にある繋がりは、そういうものじゃない。
今まで手や足を舐めたり、舐められたりしたし、噛んだり、噛まれたりもしたが、跡が長く残るようなものではなかった。
でも、今度は違う。
制服で隠すことができても、宮城につけられた跡を上手く消すことができなければ私の体にしばらくつきまとうものになる。それは、歓迎できることではない。
「こういうところにするんじゃないからいいでしょ」
宮城が軽率に私の首筋に触れる。
指先はするりと下へと滑り落ち、鎖骨の上へと着地する。ブラウスのボタンを二つ開けているから、行こうと思えばもっと下へ行くことができて、私は彼女の手を振り払った。
「こんなところに跡つけたら、張り倒す」
「張り倒すとか、仙台さん清楚キャラ忘れてる」
「宮城も学校とキャラ違うし、いいでしょ。どんなキャラだって」
「どんなキャラでもいいけど、腕まくってよ」
宮城が命令は絶対だと主張するように強く言い、私の右腕を掴む。
断るための理由はある。
体育の着替えで見えてしまう。
それはルールに沿った無理のない理由で、宮城を引かせることができるはずだ。けれど、私は彼女の言葉を受け入れた。
袖口のボタンを外し、腕を出す。
「はい。これでいい?」
ルール違反だと告げただけで関係が途切れてしまうとは思わないが、宮城は気まぐれだ。
私を遠ざけたと思ったら、今日はやけに近くにいる。
そうした気持ちの移り変わりと同じように、もう五千円を払うつもりはないと言い出してもおかしくはない。
誰にでもそこそこ好かれて、先生にも可愛がられる仙台葉月。
私はそういう自分を演じずにすむ場所と、気を使わなくても良い宮城という存在をそれなりに必要としていた。
「この辺でいいかな」
宮城が独り言のように呟いて、私の前腕――手首と肘の間、真ん中辺りを押す。
「好きにすれば」
「言われなくてもそうする」
知ってる。
私が心の中で答えると、内側の柔らかな部分が注射をする前みたいに触られた。
少し間を置いて、唇が押しつけられる。
けれど、注射のようにすぐにちくりとはしない。
舌が当たって、じわじわ、ゆっくりと強く吸われる。
特別な感覚はなかった。
舐められたり、噛まれたりする方が他人に触れられているという感触があった。
だから、たいしたことはない。
肌の上に唇と舌が乗っているだけで、痛みもない。
ただ、触れている唇や舌にそれほどの熱があるわけでもないのに、やけに熱いような気がした。
「もういいでしょ」
私は、彼女の頭を押す。
すると、吸われていた皮膚が体に戻ってくるような感覚があってから、宮城が顔を上げた。
「ちゃんとついたし、成功かな」
彼女の言葉に視線を落とすと、腕に小さな赤い跡がはっきりとついていた。
それは遊びの延長で子どもの頃に自分で腕に付けた跡とそう変わらないもので、羽美奈の首にあった跡と同じに見える。けれど、宮城がつけた跡、ということだけが過去のどれとも違った。
自然とため息が出る。
幼い頃とは違って、他人がつけるこういう跡がどんなものか私は良く知っている。
宮城が読んでいる漫画によく出てくるもので、赤い跡はそれと繋がる。
私は、汚れを落とすように手のひらで腕を拭う。
宮城に所有権を主張されても困る。
彼女にはそんなつもりはないだろうし、私の考えすぎだろうけれど、見るたびに思い出すようなものが体に残っているというのは良くない。
――早く消してしまわなければ。
私は、手のひらで腕を温めながら宮城に尋ねる。
「で、レモンあるんだよね?」
「うちの冷蔵庫の中、見たことあるよね?」
唐揚げを作ったとき、清々しいほどに物が入っていないこの家の冷蔵庫を見た。
だから、知っていた。
ないだろうと思っていた。
そう、思っていたんだ。
私は、宮城につけられた跡をぎゅっと押さえつける。
「制服で隠れるし、いいでしょ。それに温めたり、冷やしたりでも消えるらしいし、実験してみれば」
宮城が自分は関係ないといった顔で私を見た。
腹が立つ。
とても。
私は、ブラウスの袖を下ろしてボタンを留める。
「じゃあ、宮城も腕出して。ブレザー脱いで、腕貸してよ」
「なにそれ、命令?」
「命令じゃない。お願い」
五千円をもらっている私に、命令をする権利はない。
ならば、お願いという形で意見を通すしかなかった。
「それがお願いする態度?」
「そうだよ」
「ちゃんとお願いしてくれたら、貸してもいいけど」
何故、私が下手にでなければならないのか。
宮城は実験をするつもりもないのに、実験をするといって人に跡だけ残すような人間だ。
そこまでへりくだる必要はないと思う。
思うけれど、彼女が言うように“ちゃんとお願い”をする。
「……腕を貸してください」
彼女を私と同じ場所まで引きずり下ろす。
そのためには、多少の犠牲は仕方がなかった。
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