宮城に思うこと

第371話

「おっはよー、葉月! 志緒理ちゃんの誕生日どうだった?」


 講義室中に響き渡るとまでは言わないが、澪のそれなりに大きな声が耳に飛び込んできて頭を抱えたくなる。


 講義室の中を颯爽と歩く彼女は今日も元気で、私は小さく息を吐く。目が合う前から、今もっとも聞かれたくないことを聞いてくるとは思わなかった。


「あれ、葉月。顔、死んでるけど大丈夫?」


 澪が問答無用で隣の席に座る。彼女が私の隣に座るのはいつものことで問題にするようなことではないが、今日は彼女の第一声が良くなかったせいでため息が出てしまう。


「大丈夫」


 低い声がぼそりと出る。


「あんまり大丈夫じゃなさそうだけど。志緒理ちゃんの誕生日でなにかあった?」

「特になにも。昨日も言ったけど、誕生日らしく美味しいもの食べて楽しく過ごした」


 真夜中に目が覚めて、切りっぱなしだったスマホの電源を入れたら、澪からのメッセージが届いていた。


 それは宮城の誕生日がどうだったかを尋ねるもので、私は事実のいくつかをかいつまんで返事を送ってまた眠りについた。


「お酒飲んだって言ってたから、酔っ払って大騒ぎして隣の家から苦情でも来たのかと思った」

「そんなに飲んでないし、すぐに寝た」


 澪からのメッセージには二十歳になった記念にお酒を飲んだのかと尋ねるものがあって、飲んだと答えたが、答えなければ良かったと思う。お酒の残った頭が、普段なら答えないようなことを答えさせた。


 おかげで朝から面倒くさいことになりそうだ。

 澪にお酒なんて単語を与えたら、ろくなことにならない。


「葉月。お酒解禁になったんだしさ、今日の飲み会来てよ」


 弾んだ声が隣から聞こえてきて、やっぱり、と思う。


「今日は家庭教師の日」

「残念。じゃあ、今度で」

「ごめん。飲み会は断固拒否だから」


 絶対に外で飲まないで。

 昨日、宮城にそう言われた。

 それは私自身も心の底から思っていることで、私は外でお酒を飲むべきではない。


「拒否権発動って、どうして? 昨日、お酒美味しいって言ってなかったっけ?」

「うーん、すぐ酔っちゃうから」


 お酒は美味しいものだが、良くないものだ。

 不注意で不用意な私になるし、迂闊なことばかり言ってしまう。


 宮城にも言わなくていいことを言って絡んでしまった。

 昨日の私は立派な酔っ払いで、彼女は扱いに困ったはずだ。


 幸い“宮城の誕生日”という私にとって大切な記憶は小さな欠片も失うことなく頭の中にあるけれど、それは私が酔っ払いと化して駄々をこねる子どものような姿を宮城に見せてしまったことをしっかりと覚えているということでもある。


 昨日の記憶がなくなっていたら地の底にさらに穴を掘るほど落ち込んでいただろうけれど、はっきり覚えていてもそれなりに落ち込むことになっているのだから救いようがない。


「葉月ってお酒弱いんだ? どれだけ飲んでも変わらないタイプかと思った」


 澪が意外そうな顔をして私を見る。


「だったら良かったんだけどね。とりあえず、外で飲むのはやめとく。酔ったら怖いし」


 宮城にお酒は飲むなと釘を刺されたが、普段の私がいなくなってしまう“酔う”という状態はあまりにも怖いものだ。


 心の中に留めておくべき言葉がするすると出てくるから、宮城に言ってはいけないことを言う可能性が高くなる。


 ――宮城が好き。


 それは、お酒に飲まれた状態で言ってはならない言葉だ。


 心の中に隠してある“好き”は、私が私の意思で外へ出すときを決める。お酒に決めさせるようなことがあってはならない。


 そして、そんな恐怖を私に与えるほどのものを外で飲んだら、宮城以外の人間の前で宮城への気持ちを口にしてしまうかもしれない。


 私の“好き”を聞くのは宮城が最初であるべきだ。


「葉月が酔っ払っても、ちゃんと私が家まで送るから大丈夫だって。今度、一緒に飲みに行こうよ」

「考えとく」


 どれだけ考えても答えは変わらないけれど、曖昧な返事をしておく。このまま会話を続けていたら強引な澪に押し切られることになって、飲み会の予定を作られそうだ。


「まあ、また誘うから、そのときにいい返事ちょうだい」


 澪がにこりと笑うから、「それまで熟考しとくね」と笑い返す。


「そうだ、志緒理ちゃんはお酒強いの?」

「んー、そうだなあ」


 弱いか強いかのどちらかを選ばなければならないのなら、宮城は強いほうに分類できるのだと思う。


 朝起きたら飲みかけのシードルはすべてなくなっていて、宮城に聞いたら全部飲んだと言っていた。それどころか、冷蔵庫を開けたら中に入っていたお酒が全部なくなっていて、それも宮城が飲んだと言っていた。


 しかも、彼女に嘘をついている素振りはなかったし、二日酔いとは無縁の顔をしていたから、弱いわけがない。


 好みに合わなそうだった飲み物をすべて飲んだ理由は気になったが、宮城に尋ねても、勿体なかったから、なんて彼女が絶対に言いそうにない言葉で誤魔化してきた。


「葉月、そうだなあ、の続きは?」


 澪が興味津々といった様子で尋ねてくる。

 私はネックレスのチェーンに触れ、軽く引っ張る。


「弱いほうかな。飲み会とか無理そう」


 嘘は良くないが、本当のことは言いたくない。

 きっと、お酒に強いなんて言ったら、澪は喜んで宮城を飲み会に誘う。


 そんなことは絶対にさせたくない。


 宮城がお酒に強いといってもどのくらい強いのかわからないし、たくさん飲まされるようなことがあったらなにが起こるかわからない。


 それに、私は酔っ払いがいる場所に宮城がいるなんてこと自体が許せない。私は宮城が酔った誰かに絡まれている姿なんて見たくないし、私が見ることができないときに宮城が酔っ払いに絡まれているなんていうのも困る。


「酔った志緒理ちゃんかあ。いいね、見たい。まあ、そんなに飲ませたりはしないから、一度みんなで飲みに行かない?」


 澪が言わなくてもいいことを言いだして、私は笑顔を作る。


「宮城、あんまりお酒好きそうじゃなかったし、難しいかも」

「そっか。でも、一緒にお酒飲んでみたいし、舞香ちゃんが飲めるようになったらみんなで気分だけでも味わおうよ」

「来年だね」


 良いとも悪いとも言わずにふわりと答えると、先生が講義室に入ってきて、澪が小声で「まあ、お酒の前に葉月と志緒理ちゃんの誕生日会かな」と言って前を向く。


 私も前を向いて、額を押さえる。


 朝、宮城は何事もなかったように接してくれた。


 昨日のことを覚えているかと尋ねられて覚えているとは言ったけれど、文句を言ってくることもなかったし、お酒を飲むなと念押ししてくることもなかった。


 当然、キスもしていない。


 お酒を飲んで決壊したダムのように心の中にあることを吐き出してしまうようなことがあってはならないけれど、また宮城に優しくされたいとは思う。


 今日、またシードルを買って。

 宮城が好きそうな甘いお酒でもいい。

 二人で飲んで酔うことができたら。


 そんなことは考えて、私はため息をついた。



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