第2話 あやかしなる者

 冷ややかな風が頬を打ち、髪を乱れ梳く。寒さの峠を越えたとはいえまだ3月半ば、制服一枚でやりすごすには少々つらい気温だ。しかしその寒風は不意に途切れ、一瞬のふわりとした浮遊感がわたしを包む。


 落下はすでに止まっていた。気がつけばわたしの体の下には黒光りする獣毛の背中があり、そこから生えた二枚の翼が風を孕み、力強く羽ばたくのが見える。


 ……それは漆黒をまとった、異形の獣。猿、虎、狸等複数の獣の特徴を備えながら、かつそのどれとも異なる異様な姿。一説には雷獣の眷属とされ、様々な古書、伝承にその名を残す怪異なるあやかし


 ――霊獣・ぬえ――


 それが、雷華の真の姿。古来より退魔行を生業とする四方院家……その当代の巫女であるわたし、四方院樹希に仕える守護獣としての姿なのだ。




 あやかし、その起源は古い。人類が文明を持ち、歴史を刻み始める以前から、彼らは存在していた。

 妖精、精霊、幻獣……日本では妖怪とも称される異形の者たち。正当な進化の過程を経ずに生じた、あり得ない生命体。異空間より流れ込んだエネルギー体が、それを観測した人間の影響を受け変異したものだとかいう眉唾な仮説もあるにはあるが……その正体はいまだに謎だ。


 そして古代の歴史書にも記されているように、人と妖は幾度となく対立してきた。英雄が妖退治をするといった類の伝説も枚挙に暇がない。しかし文明の進歩と共に人の勢力が増し、幾多の神秘が科学的に解き明かされる頃には、妖はただの見間違いか空想上の産物として扱われるようになっていた。

 現在に至っては、もはや彼らの実在を信じる者など皆無といってよいだろう。


 ――――だが、現実は違う。彼らは大きく数を減じながらも確かに存在し、今も人間社会に対する脅威として在り続けているのだ。


 この、在り得ない者達に抗する事ができるのは……同じくいにしえより受け継がれた妖狩りの術を持つ者達。退魔の家に連なる、術者と呼ばれる存在である。彼らはこの現代においても妖退治の第一人者であり、平和な世界の陰で、今も妖との終わりなき闘争を続けている。


 かく言うわたしもその一人。四方院家は永き歴史を持つ大家であり、守護の霊獣を有する数少ない家でもある。有事において最前線に立つ事は半ば義務ではあるが、それを誉れとするのも四方院流だ。



『お嬢様』


 闇の中をゆるやかに降下しながら雷華がささやく。その声は今は頭の中に直接響いてくる。獣の声帯でも喋れないことはないのだが、流暢に話すのには少なからず神経を使う……とのことで、特に必要ない場合はこのように念話を用いて会話することが多い。


『来ました。さすがに速度がありますね』


 雷華の視線の先には、闇の中を移動する小さな光点があった。それは見る間に近づき、その大きさを増していく。事前に聞いた情報から、わたしはその正体を知っている。


 いわゆる――電車。しかしそう聞いてイメージする通勤客を満載したそれとは違う。明りを灯しているのは先頭車両のみであり、それが引き連れているのは無骨な大型コンテナの群れだ。

 巨大な質量と速度をもった貨物列車……その轟音はすぐ近くまで迫ってきている。


「降りるわよ」


 その言葉を待っていたかのように黒き獣はくるりと旋回し、今まさに眼下を通り過ぎようとする列車の最後尾……錆色のコンテナの上に舞い降りた。

 ……相対速度の差は相当あったはずだが、騎乗したわたしにそれを感じさせないあたりは、さすが雷華。


 わたしが黒い獣の背からコンテナの天板に降り立つと、間を開けずに雷華は再び人の姿へと戻る。


 わたしたちの世界……この物質世界においては、この世の者ならぬ存在である妖の者達はその力を大きく制限されている。

 世界の法則から外れた存在である彼らは、ただ在るだけで常に対価――俗に言う魔力や妖力の類――を支払い続ける必要があるのだ。

 それは伝説の霊獣たる鵺においても例外ではない。普段から真の姿を封じ、この世界にありふれた存在である人間の姿に化身しているのはその為だ。


「さて、と……」


 わたしと雷華は、不安定な足元に気を払いつつ先頭車両の方向に進む。

最後尾のふたつ前のコンテナ……それは他と違い天井がなく、中には八分目まで黒々とした土が詰め込まれていた。


「貨物列車とは、まぁ悪くないアイデアだと思うわ」


 そう、妖の類……特に精霊と呼ばれる者達は本能的に人工物を嫌う。本来なら乗り物に乗って移動することなどあり得ない。しかし、霊的加護を得られるだけのまとまった量の触媒――この場合は建設残土――と一緒ならば。


 それに着目したのはなかなかだと、素直に思う。古きことわりに支配された頭からは中々生まれない発想だからだ。


「もっとも、タネがわかればこうして……待ち伏せもたやすい」


 そう、いかに早く移動できるといっても所詮は電車。その行先はレールの上に限定される。鉄道の運行情報から位置を特定し、先回りできたのはそのお陰だ。


 わたしはコンテナの淵に足をかけ、そこに潜んでいるであろう存在に呼びかける。


「顔を見せなさい“ノーム”! 逃げ隠れるのもここまでよ!」



 ……わたしの声から一拍置いて、黒土の中から三角形の帽子をかぶった上半身がひょっこりと現れた。一見するとただの可愛らしい子供にしか見えないそいつこそが、今夜のわたしの標的……大地を司る四大精霊の一角、ノームだ。

 ノームはキョロキョロと辺りを見回し……わたしと目を合わせた途端、弾かれるように土中へ姿を消した。


「何よ、失礼な……このまま釜茹でにでもしてやろうかしら」


 わたしがそうつぶやくのと、コンテナ内の土がうねり、盛り上がるのはほぼ同時だった。土中から現れたのは……腕。丸太ほどもある巨大な腕だ。それが、さらにもう一本生える。二本の腕はコンテナの淵をつかみ、その持ち主の体をひきずり上げた。


 それは……巨人だった。直立すればゆうに5メートルは超えるだろう、無骨で荒削りな巨人。コンテナ内の建設残土を贅沢に用いて造られた、およそ繊細さとは無縁な巨体。その風貌はまさに大地の化身といった感じだ。その顔面からは目鼻口の代わりに、得意満面の表情を浮かべたノームの上半身が生えている。


 ――――精霊。いわゆる自然現象の具象化たる彼らは、妖でありながらも自然との結びつきが強く、それ故に力の制限を受けにくいという利点がある。そして各々の支配領域においてはその霊的加護を得る事で……彼らの力は、むしろ強化されるのだ。


 地の精霊ノームは、地面の上すべてを自らの領域とする為、常に強い霊的加護を得ることができる。大地の持つ不動の属性故、四大精霊の中で最も鈍重ではあるが、純粋な物理的パワーを常に振るい続ける事ができる難敵だ。


 たった二人程度の追手なら、逃げるよりも蹴散らすほうがたやすい……奴は、そう考えたのだろう。


「……舐められたものね」


 十分な加護を受けているとはいえ、ノームは所詮下級の精霊。妖としての格では雷華のそれに遠く及ばない。“生け捕り”の指示が出ていなければすぐにでもチリにしてやるところだ。


「お嬢様、あまり時間をかけてはいられません」


 平坦な口調で雷華が告げる。彼女の言うとおりだ。この不愉快な夜行を終わらせるためには、まず目の前の仕事を片づけなければならない。


「そうね、それじゃあ始めましょうか……」


 土くれの巨人と化したノームが大きく腕を振り上げる。緩慢ながらも力のこもった動きだ。そのまま降りおろされたなら、人間などひとたまりもなく粉砕されることだろう。


 ――――ただの、人間ならば。


 わたしは軽く深呼吸した……すでに準備はできている。あとは一言、告げるのみ。


戦姫……霊装イクサヒメノヨソヲイ!」


「――了」


 雷華が短く応じると同時に光芒がわたしの視界を包み、闇夜を閃光が切り裂いた。

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