第15話 猫と四重奏

 まばたきを許さぬ速さで目の前に迫るのは……巨大な肉球。

ぷにぷにと柔らかそうで……一瞬防御することをためらってしまう。しかし、


「オラぁ! 吹っ飛べ……にゃん!」


 圧縮空気の盾越しに、凄まじい衝撃がぼくを襲う。踵が宙に浮き、身体が軽く吹き飛ばされる。背後の竹がクッションになっていなければ、結構なダメージになっていただろう。


「――――っ、痛たた……」


 もっと、集中しなければ……この竹藪の中では全身を覆う空気の壁は作れない。いや、作れないことはないけど、周囲の竹に引っかかって動けなくなってしまう。

 だから、今展開できるのは体の四分の一程度を覆う空気の“盾”が限界。当然、防御できる範囲は限られてくる。


 なので攻撃に対し正確に反応して防御姿勢を取らないと、あっという間にボコボコにされてしまう。そう、樹希ちゃんとの組み手で何度もそうされてきたように。


 ――――けれど、問題がある。ぼく自身が言うのもなんだけど、今のぼくは少々、冷静さを欠いているのだ。


「まだまだ、こんなモノでは済まさないにゃ。キサマには地獄を見てもらうのにゃ!」


 そう……ぼくが相手をしている、謎の魔法少女。術によって変化したその姿と……言動に、ぼくは戸惑いを隠せないでいた。


 両手に猫の手のようなグローブ、足には猫ブーツ?をはめ、スカートの後ろから不自然に尻尾を生やした、異形の姿。


 そして何よりツッコミを入れたいのが、魔女の様なとんがり帽子の“上”から生えた……ネコミミ!

 まるでポリゴン数の少ない昔のゲームみたいに帽子を突き抜けた、物理的にありえない生え方がどうしても気になるのだ。


「オラオラだにゃあ! どこまで耐えられるか……見ものだにゃ!」


 両手を交互に叩き付けてくる激しい攻撃。だけど、それよりも……


「……なんで、語尾が“にゃ”になってるの!?」


「にゃ?」 


 我慢できずに疑問を口にしたぼくの前で、左右のラッシュがぴたりと止まる。


「こ、これは……び、獣身解放ビーストライズが50%を超えると自然に出てくるのにゃ! 決してそういう趣味とかじゃない……にゃ」


 何やら恥ずかしそうにもじもじする、謎の魔法少女。ああ、一応気にはしていたんだ……猫コスプレで語尾に“にゃ”とか、都会でもそうそうお目にかかれないだろうからね……


「ええい、そんな事はどうでもいいにゃ! 余計な詮索をするヤツは嫌いにゃよ!」


 魔法少女はそう叫ぶと右腕を振りかぶる。すると巨大な猫グローブの指先から、鋭い爪がしゃきん、と伸びた。


「フフフ……キサマの術でこれは防げないにゃ。お見通しにゃ!」


 あっやばい! 圧縮空気の壁の弱点は、空気抵抗の少ない鋭い刃物での攻撃。そしてそれはすでに相手に見切られているのだ!


 勢い良く振り下ろされる爪。その先端が空気の盾に触れた瞬間、ぼくは盾を解放した。巻き起こった一瞬の突風が必殺の一撃を逸らす。全身を覆っていた時ほどの威力は無いけど、この場をしのげれば……十分!


「今だっ!」


 ぼくは真上に向かって飛んだ。こうなった以上、もう竹藪に留まる意味は無い。むしろ命取りだ。


「待つにゃ! 逃げられると思ったら、大間違いにゃ!」


 驚いたことに、魔法少女は追ってくる。周囲の竹を三角飛びの要領で蹴り、ジグザグに登って来るのだ。


 追いつかれる! そう思った瞬間、ぼくの身体は竹藪の天井を突き抜けていた。太陽は半ば地平線に沈み、空も大部分が藍色のとばりに包まれている。


 これで一安心……と思った刹那、右足がぐいっと下に引っ張られた。驚いてそっちを見ると、


「フフフ、逃がさないにゃ~」


 ぼくの右足にぶら下がる、謎の魔法少女! 竹藪のてっぺんからここまでジャンプしてきたっていうのか!


 その恐るべき身体能力への驚きが、空中で崩れたバランスを更に加速させる。ぼくは魔法少女をぶら下げたまま、砂利道へと無様に墜落した。


「うわっ!」


「ぎにゃー!」


 二人して仲良く地面を転がって……ぼくが痛みに耐えながら身を起こした時、彼女はすでに戦闘態勢を整えていた。


「てこずらせやがって……だが、そろそろテメーも年貢の納め時だぜ」


 さすがネコ科、見事な受け身……と思って見てみたら、もう猫じゃない! ビーストなんとかという術を解除したのか、彼女の姿は元のハロウィン魔女風コスチュームに戻っていた。


 何故? 猫の俊敏さを持ったあの姿なら、そのままぼくを圧倒できるのに……


「なぜなら、オレのとっておきの術を見せてやるからだ……ちなみにこの術を受けて、生き残った者は居ない!」


 またしてもドヤ顔で物騒な事を口走る魔法少女。彼女を守るように、さっきの輝く剣がくるくるとその周りを回転する。

 ――――術を邪魔しようとしたら、グサリといくって事か。


 とりあえず立ち上がったぼくの前で、彼女は懐に手を突っ込むと……その手に掴んだ“何か”を、ばっと周囲にばら撒いた。

 陽の光の残滓ざんしを吸ってキラキラと輝く……それは何かの粉末?


「集いて結べ、我が精髄よ!」


 彼女の呼びかけに応じ、舞い散る粉末に動きが生じた。見えざる手に操られるかのように、それは集まり、渦を巻いて……やがて三つの棒状に収束していく。


「……まさか!」


 きん、と澄んだ音を立て完成したそれは……彼女の操る輝く剣と瓜二つ。それが三本、元からあった分を含めて四本の剣が、一糸乱れず彼女の前に整列していた。


「【乱れ踊るは光輝の剣シャイニング・ソード・レイヴ四重奏 カルテット!!】」


 一本でも厄介なあの剣が、なんと四本! 当社比で四倍の……だめだこれ! こんなの避け切れるわけないよっ!


「フフフ、ようやく理解ワカったようだな……このオレとの実力の差を。だが、もう遅せェ!」


 魔法少女がばっ、と腕を振ると、四つの切っ先が一斉にこちらを向いた。狙いは一点、ぼくの心臓……って、完全に殺しに来てる!


 運動神経が壊滅しているぼくが、四本の剣すべてを回避するのは不可能。空気の障壁も効果は薄い。ただひとつ有効なのは圧縮空気の開放による突風だけど、それが使えるのは一回きり。再び空気を圧縮するにはそれなりの時間がかかるのだ。


『もうダメだよっ! やられちゃう~!』


 しるふの言う通り、これはもうどうしようもない。普通のあやかし相手ならまだしも、経験も実力も上手の同業者が相手ではさすがにこの辺が限界だ。


 冷静に考えれば、見ず知らずの妖の為に自分の命を危険に晒すことなんて無い。

 あの魔法少女はぼくが妖を殺す邪魔になるから襲ってきたわけで、ぼく自身を殺したい程憎んでいるわけじゃない(と信じたい)。だから全力で逃げれば追っては来ないだろうし、降伏しても命までは取られないはずだ。


 ここはもう、覚悟を決めるしかない。ぼくは再びはねに力を込め、跳んだ。


「フッ、ここまで来てまだ逃げるか。往生際の悪い……ん?」


 そして、降り立つ。すでに動かない黒い魔獣の横たわる場所――――訳もわからず、ただ母のむくろにすがりつく子供達の前に。


『とーや、どうするノ……あっ!』


 薄暗闇の世界にまばゆい光が瞬いて……それが収まった時、ぼくの姿は元に――――魔法少女に変身する前の制服姿に戻っていた。


「どういうつもりだ、テメェ!」


「なな、なんで変身解いちゃうノ~!」


 ぼくではあの魔法少女に勝てない。時間を稼ぐのももう無理だ。だからここから先、しるふを巻き込むわけにはいかない。

 彼女なら、きっと何も言わずに最後までぼくに付き合ってくれるだろうから……こうするしか、ない。


「ごめんしるふ、これ以上は……悪いから」


「そんなっ! とーやぁ!」


 飛び回りながら抗議するしるふを尻目に、魔法少女は砂利道をざくざくと踏み鳴らしてまっすぐこっちに歩いてくる。


「命乞いでもするってか? 案外、つまんねー結末だなオイ?」


「……ぼくは、どうなってもいい。だけど……この子達には手を出さないで」


 虫のいい要求だというのは分かってる。こんな事、敗者ができるお願いじゃない。けれど、ぼくに残されているのはもう自分の命だけ。思いつく方法は……それを盾にする事だけだ。


 “助けない”も“助けられない”も、結果は同じかもしれない。でも……認めたくない。“助けなきゃよかった”なんて、無様な後悔は……したくない!


「テメー、何かカン違いしてねぇか? オレは妖を始末してーだけだ。そしてテメーがその邪魔をした」


 魔法少女の声に呼応して、宙に浮かんだ四本の剣が四方に散った。くるくると回転した後狙いを定めたのは……ぼくの後ろにいる四匹の妖の赤子!


「邪魔がなくなりゃあ……使命を果たすだけだ!」


「や、やめ――――」


 四本の剣が矢のように放たれ、無抵抗の赤子目がけて襲い掛かる――――


「四方院の名にいて! 阻害はばめ、“土雷”つちみかづち!」


 刹那、ぼくの背後に立ち昇った雷の壁が飛来する剣たちを弾き飛ばす! これは、この術は――――!


「まったく、見ちゃいられないわ」


 紫色の燐光をまといながら舞い降りたのは……黒髪をなびかせた巫女姿の魔法少女!


「誰だ! オレの邪魔をするのは……って、イツキ!? イツキじゃねーか!」


「あなたは相変わらずね。愛音あいね――――愛音・F《フレドリカ》・グリムウェル!」

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