第16話 その少女アイネ

「……それで、何であなたがこの現場に居た訳? 空港を出たら学園に直行する筈じゃなかったの?」


 仮設のテーブルを挟んで、わたしは一人の少女と向き合っていた。周囲に配置された、これまた仮設の照明に照らされている……それは燃えるような赤毛の少女。


「いやーなんか渋滞にハマって待ってる間ヒマでさ……水晶いじって視たらわりと近くにあやかしいたんで、ちょっくらシメになー」


 悪びれずそう語る彼女。歳はわたしよりひとつ下だが、年上への敬意だとかそういったものは微塵もない。彼女にしてみれば、わたしは久しぶりに会った幼馴染のつもりなのだろうが……


「何が“ちょっくら”よ! あなたのそういった行動がいつも事態をややこしくするの! 昨日だってそうやって抜け出して入国審査で引っかかったって聞いたわよ?」


 生憎わたしは、そこまで彼女に馴染んだつもりは無い。むしろ厄介な隣人が帰って来た事に陰鬱さを禁じ得ない。


「……オレは並んだり待たされたりすんのがキライなんだよ。この国はそういうの多いからな~」


 両手を頭の後ろで組み、テーブルに足を載せて器用にパイプ椅子の前脚を浮かせる……不遜極まる態度。これを嫌がらせとかじゃなくナチュラルにやってのけるのだから……


「とりあえず足降ろしてちゃんと座る! まったく、本国で少しは礼節を学んできたのかと思えば……」


「えーいいじゃん別にー。状況終了したんだから今はフリータイムなのだぜー」


 ――――ここは先刻起こった“ブラックドッグ逃亡事件”の最終現場。ひと通りの現場検証と被害に遭った女性への事情聴取が終わり、ようやく一段落したのが十九時過ぎ。

 ブラックドッグの死骸も回収され、今は県警本部から来た妖事件対応要員が周囲の民家に説明して回っている所だ……もちろん、妖の存在は伏せて。


「あのね愛音、あなたが明日から通うのは最上級のお嬢様学校なのよ? 中身はともかく、見た目くらいはお嬢様らしくなさい!」


 赤毛を左右に分けた三つ編みのおさげ髪に、カッチリとした白いジャケットにスカート。黙って立っているだけなら十分にお嬢様の資格はある……とは言え彼女にとっては、その何もせずに黙っている事自体が困難な試練なのだろうが。


「はー、学校か……イツキはクラス違うんだろ? つまんねー」


「あなたと同じクラスになるとか、ぞっとするわ……一学年上だった事を神に感謝しなきゃね」


 ――――愛音あいねフレドリカ・グリムウェル。水晶魔術の大家と名高い英国グリムウェル家の長女にして……霊装術者。


 こうして彼女の顔を見るのはほぼ三年ぶりになる。かつて一時期、夏休みの間だけ四方院家で彼女を預かる事になり……どうせなら同年代の子供が居た方がよかろうと、この学園内の別邸へ連れてこられた彼女。


 当時一人前の術者になる為に修行に励んでいたわたしに、彼女は事あるごとに絡んできた。

 同じ術者を志す者同士、切磋琢磨する事は良い……とは言え、愛音のそれは少々度が過ぎていた。やれ問題の早解きだの、ランニングで競争だの、プールに潜って何分息を止めていられるかだの……無視するとことさら大袈裟に不戦勝を宣言するのがまたどうしようもなくウザくて、ついつい本気で叩き潰したくなってしまうのだ。


 まぁ、流石に大食い競争にまで付き合ったのはやり過ぎだったと自分でも思う……当然勝ったけど。


「それにしても、イツキは変わんねーな。なんかエラそうなトコとか、全然変わってねーし」


 そう言いつつ、ニヤニヤと気持ち悪く笑いながらわたしを見つめる愛音。英国での彼女の活躍は何度か耳にしている。期待の新星とかリトルスピリットバスターとか……本来戦闘向きじゃない水晶魔術師のくせに、やけに華々しい戦果を上げているのが不可解だったが。


「あなたこそもう小学生じゃないんだから、少しは成長して欲しいものだわ」


 わたしの皮肉に、彼女はより深く不気味な笑みを浮かべると、


「成長? シテルよ~誰かさんよりは~。 まぁ、どこがとは言わないけど~」


 身体をくねくねとくねらせ、胸を強調したポーズを取る……ああ、そういう事か。


「……余分な脂肪をいくら付けた所で、術者として成長したとは言えないわ」


「あぁ? んな脳筋みてーな事言ってっからいつまでたってもちっせーままなんだよ。オレみたいに人間的に成長しなくちゃなー。ほれほれ」


 胸を揺らして挑発する愛音……確かに、発育がいいのは認めざるを得ない。認めざるを得ないが……ぐぬぬ。


「もう中学生なんだぜーオレ達。あのなんつったか、オメーの仲間……あいつもぺったんだからって安心しすぎじゃねーの?」


「ぺったんって……あの子は関係ないでしょ! だってあの子は……」


 男の子だし……と言いかけて、はっと気付く。そうだ、愛音はまだ……彼の正体を知らない。知られる訳にもいかない。秘密を知る者は最小限に留めなければというのもある。だがそれよりも、


「あの子は、何だってんだ? そういや前はいなかったよなーあんな銀髪。いいから教えろよ~」


 彼女には……隠し事なんていう高度な知的制約に耐えうる程の頭は無い。これは少々言い過ぎかもしれないが、ともかく性格的に情報セキュリティが甘い人間である事は確かだ。


「あ、あなたが知らないのも無理はないわ。あの子が――――灯夜が来たのは、ほんの一週間前の事なのだから」


「へー。て事はオレと同じように、例の新クラスとやらの為に集められた術者ってわけか……お人形さんみたいなツラしてるわりには、そこそこ使えるヤツだったな」


 ま、オレには遠く及ばないがな! なんて言いながら偉そうに腕組みする愛音……彼女の鼻っ柱をへし折りたい、その一心でわたしは言葉を続ける。


「その割には、結構手こずっていたじゃない。ドローンの空撮映像を見たけど、あなたの攻撃はほとんど防がれていたわよ」


「あ、あれはその……アイツが防御に徹していたからだろ。オレのラッシュにビビってアイツ、一発も殴り返して来なかったしな!」


 灯夜の事だ。相手を傷つけまいと必死だったのだろう……妖相手ならまだしも、人間相手に暴力を振るえるような性格ではないのだ。


「あのね愛音……そもそも術者同士で戦うって状況が異常なの、分かってる?」


「仕方ねーだろ? あのヤロウ、妖をかばいやがったんだぜ。ありえねえ。オレ達の使命は妖を仕留める事だってのに」


 愛音の言いたいことは分かる。術者の中でも、わたし達霊装術者は対妖のエキスパート。人に仇なす妖を人知れず始末する、それが仕事だ。


「わたし達が仕留めるべきは人に仇なす妖よ。無抵抗の子供まで殺すのは、ただの虐殺ではなくて?」


「ガキだって、妖は妖だろ! 放っておいたらいつか人を襲うんだ……オレはブラックドッグの事は良く知ってる。アレの子供を普通の犬だと思って近づいて、大ケガしたヤツだっているんだ」


 そう言って机をばん、と叩く愛音。彼女とて三年前のままではない。本国で正式に術者と認められ、何度となく現場を経験しているからこそ、妖の危険性は十分に承知しているのだ。


「妖への対処及びその処遇に関しては、原則として現場に居た術者の合議によって定められる……このルールは、あなたの国でも同じ筈よね?」


 だからといって、全ての妖を無差別に殺せばいいという訳ではない。妖の大部分は、たまにいたずらが過ぎる程度の無害な物の怪に過ぎず、人に直接害をなす妖というのはむしろ少数派なのだから。


「オレだって現場にいたんだ。何か文句あんのかよー」


「ええ。空撮映像にちゃんと映ってたわ。灯夜と妖が戦っている所にあなたが割り込んで、まんまと漁夫の利をかっさらう所がね」


「え、ちょ……それはだな、アイツがモタモタしてるから仕方なく……」


 急に歯切れが悪くなる愛音。どうやら小狡こずるい真似をしたという自覚はあるようだ。


「その上残った子供の扱いで揉めた挙句、力ずくで言う事を聞かせようとするとか……分かっているの愛音。日本での行動申請が通るまで、あなたの扱いは野良の術者と同じ。灯夜の邪魔をする権利は無かったのよ?」


「うう……そ、そういやアイツはどうしたんだよ。その、トーヤ?とかいうヤツ。さっきからツラ見てねーけど?」


 不利になったと悟るや、早々に話題を変えようとするのが見え見えだが……確かにもう少し、灯夜について話しておくべきだろう。


「あの子はさっきのヘリで帰らせたわ。あなたとの要らぬ小競り合いでかなり消耗していたから。具合が悪そうだったけど、雷華がついているから大丈夫でしょう」


「オレとやり合って無事でいられただけでも大したモノだがな……アイツ、敵わねーって分かってるクセに妙にねばりやがって。そんなに妖の命が大事だってのか?」


 わたしにとっても、これは想定外だった。灯夜がいわゆる“優しい子”だというのは理解していたつもりだったが……その優しさを、そのまま妖に向けるとは。


「あのヤロウ、最後はテメエの命を投げ出そうとまでしやがった。イツキ、アイツは何なんだ? なんであんなのが術者やってんだよ!」


「…………あの子は術者じゃないわ。ほんの数週間前、風の精霊と契約したばかりのただの霊装者よ」


「えッ」


 ぽかんと口を開け、目を丸くする愛音。


「数週間前って……いや、でもあの霊力のコントロールは素人レベルじゃなかったぜ! どっか名家の血筋とか……そういうヤツなんだろ?」


「その線もないわ。こっちの妖対策室の分室長のいとこだから関係者ではあるけど、あの人は術者じゃないしね……」


「ちょ、待てよオイ……それじゃあオレは、ペーペーのトウシロ相手にイキってたって事かよ! 虎の子の四重奏 カルテットまで出して……」


 がたりと椅子を立ち、頭を抱えながらテーブルの周りをウロウロする愛音。どうやら彼女にも、恥ずかしいという概念は存在していたようだ。


「明日学園で会ったら、詫びのひとつも入れておくことね……見た目相応に繊細な子だから、怖がられてると思うけど」


 わたしがそう言った時、隣のテーブルで作業をしていたメイドの一人がノートパソコンを畳みながら話しかけてきた。


「お嬢様、事後処理がひと通り終わったので、順次撤収するようにとの事です」


 見れば周囲のそこかしこで仮設の機材が片付けられている。本日の業務はどうやらこれで終了らしい。


「分かったわ。愛音、わたし達は引き揚げるけど……あなたはどうするの? 自慢の箒で帰るっていうなら止めないけど」


「えー! ケチケチしないで乗せてけよー。どーせ帰る場所は同じなんだろ?」


 黒塗りの高級車に向かうわたしの後を、小走りで追ってくる愛音……まったく、久しぶりに会ったというのに……まるで時の流れを感じさせてくれない。


「ほら行くぜー、ノイ!」


 後部座席に乗り込むわたしと愛音。そして今までどこに居たのか、愛音の膝にひょいと飛び乗る黒い猫。


 こうして、わたしの日常にまた新たな喧騒がもたらされた。愛音という名の――――騒々しいトラブルメーカーが。

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