第19話 影を纏う女

【前回までのあらすじ】


 渋谷の街で行われた大規模な召喚術。その痕跡を調べた蒼衣は、それが妖の仕業であると確信する。

 情報が足らず動けない警察に代わり、捜査にあたるのは樹希たち学園の術者だ。


 二組に分かれた若き術者たち。名門の術者、藤ノ宮桜は高等部の灰戸一葉とコンビを組むことになった。

 素行不良で知られる灰戸と共に、果たして桜は無事に手掛かりをつかみ、妖を追い詰める事ができるのだろうか……。



◇◇◇



「――――そう、こちらも空振り。最後のポイントはお願いするわ、樹希。その後? うーん、とりあえず先生に報告かしら……」


 ひと通り通話を終えて、私……藤ノ宮桜はブレザーのポケットにスマホを放り込む。

 ベレー帽、スカートと共に小豆色で統一された余所行きのコーディネートは私のお気に入りだけど、これを実際に着る機会は中々に少ない。


 そもそも学園の外に出る事がほとんど無かったし、あっても制服で済ませてしまった為だ。まあ、だからといって妖事件の捜査に着て来るのもどうかとは思うのだが。


「で、お嬢様は何て?」


 高層マンションの屋上の床を、こつこつと叩くブーツの足音。私に問いかけてくるのはその持ち主である――――灰戸一葉はいとかずは

 ふたつ年上の高等部一年生であり、私同様に若くして認められた術者だ。色々と事情があって、今回は彼女と組んで捜査を行なっているのだけど……


「収穫ナシ、こっちと同じですよ。六ヶ所目にはあちらの組が近いので、向かって貰いました」


「何や、やっぱダメみたいやな……流石のお嬢様でも、どうにもならん事はあるんやねぇ」


 肩のあたりでまとめた金髪を風になびかせ、まるで他人事のように軽く言い捨てる彼女。何の成果も出せていないのは、こちらも同じだって言うのに。


 召喚の魔法陣が置かれたビルから、外側に円を描くように配置されたと思われる……補助の為の祭壇。

 私たちはそこに残された痕跡から、術を行なったあやかしの手掛かりをつかむべく捜索を行っていた。


 最初の一ヶ所が見つかれば、残りを特定するのは簡単……それは実際その通りであり、私たちと樹希たちのグループはさほど時間をかけずに六つのポイントを見つけ出す事ができたのだ。


 しかし、問題はその後。発見したポイントから見つかったのは、証拠となる痕跡が掃除された“痕跡”……何か祭壇らしき物が、綺麗に取り除かれた跡だけだったのである。


「霊的な残滓ざんしも薄れていますし、やはり昨晩のうちに全て片付けられていたのかもしれません」


「……いや、案外そうとも限らへんよ」


 声に振り向くと、灰戸の姿が無い。びっくりして辺りを見回す私を尻目に、彼女は開け放たれたままの出入口の奥からその姿を現した。

 ほんの数秒、目を離しただけなのに……いつの間に移動したのだろう?


「どういう事です、灰戸さん?」


 ――――灰戸一葉。去年から学園に編入された彼女には、何かと良くない噂が付きまとっている。その半分は金色に染めた髪や派手なネイルなど、お嬢様学校の生徒にあるまじき、羽目を外した外見に起因するものだ。


 やれ不良だの、ヤンキーだのと……実際に授業をさぼる事も多い彼女に、周囲の一般生徒は恐れて近づかないのだとも聞く。


「この屋上、めったに人が立ち入らんみたいやなぁ。階段にも結構ほこりが積もってたし、ウチらの足跡もハッキリ残っとる」


「それが、何か?」


「おっと、最後まで言わせてぇな。残っとるのはウチらのだけやうて、屋上を掃除しくさった連中の足跡もなんやな」


 そう言いながら、ただでさえ細い目を糸のようにして笑う彼女。


「成人男性、数は三人。建物の中には妖気が残ってへんから、多分一般人やね。術を使ぅたのは妖かも知れんけど、後始末をしたのは……」


「……人間、ですか」


「そう。足跡の状態から見て、連中が仕事したのはここ一時間以内やな。ウチらは丁度一足遅かったっちゅうワケや」


 ――――足跡ひとつで、そこまで解るのか。私の背筋をひやりと冷たいものが走る。少しでも手掛かりが欲しい今の状況では、彼女の洞察力は頼もしいものだ。

 しかし、それがかえって……彼女の噂のもう半分に信憑性しんぴょうせいを持たせてしまうのもまた、事実。


「妖が、人間を使っている……もしそれが本当なら、事は私たちの手に余ります。先生に頼んで、警察にも動いて貰ったほうが……灰戸、さん?」


 彼女が、まっすぐこちらへ歩み寄って来る。長身をゆらゆらと揺らす、独特の歩き方。歩幅も広く、あっという間に私の目の前だ。


「その『さん』とか敬語とか、そろそろ止めても良いんとちゃうか? そういう距離感って、あんま好かんのよ……ウチが年上つっても、先輩後輩で言ったら桜はんの方が古参やしなぁ」


「それは、確かにそうかもですが……」


 私の煮え切らない態度を見てか、彼女はその目を更に細めると……


「もしかして、桜はんも信じとるんか? ウチが……“西”のスパイやって話を」


 ため息をつくような口調で、言った……それが噂のもう半分。

 学園在籍の術者たち、特に四方院家など名家の者の多くは、“西”から来た術者である彼女をこころよく思っていないのだ。



 ――――この国の術者のほとんどは、関東以北を統べる“東”と、関西を中心とした“西”という……言わばふたつの派閥のどちらかに属している。

 始めは術者の互助組織として生まれただろうそれは、時を経るにつれ強い権力を手に入れ、国をほぼ二分する形で勢力圏を確立したのだ。


 そしてご多分に漏れず、その二大派閥はあまり仲がよろしいとは言えなかった。表立って敵対こそしないが、水面下での足の引っ張り合いは日常茶飯事である。

 スパイの十人や二十人、むしろ居て当然なのだ。


「……噂は噂、でしょう? 貴女がそれを肯定しない限りは、気にする事なんてありません」


 そう答えつつも、私の中に疑念は残る。灰戸一葉の術の系統と契約した妖の能力は、ただの転校生と言うにはあまりにも……諜報活動に向きすぎていたからだ。


「ふふっ、そうやで。もしウチがスパイやったら、自分の手の内を簡単に晒したりはせぇへん。怪しむのは勝手やけど、ウチをつついたって何も出て来やしまへんで?」


 実際、彼女は自身の術や霊装術者としての能力を全て開示している。これではスパイとして警戒してくれと言っている様なものであり、その時点で隠密性も何もあったものでは無い。

 しかし……


「まあ、それはさておき……問題はこの後や。ここで吞気のんきに樹希お嬢様の空振り報告を待ってるのもアレやろ?」


「アレと言われても、私たちに出来る事はありません。こう手掛かりが少なくては、私の祈禱きとうで追うのは無理ですし……小梅が居れば、もう少しはマシだったのだけど」


 双子の妹である小梅と力を合わせる事で、私たちの祈禱はその精度を数段増す。しかし、残念ながら今日あの子は非番。今頃はクラスメイトたちと休日を楽しんでいるはずである。


「そうや、妹はんに力を貸して貰えばええんやないか! あの子も東京に出て来とるんやろ? 確か……池袋、やったか」


 ――――! 小梅たちの池袋行きを知っているのは私と樹希、後は蒼衣先生だけのはず。今朝呼び出されたばかりの彼女が、どうしてそんな事まで……


「で、でもあの子は非番なのよ? それをいきなり呼びつけるのは……」


「正体不明の妖がうろついてる言うのに、休みも何も無いやろ。それとも、お嬢様方は妖事件をほっぽって遊んでいられる程、心が図太くていらっしゃるんで?」


 くるりと身をひるがえし、思わせぶりに唇の端を歪ませる……彼女。


 確かに、小梅の力を借りれば何らかの手掛かりをつかめるかもしれない。この打つ手の無い現状を打開するためには、最早手段を選んではいられないという事か。


「分かりました。じゃあ小梅に来てもらって……」


「待ちぃや。来てもらうより、こっちから行った方が早いわ」


 彼女がそう言うのと同時に、私の足元が突然、ぐにゃりと波打った。まるで底なし沼にでもはまったかのように、ずぶずぶと身体が沈んでいく!


「貴女、何を!」


「なぁに、ちょっと我慢してりゃあすぐやで。ちゅうわけで、頼むわ……【冥亜裏メアリ】!」


 その時になって、私はようやく気付いた。太陽を背にして立つ彼女の影が……不自然に大きく広がっている事に。

 今私の身体を飲み込んでいるのは、まさにその“影”なのだ。


「影の世界へ、ご案内~!」


 陽気に響く灰戸の声。それを聞いた時、私の五体はすでに何処までも続く暗闇の底へと沈み込んでいたのだった――――。

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