第109話 対決、ミイナ対灯夜!

【前回までのあらすじ】


 ミイナが放った禁断の技“滅びの落日”。池袋の街に迫るこの脅威を止めるため、灯夜は単身彼女の説得へと向かう。ミイナのパートナーであるイフリート、サラーヴが見せた過去の記憶の世界で、彼はミイナが歩んできた戦場の日々を……その成長と挫折を目の当たりにするのだった。


 ミイナを傷つけてしまった自責の念から、言葉を伝えるすべを失ってしまったサラーヴ。彼女の想いを胸に、灯夜はあらためてミイナと対峙するのだった――――!




◇◇◇




「――――相も変わらず、甘っちょろい理想をほざく奴だな。お前は」


 ぞっとするほど冷たい声が、ぼくの鼓膜を鋭く射抜く。


「戦う力も……その気もないお前が、この不知火ミイナをどう止めるというのだ! まさか土下座でもするつもりではあるまいな?」


 氷のような言葉に込められているのは、燃え上がる怒りの炎。


 不知火ミイナ――――ぼくの学校の先輩であり、今はその強大な力で池袋の街を破滅の危機に陥れている……まさに破壊の化身とも言うべき存在だ。


 その彼女を、ぼくは止めなければならない。力では到底かなわない相手を、言葉だけで説得しなきゃいけないのだ。


「たしかに、自分でも無茶なことを言っていると思うけど……それでも、先輩を止めたい。止まって欲しいんです!」


 ぼくがミイナ先輩を止められなければ、あの黒い太陽のような術が街を飲み込むことは避けられない。大都市池袋の中心街がまるごと焼け野原に変わってしまうのだ。

 いくら住民の避難が終わっていると言っても、それが未曾有の大惨事である事に変わりはない。


「あなたにこんな事、させたくないんだ!」


 ぼくの正直な気持ち。知り合ったばかりとは言え、同じ学園に通う生徒同士。あやかしと契約した霊装術者なのも同じだ。

 そして何より、ぼくは暴走する前の彼女を知っている。三人組の男たちに絡まれたところを助けに入ってくれた先輩の……その凛々しく優しい背中を知っているのだから。


「だったらどうする? 口先だけの言葉であっさり止まってくれるのを期待しているのか、それとも……心震わすような大層なご高説を、お前が披露してくれるとでも言うのか?」


 心震わすような、大層なご高説……当然、そんなものはない。あれば、ここまで来るのもいくらか気楽だったろう。黒い炎の破壊衝動に支配された先輩の心を、一瞬で解き放つような魔法の言葉があったなら。


 ぼくだって、まったくの無策で彼女の前に立つつもりはなかった。けれどこうしてあの怒れる炎の権現ごんげを前にして、絶対の自信を持って切り出せる文句なんてひとつも浮かんでこないのが事実だ。


 ――――だったらどうする。問われるまでもなく、それがぼくに課せられた最大の課題。

 答えはまだ、無い。


「……ミイナ先輩。ぼくは、あなたに聞きたいことがあります。どうしても確かめておきたいことがあるんです!」


「なにい?」


 答えはまだ見えない。だから、探すんだ。


 答えにたどり着くまでの障害になる謎を、先輩自身にまず確かめる。ぼくが持っている情報だけでは、彼女の心を動かすことはできない……でも、当の先輩本人の中にはあるはずなんだ。


 ――――彼女自身の心を、狂気に駆り立てた元凶が。


「先輩。なぜ、あんな術を使ったんですか? あんな大きい……いや、大きすぎる術を」


 空を覆うほどに巨大な、漆黒の火球――――ただ落ちてくるだけでも相当な被害をもたらすだろうそれが、内に秘めた恐ろしい霊力量に見合った爆発を遂げるとしたら。

 ……ぼくや愛音ちゃんはもちろん、あの紅の竜姫ですら無事ではいられないだろう。


 ぼくもそう多くの術を知っているわけじゃないけど、あれはおそらく最大最強クラスの威力を持つに違いない。しかし……


「そう、大きすぎる。有効範囲が広すぎるんですよ、あの術は……何も考えずに使えば、たぶん術者であるあなた自身も巻き込んでしまうほどに」


「ほう……」


 ミイナ先輩の表情が、わずかに動いた。怒り一辺倒の輪郭がくずれ、その口元にはささやかな笑みが浮ぶ。けれど、燃えるような双眸そうぼうはそのまま、微塵のほころびも感じさせはしない。


「だから最初から地表にではなく、上空に発生させる必要があった。落下するまでの時間を使って、安全圏へと逃れるために……けれど、それは相手にも逃げる時間を与えてしまうという事ですよね?」


 もちろん、普通の人間が走って逃げたくらいでは間に合わないだろう。しかし、それが妖や術者……先輩と同じような飛行能力を持っている相手なら話は別だ。


「つまり、あの術は本来動かない目標……逃げるすべのない相手に対して使うべき術なんだ。いくら威力があっても、よけられてしまったら意味がないんだから」


 なのに、ミイナ先輩はそれを使った。紅の竜姫には容易に避けられてしまうだろう術をだ。

 怒りに我を忘れて、というのなら分からないでもない。しかし……


「……理由わけが、あるんでしょう? あの術でなければならなかった理由が」


 激怒し荒れ狂いながらも、しかし先輩の中には常に氷のような冷静さが同居している。さっきからぼくはそれが不思議でならなかった。


 ――――愛音ちゃんが言うには、彼女は【アライメント・シフト】の影響で「ヤバい感じに正気を失って暴走してる」という話だ。

 けれどぼくが見る限り、不知火ミイナは激昂はすれど正気を失ってはいない。怒りにまかせて思考を放棄しているようには思えないのだ。


 ならば暴走しているようにしか見えなくとも、その行動には何らかの意図が存在するはず……ただいたずらに被害を増やすだけの術を、あえてこの局面で使った理由が。


「フッ……お前もまた、つまらない事を気にする奴のようだな」


 ぼくの疑問に対し、先輩は心からどうでもいいといった口調で応じる。


「“滅びghrwb alshams 落日al'akhir”はあたしの最大の術。成り行きで軍隊を基地ごと焼き払いたくなった事があってな、その時に編み出したものだ」


 さらっと恐ろしい事を口にする先輩。けれど、それが口から出まかせでないことは雰囲気でわかる。


「確かに威力はあるが、妖一匹相手に使うような術じゃあない……お前はそう思ったんだろうが、それは戦いを知らないお嬢様の考え方だ。あたしの術に対して、あいつが――――あのトカゲ女がどう出るか。重要なのはそこなんだよ」


 と、トカゲ女!? 話の流れからして……紅の竜姫のこと?


「相手の最大の術から逃げるって事は、すなわち敗北を認めるって事だ。その後どう戦ってどう勝とうとも、それは相手の本気を避けて通った偽りの勝利でしかない。本当に勝った事にはならないのさ」


「え、えっと……」


 うーん、なんというか……これは戦いにおける心構えというか、精神論的なことを言っているんだと思う。

 前に読んだ昔の熱血少年マンガにはよく出てきた理論だけど……現代においては一般的とは言えない考え方だ。わからなくはないけど納得するのは難しい。


「奴にもそれは解っている。あれを見て、その威力を悟ってもなお動かずいるのが……文字通り動かぬ証拠。もし逃げたり隠れたりするような奴ならば、それはあたしが倒すまでもない小者にすぎないという事だ!」


 けれど言われてみれば、紅の竜姫があの場からただ逃げるという選択をするとも思えない。彼女は自分の残り少ない霊力を振り絞ってでも、あの術に正面から立ち向かうだろう……それがたとえ、自身の消滅を早めることになろうとも。


 己に残されたわずかな時間を、全力で燃やし尽くすことを選ぶのが……誇り高き紅の竜姫なのだ。


「そうかもしれない……けれど、けれどだよ! あの術が効こうが効くまいが、池袋の街がメチャメチャになることには変わりないじゃないかっ!」


 けれど、どちらにしたって周囲に及ぼす被害の規模が変わるわけじゃない。あの術は威力も範囲もあまりに大きすぎるのだ。


「いくら妖を倒すためだとしても、もう避難が終わって人がいないとしても……先輩の術でこの池袋が消えてなくなっちゃうんだよ!?」


 ……紅の竜姫は、街ひとつを犠牲に差し出してようやく倒せるかどうかという妖なのは間違っていないだろう。

 だとしても、それを本当に何のためらいもなくできるものなのか? 何万もの人が暮らしてきた街を、あっさり消してしまっていいのか?


「そんなことを先輩が……いやそもそも、そんなことをする意味なんて――――」


 そう。そんなことはしなくてもいい事なんだ。だって紅の竜姫は、あの無邪気な“お嬢様”は――――


「……意味はない、か。そうだな、意味なんてない……最初からどうでもいいのさ。この街なんて」


 紅の竜姫は、倒すべき敵なんかじゃない。そう続けようとしたぼくをさえぎって、ミイナ先輩の突き放すような言葉が響く。


「この街が燃えようが消し飛ぼうが、あたしの知った事じゃあない。フッ、どちらかといえばむしろいい気分だ……平和ボケした連中が幸せな日常を過ごしてきた街が、綺麗さっぱり消えてなくなる様を見るのはな……!」


 そう言い放つ彼女のかおには……まるで悪魔のごとき、怨嗟えんさに満ちた笑みが浮かんでいたのだ――――。

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